第3話 悲しい運命の男

 美羽は青年の目をじっと見ていたが、ふっと笑顔を見せた。

「いえ、あなたはそんな悪い人には見えませんよ。とても綺麗な眼をされています。きっとご家族が心配していらっしゃいますから、身元が分かるまではそこにいた方が安心ですよ」



「すみません、見ず知らずの僕のためにこんなに親切にしてくださって。実はずっとこの場所で誰か助けてくれないか声を掛けていたのですが、誰も足を留めてくれなくて……やっとあなたのような方に出会えたというわけです」



「──そうなんですか。それじゃ、いつからあそこに?」

 美羽は青年と一緒に教会に向かいながら訊いた。


「たぶん、あなたに会った日の前の日あたりからだと思います。土砂降どしゃぶりの雨の日でした」


「そ、そんな……それまで誰も気づいてくれなかったなんて……大変だったんですね」

 美羽は青年にひどく同情した。




 教会に着くと、美羽は青年に表の門の前で少し待っているように言って神父を訪ねた。美羽は神父に書類を手渡しながらあの青年の事を切り出した。


「あの……豊田とよだ神父様、実は昨日、おとといの雨に打たれたせいか体調を悪くされた方がいて、その方はどうやら記憶喪失の可能性があるのですが、病院に連れて行くにも、身元のわかるものを何も持っていらっしゃらなくて……。私一人で困ってしまって、今日こちらの教会にお連れしたのです。

 突然で本当に申し訳ありません。明日また警察に行ってみますが、身元が分かるまで泊めていただくことはできないでしょうか?」と訊ねた。


「ほう、そんなことがありましたか? 私どもの所でよろしければお預かりしますよ。ただし、ご病気ならばやはりすぐにでも病院に行かれる方がよろしいかと……」


「はい、本当はそうしてあげたいのですが、どうしらいいのか分からなくて……」


 美羽が困っていると、「いいですよ。あなたのお父様の天音神父にはいつもお世話になっているのですから。

 その娘さんがお困りなら、私もできる限りのお手伝いをさせていただきます。少しの間ならその方を病院や警察に案内しながらお預かりしましょう」と言ってくれた。


「ありがとうございます!」

 礼を言うと、急いであの青年を待たせている教会の門に向かったが……そこにもうあの青年の姿はなかった。


「あ、あれ? あのー、もしもーし! さっきの人ー、どこに行かれましたかぁー?」

 美羽は青年の名前を聞いていなかったために、とりあえず声を張り上げながら教会の周りを探し回った。


 すると心配した神父が外までやって来た。

「どうしましたか?」


「はい、さっきまでここにいらしたんですが、姿が見えなくて……。またフラフラとどこかに行ってしまったのかもしれません。とにかく具合が悪そうなので心配です」


「――そうですか。仕方ありません。何かあったにしても、大人の方でしょうから、きっとどこか安全な場所を見つけることが出来るでしょう。

 私の方はいつでも大丈夫ですから、その方が見つかりましたらご連絡ください」と親切に申し出てくれたのだった。



 気づいた頃には大分暗くなっていた。美羽はシスターが心配しているのではと急に我に返り、神父に礼を言うと急いで戻って行った。




 教会ではシスター伊藤が美羽の帰りがあまりにも遅いのため、心配で門の外で待っていた。

「美羽、一体どこまで行っていたのですか? 近所の教会なのに、ずいぶんと遅かったのですね?」



「すみませんでした。実は……」

 美羽はさっきの青年のことをシスターに全て話した。


「――まあ、そんなことがあったの? 昨日の昼は気付きませんでしたわ。それにそんな大変な方なら、あなただけではどうにもなりませんね。

 でも、美羽、少し気を付けるのですよ! いえ、気のせいだといいのだけど、あなたがその人を悪い人ではないと判断したのはいいけど、もしかして……ということもあり得ますからね。全ての人を信じるのもまた危険なことなのですよ」とさとした。



「はい、分かっています。きっともうあの方はどこかに行かれたはずです。それとも、私が教会まで案内して行ったので、もうそこに戻っていらっしゃるかもしれませんね」


 美羽はもう二度と会うことは無いだろうと、少しホッとした気持ちになっていた。




 美羽は寮の部屋に戻ったが、今日一日の出来事に疲労困憊ひろうこんぱいしてベッドの上にドサリと倒れ込んだ。天井を見上げて辺りをボンヤリ見回すと、ふと机の上のケータイがピカピカと点滅していているのに気が付いた。仕事中に着信があったのだ。


「あ、もしかして、裕くん?」

 バサッと飛び起きてケータイを掴み着信画面を確認した。

 ――やっぱり裕くんだったのね。


 美羽は慌ててすぐに電話を入れた。呼び出しベルがしばらく鳴っていたが出る気配がない。

 ――そうよね、忙しい人だものね。でも、私から電話があったとこが分かれば、きっとまた掛け直してくれるわね。もう今日はお風呂に入ってすぐ寝るわ。



 美羽はため息をいて部屋を出たのだった。






***JPスター芸能事務所合宿所***


 裕星はリビングのテレビの前で新聞を読んでいた。光太と陸もそれぞれケータイをチェックしたりゲームをしているようだが、裕星は部屋にケータイを置いたまま、就寝前まで世間の動きをテレビと新聞でチェックするのが習慣だった。


 テレビでは3日前にあった交通事故のニュースがトップニュースで挙げられていた。

 どうやら若手俳優が都内某所で事故に遭って亡くなったらしく、葬式の様子がちらりと流れた。大勢の若い女性ファンや俳優仲間、事務所や仕事関係者が弔問ちょうもんする様子が映され、アナウンサーが冥福めいふくを祈る言葉を述べていた。


 <坂口将太さかぐちしょうたさん、24歳が3月1日の夜7時ごろ、恵比寿の交差点近くの路上でひき逃げにい亡くなりました。ひき逃げ犯はまだ捕まっておらず──>



 若手だがまだそこまでの売れっ子ではなかったためか、ニュースはほんの1、2分取り上げられただけだった。

 何気に目を向けた裕星だったが、裕星もその俳優の名前に聞き覚えがなく、すぐにまた新聞に目を落とした。その新聞の社会面にもほんの数行載っているだけだった。


「こういう死に方をする奴もいるんだな――。この男は俺と同い年だし、これからやりたいこともあっただろうにな……」



 裕星は独り言を言うと、新聞をバサリとたたんでテーブルに置き風呂へ向かって行った。


 裕星は風呂の中で今日のコンサートの構成について思い返していたが、一番引っ掛かるのが自分のソロの歌詞のことだった。


 ――誰かを想う片想いの詩はマンネリ感があるしな……、まぁ今まで結構書いてきたテーマでもあるから、今度は何かもっと刺激的な歌詞がいいかな……。しかし、曲は結構マイナー調に作ってるしな……。


 裕星が今悩んでいるのは、マンネリを避けることだった。美羽に逢えない想いから、いくらでも恋しい歌詞を生み出すことは出来たが、むしろそればかりだと聴いているファンに飽きられかねない。

 もっと刺激的だが、激しさとか荒々しさと言う意味ではなく、心に刺さるくらいの刺激がいいと思いついた。


 裕星は風呂で体を温められている内、連日の寝不足で一瞬にして思考が止まった。深い眠りに落ちたのだ。

 ゴボゴボゴボ……風呂の中に頭が沈んでもまだ目が覚めず、数十秒がたった頃やっとザバッと体を起こした。ゴホゴホと咳き込みながら水を吐いて、ハアハア肩で息をしている。


 ――うわぁ、危なかった! 意識が遠くなって泥のように眠ってしまった。うっかりおぼれ死ぬとこだったよ。


 裕星はまたゴホゴホと咳をすると深呼吸して息を整えた。


 ――あ! そうだ。


 裕星は何かを思いつき、バスタブからバシャッと飛び出すとバスローブを羽織り部屋に急いで戻ったのだった。


 裕星は急いでパソコンを開くと、自分に今ひらめいた歌詞を書きつづった。そのパソコンの隣にあるケータイの着信を知らせるランプが赤く点滅していたことにも気付くことなく――。

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