第4話 再び会った優しき不審者
***カトリック教会***
美羽は早朝ミサの後、昼までの間にどうしても気になることがあり電話をした。
「あ、もしもし、豊田神父さまですか? 昨夜お邪魔しました天音です。あの……実は昨日のことで気になってお電話しました。
もしかして、昨夜お話した男の方はもうそちらにいらしていますか?」
<天音さん? ああ昨夜はお疲れ様でした。いいえ、まだいらしていませんよ。あなたが昨日お話された青年のことですよね?>
「――来てない? そうですか……。でも、もしかすると今日そちらにいらっしゃることがあるかもしれませんので、その時はご連絡いただけますでしょうか? すみません、勝手を言ってばかりで……どうぞよろしくお願いいたします」
美羽はケータイを耳に当てたまま見えない相手に頭を下げて電話を切った。
――変ね、まだ教会へも行ってないなんて。どうしてあの人はいつも途中でいなくなっちゃうのかしら……。
美羽はあれ以来、あの青年の事が頭から離れなかった。
美羽は今月21日の卒業式へ天音神父に出席してほしいと相談をするために事務室へ向かっていた。
ドアをノックして入ると、そこに神父の姿はなく、代わりに誰か見知らぬ男性がこちらに背を向け窓の外を見ていた。
「あの……どちらさまですか……?」
美羽が恐る恐る声を掛けると、男はゆっくりこちらを振り向いて、美羽の顔を見るなりパッと笑顔を見せた。──あの青年だった。
「ああよかった! あなたは天音さんですね?」
「どうして、私の名前を?」
「ああ、すみません。昨夜、教会に案内していただいたとき、神父さんと話しているのが聞こえてしまったんです。ご住所を聞いてなかったのに、勝手にここまで訪ねてきてしまってすみませんでした」
「い、いえ。でも、よく私の教会がここだと分かりましたね。それに、昨日は門のところにもういらっしゃらなかったですよね? 一体どちらにいらしてたんですか?」
「それが……あなたが神父さんにお願いしてくださっていたのは覚えているのですが、その後からの記憶がないのです。そして気づいたらまたあの場所に立っていました。
もう僕は自分が怖くて仕方ありません。それに、あなたの教会にまで来てしまって申し訳ないと思ったのですが、どうしてもあなたに僕の素性を調べていただきたくて……。頼れるのはあなた以外いないんです」
心から懇願するような目で美羽を見ている。
美羽は困ってしばらく考えていたが、自分しか頼れる人間がいないと言われ、ふぅーと息を吐くと決心したように笑顔で言った。
「わかりました。でも、私に出来ることは限られていますから、やはり警察の方に調べて頂いた方が良いと思います。ただ、出来る限りのことをしてみますね。
とてもお困りのようですし、きっとご家族の方も心配されているでしょうから」
美羽の優しさが嬉しかったのか、青年は涙ぐむように目を潤ませていた。
「あの……でも、お名前を思い出せないということでしたが、何か身元が分かるようなものは持っていらっしゃらないのでしょうか?」
「身元ですか……」
ズボンのポケットをゴソゴソと探っていたが、あっと声を上げて何かを引き出した。
取り出したものは小さなハンカチのようなものに包まれていた。
「なんだろ、これ……?」
男がハンカチをそっと
すると小さな赤いビロードの箱が出てきたのだった。男が箱を開けると、シンプルだが一粒ダイヤがはめ込まれた高価そうなプラチナの指輪があった。
「――婚約指輪?」
美羽は近づいて、その指輪を覗きこんだ。その指輪はどうやらサイズからみて女性用だった。
「もしかして、これってどなたか大切な人へのプレゼントだったのではないですか? 女性用ですよね」美羽が言うと、
「女性へのプレゼント?」
男は首をかしげて指輪を目の前にかざしてあちこち見ていたが、指輪の裏に彫ってあるイニシャルに気付いて窓辺の光に当てて片目をつぶって確認している。
――SからMへ愛を込めて――
男が声に出して読むと、美羽は思わず駆け寄って声を上げた。
「わあ、きっととっても大切な女性へのプレゼントですよ! 早く思い出してその方のところに帰らなくちゃ!」
美羽にそう言われても、男はぼんやりとしていて何も思い出せずにいるようだった。
「――そうですね。でも、僕が誰を好きだったのか、付き合っていた女性がいたかどうかも分からないんです。それに、人って愛する人がいると、ほら、ここが温かくなる気がすると思うのですが、ぜんぜん温かくなくて……むしろ冷たく感じます。
僕はもしかしてフラれたのではないですか? だからこんなに心が冷えているのではないかと思います」
不安そうな顔で自分の左胸に右手を当てている。
美羽はそっと青年の背中に触れて優しく声を掛けた。
「大丈夫ですよ! 生きていたらきっと会いたい人に会えます! たとえどんなことが待っていても、またそこから新しい自分を始めることが出来ます。私は会いたかった両親が亡くなっていたことを知ってとても落ち込みましたが、こうして生きていたら、新しい幸せがまた生まれてくるものです。
貴方も何があっても、きっと幸せになれるはずです」
「ありがとう、君はとても優しい人ですね。今までこんな人に出会えなかったような気がします」
男の口元にほんのり笑みが見えた。
「――ところで、あなたの身元を調べたいと思うのですが、その間どこか泊まる宛はありますか? 昨日の教会の豊田神父様がお泊めしてもいいと仰って下さいましたよ」
「ああ、そうですか? それではそちらにお世話になりたいです。天音さんにはご迷惑ばかりおかけします」
「いいえ、私は大丈夫です。教会までお送りしますか?」
「いえ、場所は分かりますから一人で行けます。ありがとうございました」
「それではその指輪、少しの間、私が預かっていてもいいですか? 宝石店で聞いてみたら何か手がかりが分かるかもしれませんので、責任をもってお預かりしておきますね」
そう言うと、美羽は両手で指輪の箱を大事そうに受け取った。
昼過ぎ、青年を見送って寮に戻った美羽はケータイの点滅に気付いて着信を見た。
――裕くん! やだ昨日夜遅くに電話が鳴ったんだわ。私すっかり眠ってしまってて気が付かなかった。
あれから裕星が寝る前に美羽からの着信に気付いて掛け直していたのだったが、それもまた美羽が熟睡していて気付かないというすれ違いが何度かあったようだ。
――今掛けてもいいかな?
美羽がケータイで裕星に電話すると、思ったよりすぐに裕星が出た。
<美羽、あー、やっと声が聞けた。どうしてた? 何度かけても出ないから心配したよ。何かあったのか?>
「私も裕くんの声が聞きたかった……今忙しくない? 話していても大丈夫?」
<ああ、ちょうど昼の休憩を取っていたんだ。何もなかったのなら良かったけど、ずっと逢えなかったから、どうしてるか気になってたよ>
「何もない、というのはちょっと違うけど……」
<どうした?>
「実は……」
美羽は今まであった不思議な青年の事を裕星に詳しく話した。
<そいつはちょっと怪しくないか? 美羽、気を付けろよ。その男が何者かまだ分かってないんだろ? あまり近づきすぎるのもよくないよ。それに、美羽だけを頼りにするなんて、記憶喪失を装って近づいてきた奴かもしれないじゃないか?>
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