第10話 自分の死に気づいた幽霊

 美羽は慌てて立ち止まり、その場ですぐ裕星に電話を入れた。裕星はもう合宿所に着いていたが、すぐにポケットのケータイに気が付き車を降りる前に電話に出た。


「裕くん、大変よ。さっきまで坂口さんとあの場所に居て一緒にお話してたんだけど、坂口さん、突然記憶が戻ったみたいなの! でも、その途端、姿を消してしまって。どうしましょう。私、坂口さんを成仏させてあげたくて、礼拝堂に連れて行く途中だったんだけど。

 彼女に裏切られたことを知って悪霊になんてならないといいけど……」



 <そうか、分かった。俺もまたそっちに向かうよ。美羽は寮で待っててくれ>


 裕星は会ったことも無い幽霊の坂口をどうやって追いかければいいか分からなかった。

 しかし、実体がないとはいえ、美羽にこれほどまでにりついてきた男だ。美羽に何かあったらと心配がさらに増してきた。

 霊など信じていない裕星でも、美羽の事は信じている。だから、美羽が言う言葉のすべてを信じれば、坂口が幽霊となって美羽に接触していたことは真実だと言えるからだ。



 夜間、美羽は寮から外出したことはめったになかった。しかし、どうしても坂口のことが気になって、裕星の車を見て急いで外へ飛び出してきた。


「坂口がいきなり記憶を取り戻して、そしてどこかに消えたんだな?」

 裕星は車から降りて、寮の門を出てきたばかりの美羽に訊ねた。


「そうよ、交差点の近くにあるビルのスクリーンに映画の予告映像が流れたの。そしたら、坂口さんが突然険しい顔になって、急に走り出して……消えちゃった」


「それはどんな映画だったんだ?」


「え……と、5月に公開の映画で、ラブストーリーだったかな?」


 美羽に言われて、裕星はケータイでこれから放映される映画を調べてみた。


「これか? 『TRUE LOVE』、主演が柳田涼、相手役はあの佐々木澪だ」


「そう、そう、これよ! それを見て、自分が出る映画だって確かに言ったの。柳田さんと澪さんの名前も言ってたわ」


「あ……」

 裕星が映画の詳しい記事を読んで声が出た。

「この映画、最初、主演は坂口だったんだ。それが主演が急死したので、急遽この柳田という男が代役になった。ヒロインは佐々木のままだけどね」


「やはり……柳田さんって澪さんが今お付き合いしてる俳優さんよね?」


「まさか、この男、主演欲しさに……?」


「それはないと思う! そんなことで人を殺したりする? それに坂口さんとは親友だったんでしょ?」


「そうだな……でも発作的にということも考えられる。とにかくこいつも容疑者の一人だな」


「裕くん、また容疑者だなんて……。でも、待って。マネージャーさんはどういう方なのかな? 澪さんは浮気相手が女のマネージャーさんだって誤解していたよね?

 それって、やっぱり二人は誤解されるような仲だったということ?」


「ああ、そうかもな。このサイトによると、事務所を一人で独立したのは、付き合っていた年上マネージャーと別れる時に揉めたせいだと書いてある。まあ嘘か本当かは本人達しか知らないことだけどな。でも、この記事が気になるな……」


「なんて書いてあるの?」


「ああ、このマネージャーは34歳の独身女性で、業界では仕事が出来るキャリアウーマンで有名らしい。どうやら最初は坂口に一方的に惚れて、ついに落とした。いずれは坂口と一緒に独立して結婚も視野に入れていたとか? しかし、結婚を前に坂口が心変わりしたと書いてある。

 まあ、週刊誌やネットのゴシップサイトがいくらでも妄想を書くのは勝手だが、人の心の内まで分かる訳ないのにな」


「そうよね。でも、もしこれが本当だったとしたら、マネージャーさんは坂口さんに裏切られた形になる訳でしょ? だって、マネージャーさんとも決別して一人で事務所を立ち上げたわけだから」


 裕星は、うーんと唸って、「これはもっと複雑な事態になってきたな。このマネージャーの女も容疑者の一人になる。

 それぞれの当時のアリバイを探れば、意外とすぐに犯人が見つかる気がするが、ただ俺らが出来ることにも限界がある。探偵でもないし、この忙しい時に犯人捜しに明け暮れるわけにはいかないからな」


「でも、いつまでも犯人が分からないと、坂口さんは成仏できずにずっとあそこに縛られたままかもしれないわ。そうなると私も彼の事が気になって辛くなるもの」



「それは困るよ。でも、明日から俺はもっと忙しくなるし、美羽一人だけじゃ危険だからあまり動いてほしくないしな……ああ、そうだ、俺もその彷徨さまよえる幽霊くんの坂口に会うことが出来ないかな?」


「裕くん、私を信じていないの? 本当に坂口さんは幽霊なのよ! でも、どうやら私以外には見えないみたい。裕くんに見えるかどうか分からないし、それに記憶が戻ったみたいだし、またあの場所にいるとも分からないから……」


「……よし、明日の夜、いつも彼が出没する時間に俺もそこに行ってみる。鎗ヶ崎交差点だったな。そこに行ったら何か分かるかもしれないからね」


 裕星は教会の裏に停めた車の中で美羽から今までの事情を聞いた。明日の予定をうまく調整して、明日夜7時、あの場所で美羽と落ち合うことにした。




 その夜、美羽はベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。

 ――坂口さんはあれからどうしたのかな? もしかして自分を殺した犯人が分かったのかしら?

 寝返りしながら目を閉じていたが、頭が混乱して全く熟睡できていなかった。


 すると、急に寒気がして、美羽は布団をギュッと首まで引き上げた。3月も半ばの暖かくなった季節、夜中これほど冷え込むのも珍しかった。

 すると、布団を被った美羽の背中から声が聞こえてきた。


 ――み……さん。美羽……さん。


 美羽はその声で思わずガバッと布団から起き上がって振り向くと、ドアの辺りにボウッと白っぽく何かが見えた。キャーッ! 声を上げたはずだったが声は全く出ていなかった。

 するとその白いものがスーッと音も無く近づいて来て、美羽のいるベッドの近くまで来ると、段々と形を現してきたのだった。


「――坂口さん!」美羽が叫んだ。


「ごめんなさい。気が付いたらここにいたんです。勝手に美羽さんの部屋に入ろうとしたわけじゃないんです。美羽さんと話がしたいと思っていたら、もうここに……。女性の部屋にいきなり入ってしまい、すみませんでした」


 あまりにも謙虚な坂口の幽霊に、美羽は思わず吹き出してしまった。


「ふふ、坂口さんって本当に良い人なんですね! 大丈夫ですよ、まだ寝ていませんでしたから。

 でも、急に部屋に入って来られたら、やっぱり怖いです」美羽が正直に言うと、


「本当にすみませんでした。きっと、あなたに謝りたいと考えていたから勝手に来ちゃったんですね。昨日は本当に失礼しました。一気に今までのことを思い出して、パニックを起こしてしまって……頭が変になりそうで、つい逃げてしまいました」

 坂口は本当にすまなさそうに頭を下げた。


「いいえ、でも、全て思いだせたんですか?」


「いいえ、全てではないです。僕があの場所でいったい何をしていたのかはまだよく思い出せなくて……でも、どうやら僕はもう死んでいるみたいですね」

 坂口は落ち込んだように項垂うなだれながら言った。

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