第6話 美青年ヤリガサキさん
「――ところで、私、あなたのことをなんてお呼びすればいいでしょうか? お名前が分からないとお話ししにくいので……何か呼んで欲しいお名前はありませんか?」
美羽は気を取り直し、テーブルの向かい側の青年に尋ねた。
「ああ、僕の名前、そうですよね。このままだと名無しの
「ヤリガサキさん、でいいですか?」
「はい。すみません、あまり良いのが思い付かなくて」と照れ笑いしている。
その素直な表情を見て、美羽はヤリガサキがまるで裕星のように純粋な心を持っている人間のような気がした。
飾り気がなく、それでいてよく見るとなかなかの好青年だった。センター分けの黒髪が柔らかくカールされ、背も高くスタイルもよい。まるで雑誌に出てくるモデルのようだった。年齢的にはまだ30歳には届いていない20代半ばくらいで、ちょうど裕星と同じ年代に見えた。格好を付けずありのままの自分を隠すことなく話す様子もどこか裕星に似ていた。
「ヤ、ヤリガサキさん? まだちょっと言い馴れなくてすみません。ところで、この指輪のサイズなのですが、ちょうど私のサイズと同じでしたので、もしかすると私くらいの指の太さの女性ってことですよね? でも、実は私、少し普通の女性のサイズより細いらしいんです。
このサイズは友達にもいませんでした。私は痩せてはいませんが、もしかするとこの指輪の相手はとてもホッソリした方ではないかと……」
美羽はヤリガサキから預かっていた指輪を見せた。
「そう、ですか……細い女性ですか。あ、そうだ、もう一つだけ手がかりがあったんです。
昨日何気に自分の服を探っていたら、これ、このネックレス、何か高そうなものの気がして……」
ヤリガサキは、セーターの襟を引き下げ自分の首に下げられているイエローゴールドのネックレスを引き出して見せてくれた。
「わあ、とても綺麗ですね! ダイヤモンドも散りばめられていますね。きっとどこかのブランドかもしれませんよね? ごめんなさい、私はブランドのことは全く分からなくて……」
美羽はヤリガサキのネックレスをじっと見ながら困ったように笑った。
しかし、美羽がそう思った途端、
──この人は何も所持していなかったのに、指輪だけでなくこんな高級そうなアクセサリーまで身に付けているなんて……本当はどんな職業の人なのかしら……?
やがて美羽のテーブルにコーヒーが運ばれてきた。
すると店員はコーヒーを一つ置いたまま立ち去ろうとするので、美羽は慌てて引き留めた。
「あの、すみません、コーヒーは二つ注文したのですが……」
店員は驚いて振り返り、「あ、でもコーヒーは
「お連れ様が来たらって、ここにもう……」
美羽が向かい側のヤリガサキに目をやると、もうそこにヤリガサキの姿はなかった。
「あら? おトイレに行ったのかしら? それじゃしょうがないわ。あ、すみませんでした。じゃあ、後で持ってきてください」と店員に頭を下げた。
美羽は男の不審な行動をなんとかして正当化させようとしていたが、なぜ自分以外の人間が来ると、隠れるようにどこかに行ってしまうのか不可解だった。
美羽が窓から外を眺めて夜の歩道を歩く人々の波を見て男を待っていると、「お待たせしてすみませんでした」とヤリガサキがいつの間にか戻って来ていた。
やはり美羽の予想が当たっていたのだろう。ヤリガサキは今までトイレに行っていたに違いない。
「今日はありがとうございました。いつまでも美羽さんを引き留めておくわけにはいきません。夜道は危ないので気を付けてお帰り下さい」
ヤリガサキは立ったまま頭を下げている。
「でも……」
「ああ僕のことなら気になさらないで。きっとまた記憶も無いままちゃっかり家に帰っているんですよ。自分でそれを覚えていないだけで。だから家族が警察に捜索願を届けていないのでしょう。ですから、もしよかったら、その指輪の相手を探すのをお手伝いいただけたらありがたいです。フラれていたにしても、それが分かれば諦めもつきますから」
ヤリガサキは苦笑すると、そそくさとカフェから出て行こうとしている。
「それじゃ、私も失礼します。お父様が心配していると思うので帰ります。ヤリガサキさんもどうかお気をつけてくださいね!」
美羽は自分の前にある伝票を取ってレジに並んだ。そして、レジで「すみません。二つ目のコーヒーは要りませんのでキャンセルしてください」と告げたのだった。
***JPスター芸能事務所合宿所***
裕星は夜遅く合宿所に戻ってきてからも美羽のことが心配だった。
どこの馬の骨とも知らない男に振り回されている美羽にもし何かあったらと。
自分があの男の素性を付きとめようにも無理があった。一日中美羽と居られるわけではないからだ。
――よし、明日は朝の会議の後、午後からは何もない。俺のソロの歌詞の続きを考える時間にしようと思ったが、急きょ美羽のところに行こう。
そう決めて、裕星はベッドサイドの明かりを付けて天井の照明を消した。
翌朝、リビングのテレビから朝のワイドショーが流れていた。陸がつけっぱなしでいったのか、誰も観てはいなかった。
裕星が何気なく見ていると、司会者が最近の事件や事故についてゲストに解説しているところだった。
<──ええ、こういった悪質な事件は本当に後を絶ちませんね。この方も無念でしょうね。僕もドラマはよく観ますから、彼の事は知っています。
彼はまだ若いのに最近独立されたばかりでしたよね? なんでこれからというときにこんなことが……>
耳に入って来た司会者の言葉は、誰か俳優が無念の死を遂げたという内容だった。
裕星は焼きあがったトーストを
<まだ犯人は捕まっていないようですね。警察は何をしてるんですかね?
この方は、1日の夜に駐車していた自分の車に向かっていたときに、後ろから来た車にひき逃げされたんでしょ? あの大きな歩道にあれだけ人がいて普通信号無視でひき逃げしますかね? これは故意の犯行に思えますが、山田弁護士、どう思いますか?>
<――まあ、現状から見て、当日は土砂降りの天気で視界も悪かったですし、事故とも事件とも取れますから、この状況だけでは何も言えませんね。この場所、恵比寿からすぐ近くの交差点で、
人通りも多いし、車もこの時間結構通っています。なのに天気のせいか目撃情報がなかなか得られないというのは……。傘もさしていたでしょうし、特に最近の人たちは歩きケータイが多くて他人ごとに無関心ですからね>
<それに、この俳優の
本当にヒドイですよね! 犯人は自分が轢いたことを絶対分かっていますよね? それで逃げるなんてねえ。人間として許せませんね!>
<――坂口さんは頭部骨折と内臓破裂で即死だったらしいです。救急車が来る前にはもうすでに息を引き取られていたとか。
付近には車のフロントガラスの欠片が飛び散っていたらしいですが、大雨のせいでだいぶ流れてしまったようですね。ただ、交差点付近の防犯カメラもチェックしてるでしょうし、未だに犯人について何も分からないのはどういうことかと……>
ワイドショーはまだ延々とひき逃げ事件の犯人を巡って意見が飛び交っていたようだったが、そこまで観ると、裕星はリモコンでテレビを消し、玄関の車のキーをガチャリと掴んで外に出た。
美羽にはだいぶ前にメールを送っておいたが、返信がなかった。きっとまだ仕事中で気付かないのだろうと漠然と考えていた。
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