堕天

楓トリュフ

第1話 調査報告書 1


とある目録と思う。


 贖罪とは何層に分かれ解釈に困るのです。


 調書を付けていた私は何時しか彼の語り口に自身を重ねておりました。


 昭和の初頭だったと記憶しております。紙面を賑わせた罪人は容姿も淡麗で生まれも育ちもよく、逮捕の際には冤罪だの公安の陰謀だのそれはそれは酷い言われようで、恩赦の請願や将亦はたまた恋文などが勾留所の郵便受けに溢れたものでした。




 山林にて発見された変死体は干からびた身体に艷やかな唇の女だった。その静かな亡骸は苔むした渓流の端にひっそりと眠っていた。

 死亡時期は不明。衣類の損傷は無く真新しい婦人服と合皮の滑らかな鞄。死後数日、否、数時間とも見えた。当時、鑑識を担当した者によれば奇妙な点が他にもあったという。


「堆肥が出来ていたんです。」


 河原の硬く大きな石の上に横たわる亡骸を運ぶ際その背中の下は薄く土壌が形成され小さな芽が生まれていた。そればかりか、ミミズや名も知らぬ小さい幼虫が土に蹲っていた。


 仮にそういった場所だとしよう。


 たまたま風土に晒され雨水に濡れ幾度の季節を石の上で土壌を築いた場所があったとしよう。その上に遺体を放棄し数時間。


 ありえるのだろうか。私は資料を見ながら想像した。しかしながら、どうしても想像がつかない。

"たまたま"や"偶然"などで片付けられる話なのか。


 白熱灯が明滅する取調室。聴取に入る前に精神科の医師に告げられた事。


「彼の言葉に呑まれてはいけない。決して興味を抱いたり、ましてや感情移入をしてはいけない。彼には独特の気質がある。長年、心療医をしているが彼は異質だ。怪異と呼んでも大袈裟ではないだろう」


 忠告の意味を理解した時にはもう手遅れだった。


 西村 楓。


 言ってしまえば猟奇殺人犯である。恋人の生き血を吸い絶命させた。ただ、その容姿や口調はまるで宣教師やら坊主のようで崇高な光を纏い、懐疑主義の私でさえ魅了される。


「人は何を求めて生きていますか?」


 彼の問に思考が傾いてしまった。


 刑事達は彼の問に耳を傾ける事なく、胸ぐらを掴み顔面を殴打した。被害者の痛みを知れ、残された人の痛みを知れ。などと怒号を挙げ、ただただ暴力によってねじ伏せようと怯えているのが透けて見えた。

 人は時として自分の常識に合わぬ者を排除する。それは自己防衛の単純な反応である。深層心理では共感している事でも表立って口にすることはなく、ましてや行動に移すなんてしない。


「質問を変えましょう。人は何で構成されていますか?」


 虚ろな目は私に向けられていた。赤い鮮血が垂れる口から何が語られるのか。私は求めてしまっていた。


「水です」


 無骨な拳が動きを止め、私を振り返っていた。マジックミラーの裏で見ていた精神科医がブザーを二回鳴らし、取調室の黒電話がジリリリと鳴いた。

「はい」と吐き捨て刑事は部屋を後にする。




 換気扇が外気に押されクルクル回っている。

 静かな暮の昼下り。切り取られた四角い部屋に彼は佇んでいた。


「御名答」


 こちらを見るとでもなく呟く。


「大学はどちらですか?」


「帝都大学です」


「どうりでお察しが良い」


「僕は中等教育もろくに通っていないんですよ。お恥ずかしい」


 参考資料に照らしても嘘はなかった。滲み出るインテリジェンスは環境によるものなのか。


「愛していたんです」


 淡々と語られる日常は割愛する。


「では何故、殺害に至るのですか?」


以下、西村の返答。


 人は思考の発達と反比例して感情を抑圧するものです。僕自身そうであるのだから。なぜでしょう。もっと自由な意志で生きてみたいとは思いませんか。


 第一に感じる場所は、心です。それは至極単純な感覚。


"好き"か"嫌"それだけです。


 芽生えた感情に理由を付けたがるのは思考です。

言うならば脳みそですね。大概の場合そこで解決策を模索する。


「だけどね」天井を見上げ涙を流す。


 腑に落ちないんですよ。


 何故なら、心で感じたものは本来、下に落ちる物なんです。


腹を立てる。


腹を割る。


腹を決める。


 上じゃないんです。腹なんです。


「今日はここでお仕舞です」



 去り際に彼は呟いた。


 水は感情の代弁者です。

涙も熱くなる血潮も、快楽の愛液も感情で溢れ出すんです。それが人を構成しているなんて素敵じゃないいですか。



何を言いたいのか分からない私は調書に日付と一言、愛情と付けた。




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