第15話 鴨井葛葉 5


ーーこれまでのあらすじーー


昭和初頭のとある山林で変死体が見つかる。

干からびた若い女性だった。着衣に乱れはなく真新しい婦人服に合皮の鞄。艷やかな唇が美しくも不気味な死体。


被害者は鴨井かもい 葛葉くずは

容疑者は西村にしむら かえで




証拠不十分ではあったが、近くの山小屋で発見された西村楓を容疑者として確保するも、事情聴取の際に担当していた宮乃執務官が西村を鉛筆で刺すという事態が発生し、未だ未解決となっている。


なお、この物語は当時この事件を担当していた

元警察庁執務官 宮乃みやの 鋳織いおり氏の残した調査記録及び手記を参考にしたものである。




『堕天』




 時の過ぎる速度は早く気がつけば周りの客は一人また一人と減って奥座敷の二人を残すばかりであった。


「申し訳ありませぬが、そろそろ終いの時間で御座います。」


 女将が笑顔で顔をだす。恋の話はお宿に戻ってからと言いたそうな気配に我に返る。


「あら、憚りもせず御免なさい」沙織がそそくさと身支度をする。


「葛葉様、御暇おいとまいたしましょう」

促され立ち上がる。名残惜しいと女将に告げると、厨房から亭主が挨拶をしに来てくれた。


「今宵は御来店、有難う御座います」


「此方こそ、美味しい金目鯛を頂きまして、有難う御座います」


「つかぬことをお伺いいたしますが、もしや鴨井葛葉様でいらっしゃいますか?」


 亭主の問に驚き「はい。鴨井で御座います」と答える。


「やはりそうですか。葛葉様と呼ばれる声にもしやと思いまして。いやあ、美しくなられて」


 亭主は目を細め前掛けを外し、深々とお辞儀をする。


「もう十五年も前です。私は料亭かもいで修行をさせて頂いておりました。小さかった葛葉様がこんなに立派になられて嬉しゅう御座います。ご来店頂けるなんて、ご縁に感謝致します」


「あら、そうでいらしたの。まあ素敵なご縁ですわ」


 壁に掛けられたお品書きに"小料理はまな"とある。

私の視線に気づき慌てて亭主が続ける。


「申し遅れました。浜名はまな 与一よいちと申します。旦那様、奥様、皆様方はお変わりありませんか?」


 庭先に咲く紫陽花を思い出した。ようちゃんと私は呟き、小さな傘を差し出した。

 白い割烹着の若者がまかないも食わずに蝸牛かたつむりを膝を抱えて突付いている。大きな男も泣くのだな。御父様も泣くのかな。小さな胸の内がちりちりと燻った。

 傘の下で、ようちゃんは「俺の店が出来たら、食いに来いよ」と言う。「うん」と幼子は頭を撫でた。




「葛葉様、お宿までお送り致しましょう。どちらのお宿でしょう?」

与一の心遣いにかぶりを振る。


「お恥ずかしい話、今晩のお宿が手配出来ずに」


 沙織の言葉に、夫婦は目を合わせる。口を揃え朗らかに「狭い家ですが、お泊まりください」と言う。半ば強引な沙織のやり口に引っ掛かる所はあったが、私達はお言葉を有難く頂いた。




 行き交う人の縁

 繋ぐも解すも

 天の知るところ

 川面を流れる笹舟を 

 重ねし眠る夢枕


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