第12話 鴨井葛葉 2


 姿形も知らぬ貴方様。男とも女とも分からぬが、巻末に挟まれし一枚紙に恋焦がれ自分はどうかしてしまったのかと、石畳の小路をひたひた歩くのでした。


「葛葉さま?葛葉さまー」

心此処に在らずとはよく言ったもので、飛び交う蝿のやうに、眼前に手を翳す沙織の心配症を引き出してしまう。


「どうなされました?」


「どうとは?何も在りませんよ。それよりお宿は有りましたか?」


 抑揚の無い声を出しておきながら、何も無いなどよく言う。私は魚の骨が喉奥に掛かる思いに戸惑い言葉で表現出来ずにいた。


「それなら良いですが。知らぬ土地というのは、勝手が分からぬものですね。行楽の季節でも無いのになかなか見つかりませぬ」


「お宿が無いのですか?」


「はい。申し訳ありません」


 逢魔時の足は速く、宵の口がぽかんと空き、暖簾に橙の灯りがぽつりぽつりと周囲を囲んでゆく。

 煮付けの甘い匂いと、賑わい始めた石畳の足音に誘われ、ここで考え込んでも仕方がないと連れ立って飯屋の暖簾をくぐる。


「いらっしゃいまし」


 女将の威勢の良い声に先程までの心持ちは何処かへ姿を晦ます。決して広くは無いが調度品や備前の一輪挿しが店主の趣きの良さを感じる。


「旅のお方ですか?お疲れでしょう。よろしければ奥座敷へどうぞ」


 お気遣いに感謝し奥座敷へ座る。畳が正方形に並ぶ座敷は不思議な空気が漂っていた。


「変わった畳ですね」


「琉球畳で御座います。亭主が此方に出掛けては買い付けてくるのです。全く困った趣味で」


「あら素敵なご趣味。お料理も楽しみ」


 物腰の柔らかい女将にどこか懐かしさを覚え話が進む。漂う甘い匂いが一層深くなる。


「いい匂いですね。お魚の煮付けですか?」


「とても良い金目鯛が入りまして。お持ち致しましょうか?」


「金目鯛ですか。それは是非頂きたいわ。ねぇ。沙織、良いでしょう?」


「勿論で御座います。天は葛葉さまを金目鯛に会わせたかったのでしょう」


 かしましいやりとりに浮き足立つ。たまの不運が好転するなんて素敵な夜だ。


「お銚子も付けて下さいな。なんだか楽しくなりそうね」


「それでは暫しお待ち下さい。どうぞごゆるりと」


 旅の醍醐味などと笑いながら沙織と夕飯を楽しむ。無防備になった心が微かな光を伸ばす。

 懐から、一枚の紙を取り出し広げる。


「先程の古本屋で見つけた物なの」

私の指先に沙織が視線を落とす。私は事の顛末をぽつりと話す。


「まあ。恋文でしょうか。素敵なこと。宛名が無いからわかりませぬが、恋人に送ったものでしょうか。それとも……空詩くうしでしょうか」


「くうし?」


「そうです。空想の状況を綴る詩。空詩と呼ばれていて書き手が無意識の深層心理に映し出した風景や人物を書き紡ぐ詩の手法です」


 


 金目鯛がお膳に運ばれてくる。温かい匂いと恋心が優しく包む。







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