第11話 鴨井葛葉 1


 帰省の汽車は予定時刻になっても一向に到着せず、見知らぬ町を散歩する。石畳の駅前通りを進み、里山を背に柳の枝は靭やかに流るる川面に掛かる橋は三津川橋みつかわばし


「葛葉様、そんなに急ぎ足では息がきれます。お体に宜しくありませんよ」


 付添の沙織さおりいささか心配性に過ぎる所が玉にきず


「なんです。沙織、麗らかな日差しに心が弾むじゃありませんか。汽車が来ぬのも思召おぼしめしかしら」


 家業は新境町しんさかいまちの呉服屋にあり、明治の頃より西都せいとに屋敷を構え、宿屋、飯屋と今や使用人の数も百と五十を越え鴨井の名は貴族院にも届き、父には議員のお誘いも有るとか。


 母方の祖母に会うため東へと進む旅路。その折、偶然立寄り至る町。中央に清龍川が流れ山の中腹に社を抱く不思議な趣きの町。


「葛葉様、私は今夜の宿を手配に参ります故、余り遠くへ行かれては困りますよ。ほら、あちらに古本屋が見えます。暫しお邪魔してお待ち下さいな」


 指し示す方を見やれば、陰日向に一件の古本屋が静かに佇む。「あら。素敵な佇まい。承知しましたわ。お邪魔させて頂きましょう」

 


 軒先に小さな黒猫が丸くなり、傾き始めた陽光が斜めに店内にそそいでいた。「御免下さいまし」返事は無く、静寂が包む。

 そろりと中に入れば、整えられた本棚には文庫から美術書、奥座敷には掛け軸に洋書まで雑多にそれでいて店主の趣味の良さが滲み出ていた。


 指先を這わせ、手に取る一冊。するすると読み進み本棚に戻す時に、はらりと一枚の紙が落ちる。

 そこには一編の詩と住所と西村楓と記されていた。


西村にしむら かえで

 

 不意に口にした名に、涙が溢れ気が付けば懐に仕舞い込んでいたのです。



まだ見ぬ貴女よ

夢見に佇む夜

焦がれし想いは泡となり

打ち寄せる波に溶ける月

僕の心臓に灯す光よ

混ざり果てるまで

貪り狂う

飛沫をあげて








 



 


 




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