第5話 純心、故に 1
足の指がぢんぢん痛い。血流が帰る時の何とも言い難い鈍痛に目覚めが悪いく、あゝと溜め息を漏らし見つめる白いペンキ塗りの天井の薄ら寒さよ。
煎餅布団は頼り無く覆い被さり一層惨めな気分となるのでした。
「一酸化炭素中毒だ。宮乃、薬缶が空炊きになっていたぞ。注意せえよ」
署長が去り際に此方を振り向く「じゃあ、先生、後はよろしゅう」
「はい。お任せ下さい」
キイッとパイプ椅子の軋む音に白衣が揺れる。机に向かい背中越しに私に問う。
「宮乃さん、ご無理なさらずにね。ただでさえ過労が過ぎる職務ですから」
長い髪を一つに結びカルテを書く後ろ姿、
「担ぎ込まれるなど、お恥ずかしい」
「いいえ。何時でもお待ちしておりましてよ」
屈託のない笑顔に心拍数が上がる。耐性が無いとは全く呆れてしまう。
「職務ですからね」
「そ、そうですね。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
取り繕う様に唇を噛み、それでも何か話題をと口走る。
「西村は大丈夫だったのですか?」
「ええ。先程まで別室にて診察をしていましたが特に問題も無く、大人しく留置されていますよ」
「ああ良かった」自分で呟いておいて、少し悔いた。
「お優しいですね。宮乃さんは」ほら見たことか軟弱が露呈してしまう。
「職務ですから」ふふふと浜名氏は笑った。
起き上がろうとすると、幾らか目眩がし、ベッドから転げ落ちそうになる。そう急がずにと、焙じ茶を頂く事になる。あゝ情け無くて己が憎い。
「御婦人方は西村の何に惹かれるのでしょう。郵便受けに恋文が投函されるなんて前代未聞ですよ」
「色男ですからね。彼」
「浜名先生も、好いてしまう?」
「さあ。どうでしょう」
「不思議な魅力はありますが、何か欠落している気がして。先程も、恋人の姓も知らぬと申すのですよ。どうも解せない」
「あら、素敵じゃないですか。姓なんて家名に過ぎませんよ。其程、好いていたんでしょう。盲目にね」
湯呑に口を窄ませ息を吹きかける口元が何を言いたいのか分からぬから私は童貞を二十五になっても保持しているのだろう。
「宮乃さん、私の名前をご存知で?」
「嫌だなぁ。勿論存じておりますよ。浜名
「あら、ご存知無いのかと思っておりました。一度とて翠と呼んでくださらないから」
咄嗟にでる一言の重き事よ。言葉は想いが溢れ漏れてこそ命が宿るのだと、焙じ茶を吹きながら思うのでした。
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