第4話 調査報告書 4


 落葉が積もる朱色の山道。渓流のせせらぎに横たわる愛しき人。追憶の鎮魂歌。最期に映る僕はどんな顔をしていたのでしょう。


「毎夜、思うよ。何故、僕は生きているのか、葛葉くずはは笑っているのか」


 調査書類の一頁目にその名はあった。


 鴨井かもい葛葉くずは


 水分の抜けた亡骸の魂。西村とは恋仲にあったのだろうか。生まれも育ちも現住所も二人の関係を裏付ける接点が全く無かった。何処で知り合い何を語らい死に至るまで二人は何を思う。


「後悔しているのですか?」


「馬鹿を言うな。後悔などするものか」


 鉛筆を握り、先端の行く末を模索する。神経質な筆跡を遡及し目で追えば愛情の二文字が酷く見窄らしく思え、謂れのない自己嫌悪が押し寄せてくる。


 私は今迄、両の指に余るほどの調書を書いてきた。轢き逃げ、火付け、人攫い、無銭飲食から人を殺める蛮行まで多岐に渡る。すべからく職務とし淡々とこなした。然しながらどうだ。西村の案件については一向に筆が進まない。

 

 事件の内容は言うならば痴情の縺れによる殺人。ただそれだけなのだ。極めて残忍でも無ければ猟奇的でも無い。それ故、違和感を感じざるを得ず、それに加え西村から放たれる慈愛が私の心を狂わせるのだ。


「宮乃くんは、孤身こしんかい?」


「母と暮らしています」


「お父上は、御存命で?」


「物心ついた頃には、徴兵に満州へと向かい、母が言うには安否は分からぬと」


「それは、難儀で。すまぬな」


「いえ。昔のことで私には普通ですから」


「普通か。」


自利利他じりりたの最たるものだな。軍人と云う者は」


「嫌いですか?」


「否、気を悪くせんでくれ。僕には真似を出来ぬという話だ。日々鍛錬を重ね、会ったこともない君主に忠誠を誓い、隣人の盾になり死をも厭わない。なんてな」


 西村の言葉は、口調こそ砕けてはいたが、茶化す訳では無く私の指先に細い棘が刺さりぽたりと血液が帳面に垂れた。紙の繊維を毛細血管のやうに繊毛が朱色に広がってゆく。

 ぐずずと鼻を啜る彼は、心に何を飼っているのだろう。獰猛ないたちか自由な極楽鳥か将亦はたまた、涙化粧の道化人形か。


「鴨井さんとは、何処で知り合ったのですか?」


「鴨井?」


「鴨井 葛葉さん」


「そうか。葛葉は鴨井という姓なのか」


「知らなかったのですか?」


「知らん。そうか。鴨井、鴨井、鴨井」目を瞑り、譫言うわごとのやうに反芻はんすうする。


「文を頂いたのだ。葛葉は達筆でな。便箋はいつも薫衣草ラバンジュラの香りが穂のかにする」



 ジリリと取調室の白熱灯が明滅した刹那、私の視界は暗転した。不躾にドアが開く音と共に、複数の革靴が歩き回る。両脇を抱えられ私は朦朧とする意識の渦に呑まれ医務室へと担ぎ込まれたのでした。












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