第17話 愛染明王 2


 陽光眩しく雲間に筋。5ツ半に宿を立つ。

 高野山に向かう旅路は行楽の群れに賑やかだ。改めて昨日の宿無しの訳を知る。


「これでは、何処も満室に違いありません」


 西通りを行き交う人の群れに紛れ、参拝へ向かう足も心做しか速くなる。半刻ほど歩くと金剛三昧院こんごうさんまいいんの立て札が見えてきた。 

 急ぐ旅でも無いと、目についた茶店に立ち寄る。


「葛葉様、お疲れでは無いですか?昨夜は起きてらしたのでしょう?」


「まるで、幼子ね。胸が高鳴り眠れないなんて。心配ありませんよ。朝食も沢山頂きましたから」


 ふたりの傍らにお茶とみたらし団子。甘味は別腹とは良い言葉だ。恋煩いは食が細くなると沙織が茶化す。南風が甘味処の赤い旗をはたはたと揺らしていた。


愛染明王あいぜんみょうおう様もきっとご縁を繋いでくれますよ」


 団子を頬張り筋雲を見つめた。まだ見ぬ楓様は一体どんなお姿なのでしょう。想いに耽けども色気より食い気の私を沙織が笑う。


「随分、道行く人も疎らになりましょう。さて参りましょうか」


 石楠花しゃくなげの蕾は若葉に寄り添い淡桃の花弁の先が僅かに顔を出す。

 石垣を抜ければそれは見事な景色であった。

 春を待つ凛とした空気が参道に伸び、野鳥の声がルリリと新緑を切り抜いた蒼空に響く。

 町役場で見た裳階もこしは多宝塔といい、植栽の鮮やかさと対照的に燻し色の屋根と深い朱色の造り扉が静かに佇む。絵画に描ききれぬ余白と今という時間に沈み込み、水面を裸足で歩く感覚がした。


 招かれる如く、本堂に近づくにつれ高鳴る心は不思議と平静になってゆく。対面した愛染明王様に私は絶句した。

 獅子を被り、六本の腕には弓。御尊顔といえば見開いた三つ目。

 私の想像とは掛け離れたお姿に己の浅ましさを痛感した。その刹那、心に語りかける御言葉の有り難さに涙が零れ落ちた。


 「慈愛とは優しい物だと考えていた自分が恥ずかしい。強く護りぬく御覚悟がお姿に現れているのですね。羽衣を纏う柔らかさしか知らぬ生き様に活を頂いた心持ちです」


 涙を堪える私の肩を、優しく沙織が擦る。


「葛葉様がここへ導かれた意味が分かります。私も心配癖で葛葉様をお嬢様扱いをしていた事に御言葉を頂きました。もう立派な一人の人間で在ると」


 人目憚らず鳴く雲雀

 春風響き渡る

 道草の引き合わせ

 天に放たれた白羽の矢

 射止め堕ちる

 堕天の貴方






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