第22話 居候 5



愛され方も知らず

焦がれ暮れる

乾いたインクと紙の束

乱雑に並ぶ書物

書手の人生と感情が織り込まれる

縦の糸 横の糸

紡ぐ言葉と予測不可の行間

雨戸を開けば

東の空が朝露に反射する




「いい加減、帰ったらどうだ?」


 花山老はなやまろうの朝の挨拶は不躾なものだ。古本屋の店番など要らぬ。そう言われ続けても座敷の卓袱台には朝飯が二人分用意されている。


「なあ、楓。物書きがしたいなら、物書きの家に行くなり劇場に行くなりしたらどうだ?」


「先生、僕は物書きじゃ在りませんよ。こうして本の匂いを嗅ぐことが好きなだけです。」


 言葉に偽りは無い。本の匂いが好きだ。綺麗な異国の風景、偏見に満ちた思想、医学書の死生感、怪奇な幽霊も、赤裸々で生々しい欲望…

 1冊に閉じ込められた文字数だけ作家の血が流れている。この狹い書店に何百、何千の人間の言葉がひしめき合う。

 陽光に包まれ微睡む未の刻も、盛りのついた猫が絡み合う丑の刻も変わらず、淡々と捲られる事を待っている。

 

「僕は人間が億劫でして」


 先生は芋を箸で掴もうとして、ぽろりと逃がす。


「呆れたもんだよ。儂は人間では無いとでも言うのかい?」


「同胞です。先生と僕は。言ったでしょう、僕は嗅ぐことに秀でているのです。魂の匂いがね。僕達は同じむじなですよ」


 卓袱台に転がる芋を、ひょいと口へ放り込む。苦笑いする先生に小鉢を差し出す。


「落ちた芋を師匠に食わせるほど、出来損ないじゃありませんよ」


 近所では偏屈と揶揄される老人と根無し草の猫は世間と折り合いを付けて暮らしている。

 互いに素性を話すことも無く、凪の日常を装い生きている。


 そうだそうだと、花山老は立ち上がり仏壇に手を合わせる。三つ並んだ茶碗は絵柄は違えど、どれも桃色だった。

 ここへ来て半年になるだろうか、ずっと気にはなっていたが、触れずにいた茶碗を僕は不思議と問うてしまった。


「先生、ここにはずっとお一人で?」


ちーん、ちーん、ちーん。


三つのおりんが、空気に波紋を放ち、やがてすうっと溶けていく。


「嫁と嫁と嫁がいた。もう、随分昔の話だ。写真も無ければ、お骨も無い。みんな同じく海に撒いてやった。誰とも籍は入れとらんがな。あんなもん、ただの便宜上の物だ。こんな儂を好いてくれ、儂も好いていた。それだけのことだ」


「好いとるとは、どんな感情ですか?僕には理解が出来んのです。言ってしまえば、先生と過ごす日々が心地良いならば、好いているとなるのでしょうか?」


「まてまて、儂は男色の気はないぞ」

慌てて尻を手で隠すしぐさに米粒を吹き出した。


「僕だって、男色の気は在りませんよ。ただ、育った家が居心地が悪く、ここでの借りぐらしが心地良いと思う初めての場所なのです。故に、先生の事を広義で言えば好いとると言うのです」


「まぁ、広義で捉えれば、儂もお前も同じ貉だからな…」


 朝飯時にする会話では無かったと、味噌汁を黙って啜った。

 湯を沸かし、茶を入れる。狭山の古い友人に頂いものだと先生が「茶と言うものはな…」などと散々に蘊蓄うんちくを垂れる。


「今日は、その友人と出掛けてくるで、店番はよろしゅうに」


 鞄と帽子を用意し見送る。「はい、ごゆっくり」先生が店の軒先から出掛けに振り返る。


「そういえば、お前に客人が来るやもしれん。狭山の茶を出してあげなさい。儂は今日は帰らぬで、よろしゅう伝えてな。」


 さようならばと手を降る後ろ姿に、「お気をつけて」と頭を下げるが、はて自分に客人とは皆目検討も付かぬのでした。

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堕天 楓トリュフ @truffle000

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