第2話 調査報告書 2

 告げられた問答は、眠りに落ちる隙きを与えず私の頭を埋め尽くしました。罪人の深層に咫尺しせきしてはならぬと思いつつも結局は一睡もできず、手弁当を携え職場へと向かうのでした。




 机の下に豆炭を詰めた足炬燵あしこたつで凌ぐには無理があると、皆口々に言うもので始業前に取調室にストーブを運び込む。12月とはいえ早過ぎる大寒波に寒がりな私は白い溜息をつく。

 朝礼に野崎のざき刑事の姿は無く、無遅刻無欠席の健康が売りの野崎氏が無断欠席とは珍しく署長は「今年の寒波は鬼も寝込ませるのか」と努めて冷静であったが、私は妙な胸のざわつきを覚えた。心内では因果応報と意味付けをしてしまう自分が薄ら寒い。


宮乃みやの、今日からお前が一人で西村の事情聴取をしろ。別室から監視は続ける。以上、では本日も気を引き締め各自任務にあたれ」


「はい」


 突然の任命に暫し呆然としたが、状況は昨日とさほど変わらず、寧ろ西村との対話が継続出来る事に感謝していた。

 取調室へ向かう途中、配膳台に並んだ皿に粥の薄膜。一枚だけのそれは西村の物だと思った。


「いかん、いかん。何でも彼の仕業だと思ってしまえば、天候もぶつけた小指の痛みさえ彼と結びつけてしまうじゃないか」


 焦茶色の廊下を歩き節目の数を指折り、窓枠の結露を人の顔に置き換え、取調室のドアを開くにも右手か左手か、添える指の本数も気になって仕方がなかった。ストーブの温もりが私に安堵を与える。神経の過敏になった指先に血液が循環を始め、じんじんとした感触に浸る。燻銀いぶしぎん薬缶やかんから湯を注ぎ茶をすすれば喉から胃までの線が引かれた。


「西村 楓、入室します」執行官の声に私は現実に引き戻される。


 手錠に手綱をくくられ西村が入室した。

前を見据え座る姿は、背筋も美しかった。昨日、殴打された頬は薄紫色と幾らかの緑色になっていた。 それでも淀みない瞳に私は呑まれそうになる。


「それでは、宜しくお願いします」


 ドアが閉まり廊下を歩く音が消えゆくまで聞こえるほど取締室は静寂だった。

 立ち上がり聴取を始めたいのだが、己の足が腕が記憶を失ったように微塵も動かない。向かい合ったまま小さな窓を背に西村は微笑んでいた。


「構造がよろしくないですね」西村が先に呟く。


 私は慌てて台本通りの台詞を吐く。


「引き続き、事情聴取を始めます。なお、黙秘権があることはご存知でしょうが念の為。但し、虚偽の返答はお控え下さい。」


「ご心配なく」


 笑顔を絶やすことなく語る口調は穏やかで、それが西村を覆い尽くす薄膜そのものだった。

 努めて淡々と調書に日付を書き込む。事務的に雛形通り進めていく。

 精神科医が予め用意した質問事項を問うては西村が答える。

 そうして半刻も過ぎた頃、唐突に西村が質問をしてきた。


「朝食は食べましたか?」


「はい」


「食べ終えた茶碗の内側の柄を覚えていますか?」


「茶碗の柄……」


西村は答えを待たず、語り始めた。


 茶碗なり皿なり、手に入れたときの愛情を溢さず、欠けたときには再生を願うものです。継ぎながら。人の縁もしかりです。


「あの皿も欠けていたと…」私の横槍にくすりと笑う。


「否。見ていません。表面を見たくないので粥を少し残すのです。癖ですかね。」


 

 窓際の西村が逆光に晒され黒くなる。輪郭線が金色の膜となり一層眩く見えた。物事の真髄の針は幾重に層をなし突いては痂になり覆い隠す。風に揺らぐ蝶のやうにひらひらと私の浅知恵を潜り抜けた。


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