第20話 居候 2


芽吹きと共に 

這いずり回る蟲たち

美徳な蛾は蝶をおしのけ

蜜吸う

アネモネ


 明治の頃より新境町しんさかいまちの壱番通りに鴨井の邸宅が鎮座している。

 多津奈川たつながわに沿って、黒壁が並ぶ城下町に本家の呉服店。宿屋が二軒、更には料亭かもいが伏見ふしみも合わせると五軒ほどあった。


 主人は鴨井大吉かもいだいきち、妻はハナという。

 鴨井家は明治の頃よりこの地で商いを始め、大吉の代になってからは、料亭を始め益々の繁盛をしていた。一人娘の葛葉は文字通りの箱入りで外泊をさせるのも今回が初めてのことであった。




「おかえりなさいまし」

くだんの大逆事件の会合から帰った大吉はハナの言葉に耳も貸さず、捲し立てる。


彼奴きゃつら、帝都に進軍したらしい。鉄道に爆薬を仕掛け陸軍本部と睨み合いだ」


 黒縁眼鏡の奥、鋭い眼光に背筋が泡立つ。かつての優男は面影もなく冷たい熱を帯び青い炎が瞳を濁していた。


「私には、難しいお話はわかりませぬが、お疲れでしょう。湯を沸かして有ります故、どうぞお休み下さいな」


「葛葉はどうした?顔も見せず。旅疲れで寝込んでいるのではあるまいな?」


「それが、先程のお話にあったように、汽車が止まって行くも戻るも難儀だそうで」


「なに?八椚やつくぬぎにも影響が出ているのか?まあ、帝都が大騒ぎしている以上、鉄道も機能不全だな。暫く、義母様おかあさまに預けさせて頂こう」


「いや、母上様の処には居らんのです…」


「では何処に居るのだ?」


「大里町の与一の処に世話になっております」


「なんと、与一とは、また懐かしい名だ。そうか、そうか旅の縁とは面白いものだ。沙織も一緒だ。心配も無かろう」


 ふと綻ぶ、優しい表情にハナは安堵した。最近の大吉は交友関係が政治だの思想だのに傾き、別世界の人間のやうに感じ、憑き物に喰われそうな危うさを纏っていた。自分は扠置き葛葉まで無関心になっては仕舞わぬかと漫ろにいたのだ。


「葛葉が戻ったら、話したい事がある」


「はて?お話とは?」


「縁談だ。淀川先生の御子息でな。勇ましい志の若者よ」


 ハナの目から見れば、大吉の心境は霞がかかっていた。縁談という言葉は本来明るい意味合いを含むものだ。然しながら上機嫌な大吉が恐ろしく感じてしまい、ただ「結構なお話で」と相槌を打つことしか出来ずにいた。

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