第16話 風の向くまま(2)
翌朝、マタザブローは約束通り、駐在所に現れた。
場所はアイに聞いたのだろう。起きた姫川がゴミ出しのために裏口を明けると、体長八十センチにもなる大きなキジトラが座っていた。姫川は一瞬硬直したが、そのまま戻って二階のミケを呼びだし、そのままゴミ出しの作業を再開した。
二階に連れて上がろうとする際に、ミケに
「ずいぶんと大きなお友達じゃない」
と声をかけた。
「ボス猫のマタザブローだ。二階を借りるぞ」
「いいけどあの子、あの大きさってもしかして…」
「その辺も聞いとくよ。知り合ったばかりなんだ」
「そう」
姫川は裏手のゴミの分別を終え、そのまま歩いてゴミステーションに出かけていった。
マタザブローは部屋に入ると、床の間にどっかりと座った。
そこは冷たいだろう、とミケが言うと、
「いや、ヒトから見ると、野良は汚いらしい。ヒトが見てないところでは、下手に色々さわらないのがいいと、他の連中も言ってた」
野良猫とはそこまで弁えているものなのか、とミケは感心したが、チャコはよくわからない、といった顔をしていた。
「とはいえ、ここまでヒトのすみかに踏み込むことはめったにないから、ソワソワするね。その四角いのはなんだい」
「これはコタツというんだ。中は暖かくて、一度入ると外に出たくなくなる」
こっちに入れ、とミケは言いたかったが、確かに今のマタザブローはノミだらけだった。次に来ることがあったら、その時はヒメに頼んで洗ってもらおう。
「へええ。あ、これはわかるよ。テレビっていうんだろ。ヒトとかネコとか色々映る」
リモコンを適当にいじってテレビのチャンネルが変わるところを見せてやると、マタザブローは素直に驚いていた。
その様子をみたチャコが
「わたしもできるよ」と真似をした。
ところが各ボタンの機能を理解してはいなかったようで、ボリュームを最大まで上げてしまい、朝のワイドショーの音声が近所中に響き渡った。
「うわわわわ!」
ミケが慌てて電源を切ると、テレビは怒鳴り散らすのをやめ、静寂を取り戻した。
チャコは今にも泣きそうな目でミケを見ていたが、やがてマタザブローとミケは吹き出し、笑い転げた。それを見て、結局チャコまで笑い出してしまった。
「で、相談って何なんだ?」
ミケがマタザブローに水を向けると、マタザブローはすこし真面目な口調になった。
「…会いたい奴がいるんだ。そいつを探してずっと旅をしてる」
「猫か?」
こくりと頷いた。
「僕の家族だよ。ちゃんと暮らしているか知りたい」
「手がかりはあるのか。どんな街だったとか」
それは大体覚えてる、とマタザブローは言った。だが、人間のように詳細には表現できないだろうし、絵や写真があるわけでもない。
「あのテレビ?みたいに、覚えてることを相手に見せてあげられれば、楽なんだけどな。ヒトの道具にはないのかな、そういうの」
「俺の知ってる限りでは、残念ながら」
ミケは言いながら、確かにそういう装置があれば便利だと思った。特に警察には。
「たしか、ニーガタとか、そんな名前の場所だよ。うまく発音できたかわからないけど」
ミケは意外そうな顔をした。
「え?もしかして、見当違いなのか?」
「いや、わからないけど、暖かい地方じゃないので意外だった」
ミケはもう一度マタザブローの姿を見なおした。彼は明らかに一般的な猫じゃない。
確か、ツシマヤマネコがこんな背格好ではなかっただろうか。
◇◇◇
夜中の二十三時過ぎ、珍しく忙しく働いた姫川は、冷蔵庫から取り出したビールをもって二階に上がった。
「いや~、今日は忙しかったよ。下着泥棒の被害届っていうけどさあ、持ち主がフジさんじゃあ、かえって相手が被害者…おや?」
部屋を覗き込むと、ミケはおらず、チャコだけが寄ってきた。
「ミケは?どこか行ったの?」
チャコと話が通じるわけもない。姫川はコタツをめくって中を覗き込んだが、そこにもミケはいない。
ふと、コタツの上を見ると、ノートPCの電源が入っている。キーを触るとスリープが解除され、何かが書かれたメモ帳アプリが映し出された。
『しばらく たびに でます。 ちゃこを よろしく。 みけ』
姫川はしばらく目を白黒させていたが、やがて何事もなかったように缶ビールを開け、コタツに足を突っ込んだ。
そして自分のスマホをとりだし、PCも画面を撮影した後、ビールを煽った。
「…君のお兄ちゃんは、何を考えているのかな?」
チャコはよくわからないと言った素振りで、コタツに体を埋めた。
「あたしも旅行行きて~。温泉とか…」
独り言を言いながら、リモコンでテレビのスイッチを入れた。
NHKの歌番組が最大音量で鳴り響いた。
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