第32話 風の向くまま(18)
バスの外から重低音が聞こえ、大きくバスが揺れた。
重低音の方向をナナが振り返ると、そこに火柱が上がっているのが見えた。休憩所の裏手あたりだろうか。何かが派手に燃えているが、何が燃えているのかはわからない。残っていた乗客たちは息を呑んだ。
「おい、あれ見ろ」
乗客の一人がバスの右側を指差した。隣のバスの外壁がめくり上がり、その奥から火花のようなものが見える。
「あれ、マシンガンじゃないか」
乗客が棒立ちで暢気なことを言っていると、ふと、その銃口が乗客のほうを向いた。銃口からタタン、という音がして、同時に乗客の頭に穴が開いた。他の乗客は、それを見てやっと事態に気づき、慌てて姿勢を低くした。
「なんだよこれ、俺達を助けに来た警察じゃないのかよっ」
頭を伏せたまま、混乱した様子の乗客がナナに話しかける。
「アタシに聞かないでよ!」
ナナはイライラした様子で、隣に倒れている骸を指差した。
「そこに転がってる奴らに聞いたら?」
乗客は、生気を失った赤い髪の犯人の顔がすぐそこにあるのに気づいて、ひっ、と声を上げた。
その後、たくさんの銃声と爆発音、そして悲鳴が五分以上続いた。
乗客たちは、バスを脱出することもできず、そのままひたすら声を潜めて、静かになるのを待ち続けた。
待ちながら、犯人たちが何を為そうとしているのかを想像した。
バスの外で撃たれているのは、自分たち人質を助けに来ていた特殊班だろう。
彼らは、バスが特殊班に包囲されることを見越して、それを迎え撃つために両隣のバスを用意していた。人質を盾に政府と交渉するつもりなんて、初めからなかった。警察組織と交戦し叩き潰すためだけに、このバスジャックを計画し、このサービスエリアにおびき寄せたのだ。反政府組織「黒いプラスチック」が、日本政府に対して宣戦布告をするために。
もしそうであれば。
自分たちに依頼されたバスジャックの被害者役も含めて、すべてが計画のうちだったのだとすれば。
彼らは口封じのためにも、自分たち人質を皆殺しにするだろう。
軽いアルバイトのつもりだった。金を受け取って被害者のふりをして、ついでに政府批判もできるのなら、自分たちの生活を追い詰めている政府へのささやかな仕返しになると思った。どこかの運動家の集めた小銭をかすめとって、逃げきるつもりだった。
とんでもない過ちだった。そんなうまい話はなかった。
バスのそこかしこから、嗚咽が漏れ始めた。
ふと、周囲が静かになった。
外で、号令のような声が聞こえた。
「確認は終わったかね」
「あとはこのバスの中だけです」
「ふむ。板倉君と田丸君はどうした?」
「何かトラブルがあったらしく、バスから出て来ていません」
「近頃の若者は、本当に口ばっかりだね。一般市民に返討ちとは」
犯人たちの指揮官らしき人物が、バスに乗り込んでくる足音が聞こえた。
乗客たちは、必死に息をひそめた。泣いている場合ではない。ここでやり過ごせれば、生き残れる。
「はて、最後に質問されたあの乗客がいないね。女の子も」
思わず声を出しそうになった。
気付いたら、二人ともいなくなっている。いつ消えたのだろう。
「まあいい。あの二人は面白そうだしね。しばらく楽しませてもらうとしよう」
男は、赤い髪の男の遺体に話しかけた。
「それにしても、板倉君。君は最後までつまらなかったね」
乗客は、ミーティングでも隠されていた、この男の名前を初めて聞いた。
「他人をナチュラルに見下す、自尊心と自己顕示欲の塊みたいな性格は好きだったんだけどね。君が絶望する顔が見たかったのに、駆け付けたらもう死んでいるなんて。残念だよ」
「草壁さん、そろそろお時間です」
バスの外から声がかかった。
「わかったよ。私のぶんのスキーと着替えは出してあるかね」
「もちろんです。お急ぎください。それと」
「何かね」
「その男の名前は
「そうだっけ」
それを聞いた乗客の何人かが、わずかに身じろいだ。
草壁と呼ばれた男は、それを見ていた。
そして「嗤ったね」と言い、死んだふりをしていた乗客全員を銃殺して、バスを降りていった。
◇◇◇
「こちら、警視庁公安の相馬だ。千葉県警の忘木と一緒に阿賀野川サービスエリアに現着したので、現況を伝える。
バスジャックの犯人、乗客、福島県警、機動隊員、マスコミ並びにサービスエリアに残った従業員が負傷。
約70名ほぼすべてが死亡していると思われる。実行犯らしき人影はなく、サービスエリアは無人となっている。
あとの報告は忘木にかけさせるから、本部長につないでくれ」
現場を相馬が淡々と電話している後ろで、忘木もスマートフォンを取り出して、福島県警に電話をかけた。
スマートフォンで現地の動画を見せられれば良いのだろうが、と忘木もさすがに思ったが、どうせ県警の応援も、それほど間を置かず駆けつけるだろう。それまでにできることは、救急の数と現場の安全を知らせるくらいしかない。
凄惨な現場だった。
サービスエリアの建屋に入ると、すでにそこから十名以上の死体が転がっていた。
外にでて目に付くのは、三台のバスの周辺に転がる特殊部隊の死体の山。そこから周囲を見ると、雪の中にもいくつかの死体が埋もれている。近づいて確認すると、TVカメラマンだった。他にも、追い立てられて背中から撃たれたもの、食堂の厨房まで追い立てられて自動小銃の掃射を受けたもの、後ろから首をナイフで裂かれたもの。戦争国で襲撃を受けた村だって、ここまで徹底的な虐殺はないだろう。
何やら電話先と揉めている相馬の後ろを離れ、忘木は意を決して、バスに向かった。
両脇のバスの側面からは何やらSLのように黒い鉄壁がむき出しになっていて、楕円形の穴が開いている。犯人はこのバスで機動隊員を待ち伏せて、一斉掃射したのだろう。中にまだ誰か残っているかもしれない、と頭をよぎったものの、忘木にはまだ確かめなければいけないことがあった。
両隣を武装化されたバスに挟まれて、バスジャックされたバスがあった。
フロントガラスは粉々に吹き飛んでいて、雪が吹き込んでいる。
開いていた前方のドアから乗り込み、ステップを上がると、バスの後方に夥しい数の死体が転がっていた。すべて冷え切っていて、生存者がいるようには思えなかった。
一番手前にあったのが、ネット中継で見覚えのある二人のバスジャック犯だった。片方は腹部を、もう片方は首をナイフで刺されている。なぜこの二人は銃で殺されていないのだろう、と思ったが、とりあえずその疑問は取っておくことにして、他の死体の顔を確かめる作業に入った。忘木は誰よりもまず、三宅将暉の安否を確認しなければいけない。
一通り確認し、全員が死んでいることが分かったが、バスから三宅の死体は見つからなかった。忘木はひとまず胸をなでおろしたが、同時に気が重くなるのも感じた。何としても、三宅の存在を確認しなければならない。
バスを降りて、ふと足元を見ると、雪に埋もれかけた鮮血が、バスの側方に沿って点々と落ちていた。忘木がそれを目で追うと、血の跡はバスの荷室の扉の前で途切れていた。さらに、扉の取っ手の辺りに血がついている。荷室に誰かいる、と忘木は確信した。
忘木は、逸る心を制しながら、荷室の扉をノックした。
「三宅…そこにいるのか、三宅!」
「ニャア」
猫の返事があった。
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