第31話 風の向くまま(17)

「…頃合いかな」

 サービスエリアの小さなお茶を飲みほした草壁が、ぽつりと独り言を吐いた。


 胸元からスマートフォンを取り出し、あるアプリをタップする。

 草壁のその仕草こそがすべての始まりだと、目の前にいた機動隊員は知らなかった。


 ◇◇◇


「銃声!バスのフロントガラスが粉砕しました!中で乗客の抵抗があった模様」

 無線を通じた突然の報告に、現場を統括する福島県警の中田は虚を突かれた。

「突入しますかっ?」

 それが現場の隊員からの要求と受け取った中田は、深く息を吸い込み、覚悟を決めた。

 そして強い口調で一言、「突入!」と告げた。


 命令を無線で受けた隊員は了解と告げ、無線を切った。そして目標のバスを挟み込んでいる二台のバスの影に待機している14名の隊員に、手で合図をした。暗闇のなかで彼らが頷く姿を確認し、伝令した隊員自身も、緊張で顔がこわばるのを感じた。


 その時、どこからか、音楽が聞こえ始めた。

 くぐもった、スマートフォンのスピーカーを通したような音質だった。

 バスの周りの隊員たちが動きを止め、耳をそばだてて発信源を探し始める。

 どうやら音源は二つあり、両側のバスから聞こえているようだった。


 10秒ほど経っただろうか、不意に音楽が途切れた。

 いや、

 それは、無人のはずのバスの中に、誰かがいることを示していた。


「ロックンロール」


 その一言とともに、突然バスの側面の外装が勢いよく開いた。

 すぐそばで膝歩きをしていた隊員たちがそれを見上げると、その唐突な光景に硬直した。

 真っ黒に塗装された内壁に、等間隔に楕円形の穴が開いている。

 そして、それぞれの穴から、棒状のものが突き出ている。

 それは、軍用機関銃の筒先だった。

 隊員たちにそれが何であるかを理解する暇を与えず、各々の銃口が、隊員たちの列に向けて水平射撃を始めた。


 機動捜査隊の隊員たちはジュラルミンの盾を携行していたが、至近距離からの完全な不意打ちには全くの無力だ。盾を向ける間もなく、その場にいた14名全員が体の何がしかの部位を吹き飛ばされ、動かなくなった。


 ◇◇◇


 機銃掃射の音がいったん止まった。

 動くものがいなくなったからだろう。

 中田刑事部長もサービスエリアの食堂に設置された作戦本部から一部始終を見ていたが、この出来事とそれまでの自分たちの行動との因果関係が、全く理解できなかった。

 我々は、バスジャック犯の制圧に向かっていたはずだ。犯人は真ん中のバスの中だ。なぜ両隣の武装化したバスの中から、機銃掃射を受けているのだ。


 伝令を伝えた隊員が、バスの周りの死体の山を指差しながら、泣き顔で中田のほうを振り返った。

 そして次の瞬間、背後からの銃撃を受けて、隊員の頭が吹っ飛んだ。

 中田には、それも含めて現実感がまるで感じられなかった。


「…部長!刑事部長!!」

 そばにいた隊員に耳元で大声を出され、我に返る。

 そうだ、状況を把握しなければ。そして、指示を出さなければ。中田は、混乱するなかで状況を整理しようと懸命に思考を振り絞った。

 あの二台のバスはただのバスではなかった。中に多数のテロリストが乗っていて、バスジャックされたバスを包囲していた機動隊員を皆殺しにした。

 バスジャック犯と無関係なわけがない。

 犯人は二名だけだと思い込まされていた。

 彼らが仲間だったとして、なぜこんなことをする。最初のバスジャックの規模を考えても、後から出てきた武装化されたバスはあまりにもケタ外れだ。なぜそんな武力を投入する必要がある。 

 目的はなんだ。次は何をする。


 ふと、我に返った。

 周囲はパニックだ。食堂で待機していたマスコミや、サービスエリアのスタッフも慌てふためいている。

 考えていてもどうにもならない。ここの指揮官は自分だ。

 被害を最小限に抑えるためにも、まず私が行動しなければ。


「状況…状況を報告しろ!落ち着け!!」


 その怒声に、サービスエリアの中が静まり返った。

 静かになって、主に騒いでいたのが民間人だと改めて分かった。

 警察の人間を見渡したが、すでに民間人を誘導するよう、近くにまとめているものもいる。頼もしい限りだ。

 そうだ、我々は一人で行動しているのではない。中田は少し肩の力が抜けた気がした。

「民間人だ、民間人の避難を急がせろ!マスコミの皆さんも、とにかくこの場から離れて…」


 そう声を張り上げ始めた矢先だった。

 ダダダダッ。

 短い機銃掃射の音がして、皆が音の方向を振り返る。


 そこにはマスコミの腕章をつけた男が、テレビカメラの代わりに機関銃をもって立っていた。そしてその傍らには、またしても機動隊員の骸があった。


「まさか、マスコミの中にも…」

 中田が青ざめた顔でつぶやくのを意に介さず、腕章をつけた男は本格的に銃撃を開始した。ホールの中にいた人間が、次々と弾かれたように倒れていく。一通り打ち終わると、男は今度は厨房に入り込み、隠れていたスタッフにも容赦なく銃弾を浴びせた。

 動いている者はいなくなり、フロアが文字通り血に染まった。


 中田は、放心した顔でその場にへたり込んだ。

 見渡すと、機関銃を持った人間たちが中田を遠くから取り囲んでいる。

 建物の外からは、逃げ惑うマスコミを追いかけまわす銃声がなおも聞こえてくる。


 大失態だ。

 我々は考え違いをしていた。

 思えば、


 バスジャックなど、彼らにとっては単なる客寄せに過ぎなかった。

 この分だと、バスジャックの犯人たちも単なる捨て駒だ。恐らく殺されているだろう。

 目撃者や関係者を警察含めて全員始末し、反政府組織は華麗に闇に消える。


 ひときわ大きな爆発音が聞こえた。

 何か巨大なものが落下したような、地響きが伝わってくる。

 マスコミの取材ヘリが撃墜されたのだろう。

 あれだけの武力だ。ロケットランチャーを用意していたとしても、いまさら驚きはない。


「お楽しみいただけましたか」


 声をかけられて見上げると、中田の前に、草壁と呼ばれていたバスジャックの乗客が立っていた。

 さっき隊員と話していた時のにこやかな表情のままで、しかし右手には拳銃を携えていた。


「これが我々『黒いプラスチック』です。以後、お見知りおきを」

 一発の銃声とともに、中田の頭が跳ね上がり、そして床に落ちた。


「…作戦完了。撤収!」


 ◇◇◇


 その頃、忘木と相馬はサービスエリアに向かう、最後の側道に入っていた。

 それなりに雪が深く、道幅も狭い。

 雪道の運転に慣れているわけではなかったが、それでも忘木は精いっぱい飛ばした。


 途中、ガードレールが破れている箇所があった。

 停車して、ガードレールの切れ目から崖下を見ると、10m以上も下の谷底にバスが落ちていた。忘木が様子を見に行こうとしたところで、突然バスが爆発し、炎上した。

 ガソリンや軽油の火災による爆発音とは明らかに異なる、まるでダイナマイトのような衝撃音に忘木は思わずたじろいだ。

 それでも、見過ごすわけにはいくまい、と忘木はバスに近づこうとしたが、相馬がそれを静止した。

 地元消防に連絡して、先を急ごうという。

 戸惑う忘木を無視して、相馬はさっさと助手席に乗り込む。それを見て、忘木は相馬が想定する事態の深刻さを考え直さざるを得なかったのだ。


 サービスエリアの裏口に着く直前、真っ暗な林の中から、何人かのスキーヤーが突然飛び出してきた。

「うおっ」

 忘木は慌ててハンドルを切った。雪道だったため車は簡単に真横を向き

 、狭い道路をふさぐ格好でぎりぎりに停止した。

「あっぶねえ…こんなところでクロカンかよ。大丈夫か、相馬」

「平気だ、先を急ごう」

 忘木は林の中に目を凝らしたが、スキーヤーたちの姿はすでになかった。

 何とか車の方向を立て直し、再び車を発進させた。


 ◇◇◇


 草壁は、予定通りのポイントに到着すると、雪の中からあらかじめ埋めておいたバッグを掘り出した。中には着替えを入れてある。これに着替えて、協力者の用意した車に乗って東京に戻る。他の兵士たちも、同様の手順で散開する手はずになっている。

 明日は、先日刑務所から連れ出した、あの女に会わなければいけない。

 それが終わったら、この体をあの男に返して、しばらくのんびりしたい。

 カラスの身体は、飛ぶのを少しサボると、たちまち億劫になる。

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