第21話 風の向くまま(7)
運転手は、定刻通りのスケジュールで、新潟に向けてバスを走らせていた。途中いくつかのバス停で客を降ろし、新潟駅への到着予定は20時だった。
安達太良サービスエリアでは、乗用車が凍結路面でスピンする場面に出くわした。休憩中で車外に出ていた乗客たちが無事で何よりだった。昼間に緩んだ雪が再凍結する頃が一番危ないし、磐越道は片側一車線の区間も何か所かある。
何より、到着時間が遅れると必ず苦情を入れてくる乗客がいる。もちろん定刻通りに着くよういつも心がけてはいるが、高速バスは列車のようにはいかない。下手に反論して、SNSに投稿でもされたらやっかいだ。人手不足とはいえ、会社がいつもかばってくれるとも限らない。
「すみません、次のサービスエリアで降りたいんですけど」
不意に声を掛けられ、後ろを振り向きそうになる。ルームミラーには、若い男が映っていた。黒メガネをした地味な男だ。いつの間にか先頭の席を離れ、運転手のすぐ後ろにいる。運転手は平静を装った。
「申し訳ありません、規則で、決められた停留所以外での降車はできないんですよ。ここから一番近いのは…」
「阿賀野川サービスエリアに入れって言ってんだよ」
黒メガネの若者は急に声色を変え、運転手の首元に静かにサバイバルナイフを突きつけた。
「おトイレに行きたいって話じゃないのはわかるでしょ?」
最悪だ。考えうる限り、もっとも厄介なことが起きてしまった。
この高速バスは深夜バスではないので、乗客の半分くらいは目を覚ましていた。
すぐに何人かが異変に気付き、ヒソヒソと小さな声で近くの乗客に声をかけあう。
そのうち、誰かがこっそりスマホを取り出し、110番にかけようとした。
間髪入れず、ばんっ、という大きな破裂音が響いた。
途端に車内に悲鳴が上がる。この時点で、全員が目を覚ました。
銃を天井に向けて撃ったのは、もう一人の男だった。髪を赤く染め、耳と口にピアスをしている。
「はーい、スマホはご遠慮くださぁい。あ、運転手さんはしっかり前を見て運転してね」
黒メガネの若者は、発砲した男を苦々しい顔で睨んだ。
運転手は隙を見て、男たちの死角にある、緊急通報のスイッチを押した。これで少なくとも、周囲にはこの状況が伝わったはずだ。
だが、改めて考えるべきことがある。犯人が複数だということだ。日本でこれまでに起こったバスジャックはほとんどが単独犯であり、衝動的にやらかした事例が多い。
だが、たった一件だけ、複数犯だったことがある。それは他と違って計画的であり、もっと言えば、目的をもってなされた犯行――政治犯だ。
「それじゃこれからサービスエリアに着くまで、生配信するからね。撮影するコイツも俺も、銃もナイフも持ってるから、みんなも余計な真似しちゃだめだよ?」
赤い髪の若者が、妙に高揚した口調で周囲を威嚇しながら、スマホを操作して黒メガネのほうに渡した。黒メガネは左手でナイフを運転手の首元に当てたまま、右手でスマホのカメラを客席のほうに向けた。
赤い髪のほうが、それをみて唐突に大声で喋り始めた。お笑い芸人のような、ハキハキとした口調で、カメラに向けて語りかけている。
「はいっ、それでは生配信を始めます!いつも当番組をご覧いただいている皆さん、ありがとうございます!
今日はね、仙台発新潟行きの高速バスから配信しています!お客さんにもこうしてご協力いただいてね!ほんとはバスのなかで騒いじゃいけないんだけど、皆さんノリが良くてね!」
話しながら、赤い髪の男は両手で客席に向けてジェスチャーをした。乗客が戸惑っていると、銃を向けて小声で(ほら、盛り上げて!)と指示した。乗客たちが顔をこわばらせて、イエーイと腕を振り上げる。
「なんか若干ヤラセくさいですけどね!本物です!お客さんももっと柔らかく笑って!運転手さんにも、こうしてご協力いただいてます!」
黒メガネの男が、カメラを運転手に向けた。首筋にナイフを突きつけられながら、前方を見ている運転手の顔を、男はじっくりカメラに収めた。
「はい、そうです!バスジャックです!今日は我々もね!もうちょっと本気で我々の主張を世の中の皆さんにね!聞いていただこうかと!」
運転手は苦虫をかみつぶしたような顔で犯人たちを睨みつけた。バスジャックに遭遇する可能性を想像したことがないわけではなかったが、複数犯かつ政治犯に出くわすとは思わなかったし、機転を利かせたり、説得するようなことは難しく思えた。
言えるのは、彼らの主張に逆らうような言動は危険だということくらいだ。
そのために人質たちは、まず犯人たちの主張を聞かねばならなかった。
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