第26話 風の向くまま(12)
その頃、忘木宗次郎は愛車のセダンで磐越道を新潟に向けて走行していた。
新潟刑務所を紗栄子が脱走した件の聞き取りのために、朝を待って新潟に向かう予定だったが、バスジャックのニュースを駐在所で姫川たちと見てしまったからには、すぐに動かないわけにもいかなかった。
「阿賀野川サービスエリア、閉鎖されたみたいだな」
運転しながら忘木が『阿賀野川SA 閉鎖中』と表示された案内板を指差すと、助手席の男が生返事をした。
「さすがにバスジャックとは書かないわな。まあ、ネットで状況を知ってる人はいるだろうが」
助手席では、忘木の旧友・相馬譲がスマホを見つめている。
相馬は警視庁公安部の公安警察官である。公安第一課の第二公安捜査、いわゆる極左対応の部署で、淡々と実績を積み上げ、課長となった。
小太りで飄々としているが、気づくと誰よりも着実に捜査を進めている。真面目というよりは、それが日課であるかのように、危なげなくまとめ上げていく。そんな周囲の評価である。
忘木は相馬から情報を得ることが多かったが、互いに情報源を明かすわけにもいかず、表立っての交流はない。
「インターネットのほうはどうだい」
忘木は前を向いたまま尋ねた。
「若造がまだゴキゲンで演説してるわ。コイツ上から目線でくっちゃべってるが、内容としちゃ、まるでなっちゃいねえな。いつものカルト集団のほうがまだ大人だ」
相馬はまず第一印象を述べ、次に公安部としての感想を漏らした。
「だが、こいつらは『反政府組織』と名乗った。こんないけすかねえ演説で世間の共感を得て、政府をどうこうできると考えてるわけでもないだろうよ。どうにも嫌な予感がする」
忘木も同じことを思っていたようだった。
「だいたい、ここ何十年も、組織的に行われたバスジャックなんてなかっただろう。たいていはノイローゼ気味の男が思いつめて騒ぎを起こしただけで、政治的な目的でのバスジャックだのハイジャックだのって時代は、日本赤軍の辺りで終わってる」
「その通りだ」
相馬は頷いた。
「もし政治目的でのバスジャックとすれば、収監されてる政治犯の釈放とかがありえるかもしれん。だが、今どきそんなことをしたって簡単に釈放なんかされないだろうし、そもそも政治犯なんて現代日本にはほとんどいない」
忘木は『津川IC 2km』の案内板を見ながら、ボヤいた。
「トチ狂った今どきの大学生の政治ごっこ…だったらいいんだがな」
相馬はスマートフォンの映像を目で追いながら、
「そう簡単ではないだろうな」
と答えた。
「組織的にやるならやるで、手段としてバスジャックを選ぶ理由も分からん。こいつら武器も持ってるし、ネット中継なんて小技も持ってる。こいつらの言ってる通り、自分たちの信義を世間に知らしめるためだとして、一般客に銃で言うことを聞かせるなんて逆効果に決まってる」
忘木の疑問に、相馬も同意した。
「それに、運転手を刺したのもよくわからん。ライブ配信のアクセスを稼ぐために瀕死のケガ人を作ったのだとしても、乗客で問題なかったはずだ。
仮に犯人が大型免許を持っていたとしても、運転してる間は見張りが一人になるリスクがある。もっとも」
一度言葉を切った。
「この後逃げおおせる気がない、というなら別だがな」
「相馬はどう思う?この『黒いプラスチック』はカルトなのかね」
忘木は、公安部の知識に期待して相馬に質問した。
「そういう名前でマークしている組織はない。
だが、さっきこいつらが紹介してた『黒いプラスチック』という現代詩については、何度か聞いたことがある」
「へえ、おまえ詩なんて読むのか。公安部の課長となると、趣味も違ってくるもんだな」
忘木が茶化したが、相馬は話をつづけた。
「この黒いプラスチックとか、エンプラとかいう話は、ここ一年くらいに公安がとっ捕まえた重要参考人の供述にやたらと出てくるんだよ。
だいたい食い詰めた若い奴だったり、薬物中毒者だったりするんだが、こいつらがまた、釈放したとたん、どいつもこいつも死ぬわ死ぬわ」
「なんだそりゃ」
忘木は思わず相馬のほうを見た。
「『黒いプラスチック』という集団に、実体があるのかはわからない。だが、この詩を口にする奴らがいて、何らかの秘密を共有しているらしい。今わかってるのはそんなところだ」
前を見るように促され、忘木は視線を前方に向けた。
「その謎の一端が、このバスジャックで明らかになるかもしれないわけか。
謹慎中だってのに俺の誘いに乗ったのは、それが気になったからか」
「それもある。
だが、お前さんには、こないだの処分についても話しておきたくてな」
相馬はひと月ほど前に、問題を起こして謹慎処分を受けていた。
忘木の耳に入ってきた情報によると、どうやら霞が関で官房長官を殴ったのだという。それを聞いた当初、忘木は「よくやってくれた」と飲みに誘うくらいのつもりでいたが、どうも相馬は事件前後の記憶がないらしく、珍しく深刻になっていた。
機会があったらゆっくり話を聞こうと思っていたところだったのだ。
「…あれな、正直自分で何をしたのか、何も覚えていないんだ。あのズラにも恨みはないし、官房長官がそこにいるということすら知らなかった」
忘木は、旧友の言い訳を黙って聞いた。
「ただ…」
「ただ?」
相馬は言いにくそうにしていたが、忘木は促した。不確かなことでも、話したいことは話してもらったほうがいい。
「おかしな話だが、夢の中で、自分が官房長官を殴っているのを見ていた」
「夢の中?」
「そうだ。俺はなぜか鳥になって、庁舎の近くの木の上から、自分と官房長官を見ていた」
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