第13話 タートルネックの女(9)
PCのディスプレイの灯だけが、テーブルの上を照らしている。
配信は止まっていない。カメラの明るさ調整機能が働き、必死の形相で足元の猫を探す紗栄子の顔がうすぼんやりと見え始める。
ハプニングを察した視聴者がどこかのSNSでつぶやいたのか、ユーザー数がどんどん増えていく。動画コメントも滝のように流れて、紗栄子の固定ファンたちのコメントはとっくに押し流されていた。
駐在所の二階で配信を見ていた姫川も、画面から目を離さずに、忘木に電話を入れた。
「もしもし、こちら姫川…。そろそろ出番かも」
◇◇◇
照明が落ちた時点では、紗栄子はまだ冷静だった。
配信もほぼ終了していたし、落ち着いてこのまま配信アプリを終了すればいい。猫たちはそのあとで何とかしよう。そう思っていた。
だが。
にゃあ。
暗闇で猫の声がする。紗栄子は右を向いた。
にゃあ。
反対側からも声がした。紗栄子は左を向いた。
にゃあ。
にゃあ。
にゃあ。
二匹の声が輪唱のように、左右から交互に聞こえてくる。
紗栄子は自分を落ち着かせようとした。
たかが猫だ。それも二匹ぽっち。
その時、第三の猫の声がした。
紗栄子は慌てて振り返った。
クローゼットからだった。
にゃあ。
輪唱は三声となり、ぐるぐると回りながら紗栄子を取り囲む。
紗栄子は耳をふさいだ。
それでも聞こえてくる。
紗栄子はとうとう悲鳴を上げた。
その自分の声もまた、自分に向けられている気がした。
まずは灯だ。部屋の灯をつけなくては。
暗闇で、テーブルの脚にけつまづきながら、やっとの思いで紗栄子はスイッチの場所にたどり着いた。
すがるように壁を探り、スイッチの突起に手をかけた。
部屋に光が戻った。
すると、猫の声も同時に止んだ。
紗栄子は胸を押さえながら、二匹の猫を探した。
足元を見ると、白いほうの猫はいなくなっていたが、三毛のほうは残っていた。
こちらを無視して、ずっと一方に視線を向けている。
紗栄子は猫の視線を追った。
閉めていたはずのクローゼットが全開になっていた。
地の底まで響くほどの紗栄子の慟哭が、深夜の近隣に轟いた。
◇◇◇
姫川もまた、PCの前で言葉を失っていた。
クローゼットの中にぶら下がっていたのは「生きた猫の皮」と言っても差し支えない状態だった。手足をもがれ、剥製のようにぶら下げられた猫の毛皮。
それが少なくとも三匹分、生きていた。毛皮の真ん中にぶら下がる首から、鳴き声だけを絞り出しているのだった。
「…か、確保っ!突入してください!!」
姫川はそれだけ口に出すのが精いっぱいで、すぐに電話を切った。
あとは忘木達が何とかしてくれるはずだ。
はっとして、姫川はチャコを探した。
チャコはコタツの反対側で寝ていた。映像は見ていなかったようだ。
姫川はコタツを出てチャコに近づき、震える手で抱きあげた。
約2万人。
いたずらに増えた視聴者のほぼ全員が、この映像を見てしまったことになる。
◇◇◇
ミケは、無残な猫たちの姿を見上げながら、そこにアイがいないことを確認していた。
アイはまだ紗栄子の配信に出ていない。
つまりまだ虐待動画の買い手がついていないのだから、無事である可能性が高いはずだ。
(あんた…ミケ…?)
もう一枚のクローゼットの扉の陰から声がした。
アイだった。虐待を受けた様子はなかったが、酷く衰弱していた。
(アイ!よかった、なんともないか)
(何よ、どうして、こんなとこに…)
虚ろな目で横たわっている。
(何日か前にチャコがこの家にいるのを見かけてな。歩けるか)
(情けないけど、ちょっと無理だねぇ…危ない!)
アイの瞳の怯えを、ミケはアイが叫ぶより速く読み取っていた。
すんでのところで横に飛んで、後ろから迫る紗栄子を躱した。
紗栄子の手にしていたのは、スタンガンだった。
(私もあれでやられたの。すごくビリビリってして、しびれて動けなくなるの)
アイが後ろからミケに助言する。猫に当ててもショック死しない程度には、威力を弱めているのかもしれない。だがいかんせん、ミケもまた猫であり、当てられれば少なくとも行動不能には陥るだろう。
「なんなのよ…猫のくせに…猫の分際で…」
視点の定まらない様子で、紗栄子はふらふらと近づいてくる。
◇◇◇
「それは俺達のセリフだ」
不意に聞こえた男の声に、紗栄子は一瞬呼吸を忘れた。
「貴様こそ、いったい何のつもりなんだ。こんな酷いことをして」
辺りを見渡して、声の主を探す。
だが、その声はどう聴いても、目の前の三毛猫から発せられていた。
「…ひっ」
目の前の猫の眼が、赤く光ったような気がした。
「みんな怒っているぞ。俺も、こいつらも、そこの連中も」
言われて、紗栄子はぶら下がった猫の首を見た。
目があった瞬間、笑ったように見えた。
「いやあああああっっ!!」
紗栄子は大声で慄き、手に持っていたスタンガンを闇雲に振り回した。
それがデスクの上のキーボードやマウスに当たり、音を立てて床に落ちる。自身の立てたそれらの物音にすら怯え、紗栄子はスタンガンを両手で握りしめたまま、床にしゃがみ込んだ。
「そこまでだ、紗栄子さん」
どれほどの時間が経っただろうか。
紗栄子が顔を上げると、部屋の入口に忘木が立っていた。
猫たちはすでにいなかった。数人の捜査員が部屋に入っていた。クローゼットをみて、一様に顔をしかめている。
「堂島紗栄子さん。動物愛護管理法違反の容疑で、あなたの身柄を確保します。うちの署員も、そこのクローゼットをさっきの配信でばっちり見ちまった」
忘木が苦虫をかみつぶしたような顔で伝え、いつの間にか紗栄子の手から零れ落ちていたスタンガンを拾い上げた。
紗栄子はしばらく反応しなかったが、突然がばっと立ち上がり、忘木を見下ろすように言葉を発した。
「たかが猫じゃないの!」
夜叉のごとき形相だった。
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