第18話 風の向くまま(4)

 ミケはしばらく悩んでいたが、思い切って訊いてみた。

「なあ、ニイガタって、ニイガタのどの辺に行きたいんだ?」

 マタザブローはこともなげに、

「ニイガタって言ったらニイガタだよ」

 と答えた。

 新潟県ではなく、新潟市であってほしい。新潟県はさすがに広すぎる。


 ミケは、頭の中で高速道路地図を広げた。埼玉から新潟市に行くには、関越道を使うのが一般的だ。だが、東北道から磐越道を使うという手もある。というより、すでに宇都宮まで来てしまっている時点で、磐越道を使うしか選択肢はない。


 ミケは、できるだけわかりやすく、今の状況をマタザブローに説明した。

「…というわけで、全然違う場所に行ってしまう可能性が高い。行先を確かめて、違うなら早く乗り換えないといけない」

「ええ、そうなの?せっかくいいヒトの車を捕まえたと思ったのに。もし行先を間違えるとどうなるの?」

「辺り一面雪景色の場所に放り出されて死ぬ」

 えぇ…、とマタザブローはイヤそうな顔をした。

 そして、二匹で運転手の横顔を見つめた。この男は、どこに向かっているのだろう。

 運転手は二匹の視線に気づかず、上機嫌に鼻歌を歌い始めた。

『は~るばる 来たぜ は~こだてェ~♪』

 ミケは首を振って、マタザブローに「だめだ、降りよう」と言った。


「しかし、どうやったら降ろしてもらえるんだ」

 ミケがマタザブローに確認したが、

「さあ、たいていいつも最後まで乗ってるからなあ」

 と、予想どおりの答えが返ってきた。

 この運転手の仕事はとても真面目で、まっすぐ前を向いて運転している。何とかして、こちらに気を向けないといけない。

「仕方ない、サービスエリアの案内板が見えたらアピールするぞ。俺に合わせてくれ」

 マタザブローはピンとこないようだったが、ミケは余計な説明をせず、タイミングを見計らった。

 そのうち、上河内SAまで2km、と書かれた緑の看板が見えてきた。

「今だ、いくぞ…!ニャニャニャッ!ニャニャニャッ!」

 ミケは上半身を持ち上げて前足を盛んに振りながら、大声で鳴いて運転手にアピールした。

「ニャニャニャッ!ニャニャニャッ!」

 ばかばかしいが、『止めて!止めて!』と聞こえてくれることを期待しての大声である。マタザブローは一瞬呆気に取られていたが、すぐにミケに合わせてアピールを始めた。

「ニャニャニャッ!ニャニャニャッ!」

『うわっ!急にどうしたお前ら!?』

 さすがに気が付いた運転手が、前を気にしながら、チラチラと助手席に目を向ける。

 ここで頑張って降車の意思を伝えなければ。だが、うまいジェスチャーが思いつかない。

 やけくそになって、後ろ脚を上げて、犬のおしっこのポーズをしながら「ニャニャニャッ!ニャニャニャッ!」と繰り返した。マタザブローも楽しくなって来たらしく、完全に息を合わせておしっこのジェスチャーをし始めた。

 だが、肝心の運転手のほうは、こちらの意図をまるっきり汲んでくれなかった。爆笑しながらスマートフォンを取り出し、顔だけ前に向けたまま助手席を撮影し始める。人間の姿だったら絶対ぶん殴る、と思いながらも我慢してパフォーマンスを続けたが、結局、上河内SAは通り過ぎてしまった。


「くそ、通じなかったか…」

 ミケは悔し気に呻いた。

「今のは、ヒトに対するアピールだよな?」

 マタザブローが興奮気味に聞いてくる。

「ああ」ちょっと気恥ずかしいのを隠しながらミケが返事する。

「きっと次はいけるよ。チャンスを待とう。あのヒト、すごく喜んでたぞ」

 ミケはマタザブローの顔を見返した。強い意志をもった視線だ。これがボス猫のカリスマか…と、ミケは素直に感心した。

「…そうだな、諦めずにやろう。そのうちに気づいてくれるかもしれない」

「そうだ、諦めないことが大事なんだ」

 マタザブローは力強い笑みを見せた。


 だが結局、那須高原SAでも、阿武隈SAでも、運転手はただただ二匹のパフォーマンスに爆笑しながら動画を撮影するだけで、立ち寄る素振りを全く見せなかった。そして郡山ジャンクションを通り過ぎ、安達太良SAの案内板が見えたところで、運転手は疲れ切って反応しない二匹の様子に気が付いて、ようやくウインカーを操作したのだった。


 ◇◇◇


 二階でテレビを見ていた姫川のスマホに、着信があった。

「はい、姫川です…ああ、静香ちゃん」

『ね、チャコちゃんの様子はどう?』

「それはもうあちこちに色気を振りまいてるわよ。この間までは無邪気な子猫って感じだったのに」

 そう言っている姫川のとなりで、チャコは背中を床に付けてくねくねと体をくゆらせている。完全に発情期の行動だ。

『ミケちゃんも、妹の変化を察して逃げたのかしらね』

「自分が女遊びしたくなっただけかもよ?温泉旅情を楽しんでるかも」

 姫川の機嫌は悪かった。こんな状態でそばに居にくいとはいっても、たった一匹の妹から逃げ出すというのもどうなのか。切なげに鳴くチャコの姿が痛々しく思えた。

『でも真面目な話、避妊手術を受けさせることも考えなくちゃね。ミケちゃんのほうは、たぶん、その心配はないけれど』

「そうなのよねえ」

 発情期の最中に避妊手術を受けさせるのはよくないらしい。なので手術するにしても後日になるが、姫川はあまり気が進まなかった。

「ミケが帰ってきたら相談するわ」

 電話を切って、ひっくり返っているチャコに手を伸ばす。

 本当に相談しなければ、と姫川は思った。子種のないミケが一生チャコの相手をし、他に相手を作らなければ、何の心配もいらないのも確かだ。だがは近親相関という人間界のタブーを絶対に侵さないだろうし、他の猫と子供を作ってほしいと考えているかもしれない。

 そもそも元の三宅将暉のことすら、ただの同僚であり、それ以上のことを姫川はまるで知らないのだ。

 まして、猫になった今の彼の考えなど、想像もつかない。

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