第23話 風の向くまま(9)
二人の男にバスジャックされた仙台発新潟行き高速バスは、犯人たちの誘導に従って、阿賀野川サービスエリアに入った。
阿賀野川SAの立地は少し特徴的で、磐越自動車道から少し離れている。本線から離れて林の中を進むと、木々に囲まれた広場がある。阿賀野川SAはそのような場所にあり、高速道路のSAにしては閑静である。また、休憩施設をはさんだ裏手にさらに緑地があり、その端の高台からは阿賀野川を一望できるようになっている。
運転手は周囲を注意深く見渡したが、まだ警察は到着していないようにみえた。
運転手は何気なく、先に停車している大型バスの隣にバスを停車させた。警察が突入する事態を考えると、死角は多いほうがいい。
ところが、少し後から大型バスがもう一台現れ、高速バスの隣に停車させた。高速バスは、二台の大型バスに挟まれる形になった。そのバスに乗客はいないようで、運転手が降りてサービス施設に入っていった。高速バスの運転手は、心の中でガッツポーズをした。これで、突入はだいぶしやすくなっただろう。
「あ、悪いけど、子供とお年寄りはここで降りてもらうね」
赤い髪の犯人の予想外の台詞に、バスの乗客がざわついた。
「ほら、さっさと降りて」
配信向けの口調と違い、余計なことは一切言わない。
籠城が長引いたときに足手まといになると判断したのだと、運転手は思った。
前の老婆が立ち上がったのをきっかけに、二十人ほどの老人と子供、そしてその同乗者がそそくさと動き出し、降りていった。五十代くらいの男女もどさくさに降りようと立ち上がったが、銃を向けられて慌てて座りなおした。
何人かが申し訳なさそうに運転手の顔を見ながら降車したが、運転手はできるだけ普段の接客態度で、貨物室の荷物は下ろせなくて申し訳ありません、サービス施設に向かってください、と声をかけた。
だが、運転手が想像もしていなかったことが起きた。
降車列の最後の乗客が降りたあと、黒メガネの男に「運転手さん、あんたも降りるんだよ」と言われたのだ。
運転手は驚いて、車内を振り返った。他の乗客が動揺した目で運転手を見ている。
「いや、おたくらバスジャックなんでしょう?運転手がいなかったら、ここから逃げることも…」
「余計な心配すんなよ。ほら、立て」
犯人のナイフは変わらず首筋にあてられたままだ。運転手は仕方なく席を立った。
そして搭乗口のステップを一段降りたその時、ずぶり、と何かが運転手の背中を貫いた。振り返ると、黒メガネの男が、運転手の背中からナイフを引き抜いていた。
運転手は、何も理解できぬまま、やがて搭乗口を転げ落ち、雪の降り積もる出口に突っ伏した。
「どうして…」
何とか一言だけ絞り出したが、黒メガネは運転手を無視して、そのまま運転席に乗り込み、パネルを操作して搭乗口を閉めた。
車内、そして車外の両方から乗客の悲鳴が響き渡った。
運転手は痛みに耐えながら体を丸め、傷の深さを確かめようとした。
誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえた。恐らくは先に降りた乗客と思われたが、運転手の手前で足を止めた。運転手の位置からはどちらも見えないが、車内から拳銃を向けられているのだろう。運転手は顔を突っ伏したまま、駆け寄ってきた人物に向けて小さく手を振った。来なくていい、という意味と受け止め、やがて乗客は引き返していった。
車内では、銃を持った黒メガネと、残りの乗客がにらみ合っていた。何人かの男性客が、いまにも飛びかからんという顔で、席から立ちあがっていた。
やがて、女性客のすすり泣きが漏れ始めた。車内の緊張が最大に達しているのが、興奮していた男性客にも伝わり始めた。そして、いま乱闘に持ち込むのは得策ではないと考えたのか、結局自分の席に座りなおした。
赤い髪の犯人は、今度は自らスマホのカメラを車内の乗客に向けながら、アナウンスを再開した。口元に浮かぶ笑みは、先ほどまでよりもはるかに残虐なものに感じられた。
「さあ、ようやく始まったバスジャックですけども!そろそろね!流血沙汰の一つもないとね!再生数もあがってくれないんでね!
運転手さん刺しちゃって困らないんですか?ってね!質問がね!さっそく届いてるんですけども!御心配には及びません!
あっちの黒メガネくんがね!大型持ってるからね!」
黒メガネの犯人が運転席から手だけ伸ばし、カメラに向けて親指を立てた。
乗客の何人かが舌打ちをしたが、犯人たちは聞こえない素振りをした。
赤い髪の男が、話しながら窓の外にスマホのカメラを向けた。
「じゃあなんで運転手さんを刺して、バスの外に放置してるか、ってことなんですけども、まあわかりやすく言えば、タイマーですね!
内臓とかは大丈夫だけど、出血はけっこうあるからね!
まだ到着していない警察の人達にも、もっと急いできてもらわなきゃね!」
運転手はうずくまりながら、犯人の台詞を聞いて唇をかんだ。
あれほど運転手としてテロ対策の勉強を重ねてきたのに、現状は自分自身が最悪の人質となってしまっている。悔しさと傷の痛みで、文字通り腸が煮えくり返っていた。
同時に、この展開に感じる違和感はさらに大きくなっていた。
警察が来るまでの行動が周到すぎる。ふつう、人質は犯人自身が逃げ切るために使うものだ。老人や子供は社会の同情を買いやすい層でもあり、抵抗されにくい利点もある。警察が来る前に開放してしまい、若者と中年を残すことに何の意味があるのだろう。
痛みと寒さで思考がまとまらない。運転手は再び目を閉じて、さらに体を小さく丸めた。
バスの中では、赤い髪の男の長台詞が続いていた。
「あとね、やっぱり乗客の皆さんもね!何かできないか考えていると思うんですけどね!くれぐれも、余計なことをしないでね!お勧めしません!
なんでかっていうとね!この様子は、いま世界中に配信されちゃってます!皆さんの顔もね!全員撮ってます!もし余計なことをしてね!犠牲が増えるようなことがあったらね!そのときはもう、言わなくてもわかると思うんですけども!」
乗客たちは、無表情で二人の話を聞いていた。
彼らは世界中に自分たちの顔を生配信している。無難な笑顔で乗り切ろうとすれば、最小の犠牲で済んだとしても、今度は社会的な制裁が待っているかもしれない。
赤い髪の男は軽妙なトークを絶え間なく続ける。
「それじゃあね、時間もないことですし!さっそく僕らの自己紹介から始めていきたいと思います!まあ、大体お分かりかと思いますけども!ちょっと前の人に訊いてみましょうか!はい!そこの人!
僕ら、何に見・え・ま・す・か?」
前方に座っていた、30代くらいのサラリーマン二人組にスマホが向けられた。二人は困惑しつつも、ボソボソと答えた。
「…テロリスト?」
「テロリスト」
赤い髪の男が執拗に目を覗き込んでくるので、二人は視線を落とした。
「残念!ちょーっと違います」
犯人たちは、自分たちがカメラに収まるよう方向を変えたうえで、大きな声で宣言した。
「僕らは『黒いプラスチック』。この現代日本で唯一の反政府組織です」
その言葉が配信された直後『黒いプラスチック』というキーワードは、『反政府組織』という語句とともにSNSと検索エンジンのランキングトップに躍り出た。
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