第6話 タートルネックの女(2)

 翌朝、ミニパトで姫川が二匹を迎えに来た。


 姫川は徹夜明けのようで、かなり眠そうだった。

「ちょっと、大丈夫?ミニパトで居眠り運転なんてシャレにならないわよ」

 静香が心配すると、姫川は

「大丈夫、大丈夫…。駐在所に戻ったらゆっくりするから」

 と猫のように両目をこすりながら言った。

「本署の若い警官を手伝いに寄越すようにゴリオシしてきたから、九時まで頑張れば引継ぎできるし。二匹ともおとなしくしてた?」

「一回だけ、チャコちゃんが大きな声で鳴いたけど、あとはお利口さんだったわ」

「へえ、珍しい。チャコのほうがねえ…?」

 姫川が助手席のバスケットを見ると、チャコは落ち着いた様子でこちらを見ていた。ミケは姫川たちのほうではなく、道路脇を歩く一匹の猫のほうに目を向けていた。


「…ミケ、どうしたの?」

 姫川が呼びかけると、ミケは姫川に向き直った。

「ミケ?」

「…ヒメ、ちょっとだけ時間を作ってくれないか。あの猫に聞きたいことがある」

 姫川は少し考えたあと、黙ってドアを開け、バスケットからミケを開放した。

「ちょ、ヒメちゃん?」

 突然の行動に驚いて静香が声をかけると、姫川はやれやれと両手を広げた。

「ちょっとミケが職務質問してくるって」

「…本当に、会話してるようにしか見えないわ」

 困惑する静香をよそに、姫川はミケの行き先を目で追った。


「この辺に住んでいる猫か?ちょっと話を聞きたいんだが、時間あるか?」

 道路脇の白猫に駆け寄ると、白猫は警戒して毛を逆立てた。

「何だァ、見かけないツラだな」

 少し焦りすぎたかもしれない。ミケはもう一度丁寧にあいさつをした。

「自分はミケといいます。あっち側の川のほうに住んでいる。ちょっと飼い主の用事で、お邪魔しています」

 相手に背中を見せるのは、猫の親愛の証だ。

 それを見て、白猫は少しだけ警戒を解いた。

「あ、ああ。オレはシロ。野良猫だ。あっちにも、川があるのか。そんな遠くまで行ったことないが」

 猫の行動範囲は、せいぜい半径100mと言われる。縄張りもあるので、それほど遠くのことを知らないのは当然だろう。

「聞きたいのは、あの家のことなんです。昨日あの家に、知り合いがいるのを見た。こんなところにいるはずがないから、どんな家なのか確かめておきたくて」

 シロの眼に、明らかな困惑と不安の色が浮かんだ。

「あの家にか?…そりゃあ、なんていうか、気の毒にな」


「あの家、ヤバいんですか」

 ミケが聞き直すと、シロは面倒くさそうな素振りで語りだした。

「ヤバいなんてもんじゃねえよ。ここらへんじゃ有名な気狂い女の家だよ。色んな猫を連れこんでるけど、出てくるところを見たことがねえ」

「女?」

「そうだ。一見優しそうだけど、あいつを知ってる猫は絶対に近づかねえよ。怖えもん」


 突然、一軒家の玄関がガチャリと開いた。

 中から出てきたのは、タートルネックを着た長い黒髪の女だった。

 噂をすれば、だ。

「お巡りさん、何かあったんですか?」

 女は、ミニパトの傍に立っていた姫川に近づき、不安そうな顔で話しかけた。

 ミケが振り返ると、シロはすでにはるか遠くに走り去っていた。この怖がりようは、どうやらヨタ話ではなさそうだ。

 それに、ミケはこの女の顔に見覚えがあった。 


「いえ、警らの途中でして。驚かせてしまいましたか」

 姫川が申し訳なさそうに頭を下げると、女は警戒を解いたのか、笑顔になった。

「いえいえ、ご苦労様です。ちょっとパトカーの中に猫ちゃんがみえたものですから。私、捨て猫の保護活動をやっているものでして…」

 女はそう言いながら、バスケットに入っているチャコのほうに目を向けた。

 姫川は女の顔をみて、あ、と両手を叩いた。

 美しく整った笑顔に、姫川は少し気圧されていたが、やがて何かを思い出したように、手を叩いた。

「あ、もしかして、紗栄子さんじゃないですか!?保護猫の動画の」

「いやだ、ご存じだったんですか?恥ずかしいわ」

 ミケもそれを聞いて思い出した。

 先日、姫川と一緒に見た動画にでていた、タートルネックの女だ。

「ご立派な活動をされてらっしゃって、警察としても捨て猫を預かる機会は多いので、本当に頭が下がる思いです。私もいつも猫たちと拝見しています」

 姫川が称えると、紗栄子は謙遜しながらも喜んでいるようだった。


 紗栄子と面識のなかった静香も、意を決して話に加わる。

「初めまして。私はここの二階に住む、三宅と言います」

「あら、あなたの飼い猫なの?」

「いえ。この子たちは、このおまわりさんの飼い猫なんです。一晩うちで預かっていて、迎えにいらっしゃったところなんですよ」

「そうなのね」

 紗栄子はそっけない返事をした。

 仲良くなれないかも、という気持ちを隠して、静香は話を続けた。

「いまちょっと、カゴから出ちゃってて」

 紗栄子が静香の視線を追うと、その先にミケがいた。


 向けられた紗栄子の視線に、思わずミケは身震いした。

 紗栄子の目の奥に宿る仄暗い光。

 人間には気づきにくい、だが確かな狂気。

 全身の毛が逆立つ。

  

「…三毛猫のオスは珍しいですものね。かわいがってあげてくださいね」

 紗栄子はミケが車に戻ってくるのを待っているようだったが、ミケが近づこうとしないので、挨拶もそぞろに、そそくさと自宅に入っていった。


 その様子を確認して、ミケがパトカーに戻ってきた。

「ナンパはどうだったのかしら?」

 姫川がからかう声を無視して、ミケは自ら助手席のバスケットに入った。そして顎をしゃくって「早く車を出せ」のジェスチャーをした。

「…亭主関白ね、まるで」

 静香の笑い声に姫川は少しだけ頬を膨らませ、そそくさとミニパトを発進させた。


 一つ目の角を曲がったところで、姫川がミケに話しかけた。

「…で、何だったの?さっきの」

 ミケは真面目な話であることを主張したかったのか、少し低いトーンで答えた。

「さっきの女の出てきた、一軒家の話だ。あそこに、俺たちがこないだ知り合った黒猫が監禁されてる」

 姫川もつられて、声のトーンを落とす。

「…確かなの?」

「昨日、二階の窓から見えた。チャコが呼びかけたが、返事してる途中で声が聞こえなくなった」

「…それで、さっきの白猫はなんて?」

「あの家に入って、無事に出てきた猫はいないとさ」


 信号待ちで車を停止させた姫川は、ハンドルに顔を突っ伏した。

「…ああ、もう。本署で聞いた情報が、まさかこんなに近所だなんて。帰ったらゆっくり寝られると思ったのに!」


 

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