第2話 駐在員は事件現場で猫と暮らす(2)

 翌日。

 ミケとチャコはフジ子の家でブチ猫・ミーの長話に付き合っていた。

 将暉が実家に暮らしていたころ、フジ子が猫を飼っていることを思い出したミケは、チャコを連れて挨拶に出向いたのだが、まさかここまで飼い主に似た話好きだとは思っても見なかった。フジ子の長話に付き合わされる姫川のことを他人事のように見ていた罰が当たったのかも、とミケは思った。


「そうなのねえ、芽吹大橋の下あたりに捨てられていたのかもねえ。あそこ、自転車は通らないけど、工事のトラックも通るし、橋の上から見えたりするから。でも鳥に攫われなくてほんと運がよかったと思うわぁ。あそこに捨てられてても、私たちにはどうしようもないのよねえ。可哀そうなことになった子も多くてね。そういえば、自転車!最近多いのよねぇ。おちおち日向ぼっこもできないわ。あれはロードバイクとか言うらしくてね、前が見えにくいらしくて、こないだも誰か轢かれかけて」

 話の途中で勝手に話題を変えて、相槌を打つ隙も与えずどんどん進めていく。

 そんなにたくさんの発声をしているようにはとても見えないのに、猫の言語中枢はいったいどうなっているのだろう。人間にはわからない圧縮技術でも使っているのかな…などと将暉がぼんやり考えながら聞いていると、

「そうだ!あんたたち、集会の場所知らないでしょ!」

 と突然水を向けられた。

「集会?」

 そういえば、猫はたまに集会を行うと聞いたことがある。

「今日は暖かいし、スクラップ工場も休みだから、たぶんあそこだと思うわ。あんたたちも行きましょうよ。紹介してあげる」

 チャコも特に反対でもなさそうだったので、一緒に行くことにした。

 聞き込みの相手を探す手間が省けそうだと、ミケは内心ほくそ笑んだ。



「道路を渡る時には、このガード下の通路を通るの。大きな車はまず通らないけど、自転車は通るから気を付けないとだめよ」

 親切なミーの案内を聞きながら、ガード下を通る。将暉は普通に信号を使って渡っていたが、猫になってから改めてこの道路を見ると、そりゃ轢かれても無理もないと思う。ひっきりなしに自動車が通る。トラックやダンプも多い。見通しがいいので、だれも速度を緩めない。

「…だめなの?」

 チャコが珍しく口を開いた。

「頑張って走ったら、きっと大丈夫じゃない?」

 ミケは少し考えて、チャコに説明した。

「猫は、後ろに戻るのが苦手だろ?」

「うん」

「それに、猫は向かってくる車をみたらびっくりして、体が動かなくなっちゃう。車は猫が戻るか進むと思ってるから、どう避けたらいいかわからなくなって、そのままぶつかっちゃうんだそうだ」

「そうなんだ。車って、もしかして頭悪いの?」

「そうかもね」

 車は猫とぶつかっても平気だから、とは言わないでおいた。

 やりとりを聞いていたミーが「驚いた、確かにそうだね。賢いお兄ちゃんだ」とミケを褒めたたえた。

「お兄ちゃん、最近すごく頭よくなったの」

 チャコは自慢げに胸を張った。



「さて、ここがその頭の悪い車たちの死体置き場だよ。ここの隙間からお入り」

 ミーは自動車解体工場の敷地の仮囲いと地面の隙間から首を突っ込んだ。太った体が災いして通り抜けるのに難儀したが、何とか通り抜けた。後に続くミケとチャコが難なく通り抜けるのを見て、ミーは少し悔しそうな顔をした。

 中には、すでに八匹の猫がいて、思い思いにくつろいでいた。思っていたより多い、というのがミケの印象だった。


「全員じゃないけど、まあまあ集まってるね。順番に挨拶しにいっといで」

 ミーがミケとチャコを促した。

 声をかけて回るものの、大方が日向ぼっこの真っ最中で、まともに受け答えすらしない状態だった。

「よろしくねぇ~」

「よろしくぅ~」

 後でもう一度、起きてるときに挨拶しなければ、とミケは思った。


「みんなにまとめて大きな声で挨拶するわけじゃないんだな」

 てっきり、暴走族の集会みたいなものを想像していたので、ミケは拍子抜けした。

「馬鹿だね、そんなことしていいのはボスだけだよ。ここらにはそういう目立ちたがり屋はいないけど、もしそんなことをしてみな、全員と喧嘩する羽目になるよ」

 思いのほか真剣なミーの口調に、ミケは気を引き締めた。


「ミーじゃないか。また太ったね。そっちのは新人かい?」

 黒猫が話しかけてきた。

「太ったは余計だよ。例の駐在所に越してきた、もと捨て猫だそうだ」

「へえ。それはよかったねえ。あたいはアイ。アンタと違って、河川敷に住んでる」

 アイの口調からは、嫉妬がにじみ出ていた。

「俺はミケ、こっちは妹のチャコだ。よろしく頼む」

 ミケが挨拶すると、アイは意外そうな顔をした。

「おや、あんたオスかい。三毛猫のオスとは珍しいね。人間にモテるだろうに」

「そうなのか」

 ミケはとぼけた。

 三毛猫のオスは非常に珍しく、遺伝子異常でしか生まれない。そのため、人間界では三毛猫のオスは高値で取引される。だがオスは生まれても短命で、生殖機能を持たない。つまりアイが言ったことは、完全な嫌味である。

「ま、猫としてみりゃただのだ。ご安全なことで何よりだね」

 将暉にしてみれば、生殖機能がこの体にあろうがなかろうが、大して興味もない。なので腹も立たないのだが、チャコは今にもとびかからんとばかりにアイを睨んでいた。

「誉め言葉と受け取っておくよ。黒猫だって人間にはモテるだろう」

 ミケのその台詞を聞いた途端、アイは怒りをあらわにした。

「何だと!嫌味かてめえ!」

「やめな!ふたりとも!」

 ミーがたしなめた。

 アイは不満そうだったが、他の猫も迷惑そうに眺めているのに気づいて、さっさとそっぽを向いてふて寝してしまった。


 どうも、他の猫との交流を深める雰囲気ではなくなってしまったのを感じ、ミケとチャコは出直すことにした。

 ミーもそれには同意し、帰りもついてきてくれた。

「ミーがボスなんだな。今日は迷惑をかけた」

 帰り道、ミケがミーに話しかけた。

「やだね、あたしゃ古参なだけさ。ボスは今は旅に出てるけど、それまでにアイとは仲直りしておいたほうがいいよ」

 ミーはいつものこと、と言った口調で笑い飛ばした。

「私、あの猫キライ」

 チャコが珍しく不満を口にした。

 ミーは少し困った顔をして、アイを弁護した。

「まあ、口は悪いけど、そう悪い奴じゃないよ。あいつに助けられた捨て猫も多い。あいつなりに、自分の境遇の良さに感謝しろって言いたかったんだろ」

 そして、今度はミケのほうを向いて話しかけた。

「ミケ、あんたの言ったことも間違いじゃないけど、意地が悪かったね。黒猫はシュッとしてかっこいい、なんていう人間も出てきたけど、縁起が悪いという人間はやっぱり多い。悪いことが起これば黒猫のせい。そんな考えをする自分勝手な奴だからこそ、猫を捨てるわけだしね」

 ミケも、バツが悪そうに弁明した。

「つい売り言葉に買い言葉で、嫌味を返してしまった。紹介してもらったのに、顔をつぶしてしまったな」

「あんなこと言われて、何も返さなかったら、それこそタマナシでしょ。あんたは妹も守らなきゃいけないんだし、やる時はやらなきゃダメよ」

 めんぼくない、と最後までミケは反省しきりだった。

「今日もカラスが出てきたね。気を付けて帰るのよ。また遊びにいらっしゃい」

 ミーはあっさりとミケたちを開放し、自宅に引っ込んでいった。


 夕暮れの時間はさらに早まっていた。あたりに響くカラスの鳴き声と、数々のカラスの黒いシルエット。

 ミケはそれを見て、不意に胸がざわつくのを感じた。

 不吉なものを感じたとか、迷信めいた話ではない。カラスを見て、自分では取り出せないミケの記憶を、取り出せそうな気がしたのだった。

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