第3話 駐在員は事件現場で猫と暮らす(3)
人間と同じように猫も夢を見ると知ったのは、将暉が猫になってからことである。
昼間の予感が的中し、カラスを見たことをきっかけに、将暉は重要なことを思い出した。自分が猫と入れ替わったあの日の出来事の記憶を、夢という形で見ることが出来たのだ。
ただ、その夢は三宅将暉の視点ではなく、不思議なことにミケの視点で再生された。それはやけに現実感の薄い夢で、将暉は他人事のような感覚で、ミケの視界を覗き見ていた。
◇◇◇
ミケはその日、アパートにいた。
このアパートの主は、三宅将暉だ。警察を辞めて引っ越したばかりの頃だろう。この日将暉は、なぜかいきなり訪ねてきた姫川に猫の世話を押し付けられ、よくわからないまま猫缶を買いに外出していた。
将暉の部屋は二階にあり、その日はわずかに窓を開けていた。
日中は凶悪ともいえる暑さだったのだが、夕立の気配があった。
窓の外が黒々とした雲に覆われていくのを、雷の苦手なミケは不安げに眺めていた。
ばさっ、ばさっ。
そこに突如、一匹のカラスが現れ、落下防止の柵を鋭い爪でつかんで留まった。
雷雨を逃れて軒下に避難してきたのか、と将暉は思った。
だが、カラスはミケを真正面から睨み付け、話しかけてきた。
それは鳴き声ではないが猫に理解できる言葉で、かつ違和感なくミケの耳に入った。
『みつけたぞ。お前があの時の猫だな』
ミケは警戒し、部屋の隅まで後ずさった。体中の毛を逆立て、あらん限りの気迫で威嚇を試みる。だがその威嚇を意にも介さず、カラスは話を続けた。
『俺の名はカラス猫。武井悠馬が預けていたものを返してもらうぞ』
カラス猫。
武井悠馬。
夢の中で、将暉はそのふたつの名前を繰り返した。
夢から覚めても、忘れないように。
カラス猫はミケに飛びかかり、視界が暗転した。
◇◇◇
「ふたりとも起きて。そろそろ二階に行くよ」
姫川の声で目が覚めた。
どうやらコタツで寝入ってしまったようだ。テレビを見ると、放送が終わっている。すでにパジャマ姿だが、姫川も居眠りしていたのだろう。
寝ぼけているチャコを抱きかかえ、居間の電灯を消すと、姫川は階段を上っていった。ミケは自分で歩いて後をついて行く。
電気あんかを入れた布団に姫川が潜り込むのを見て、ミケも続いた。初めの頃は三宅将暉としてのプライドもあったが、寒さが増してきた今ではそうも言っていられない。これは協力関係なのだ。ただ、布団のなかでは、極力姫川とは目を合わせないように意識した。
眠りにつく前に、さっき見た夢について、姫川に話しておくことにした。
ちゃんと覚えていることを確認し、姫川に声をかける。
「寝る前に、少しいいか」
「なあに?おトイレ?」
姫川も、眠気に負けそうになっているようだ。構わず話した。
「さっき夢の中でだな、俺がミケと入れ替わったときの記憶を、ミケの視点で見ることが出来たんだ」
「…?」
「ええと、今の俺には、元の三宅将暉の記憶と、この猫の体にあるミケの記憶、両方が残っている。ミケの記憶はこちらからはなかなか見ることができないんだが、夢を介することで無意識下から取り出されることがあるようなんだ」
姫川は怪訝な顔をし「猫の言うことは難しくてよくわからん」とそっぽを向いた。慌ててミケは、反対側に回った。
「まだ寝るな。重要なことなんだ」
「んもう…」
「今まで俺は、ただ猫と自分が互いに入れ替わっただけだと思っていた。俺には他人と入れ替わる能力なんかないから、ミケがそういう能力を持っていたか、第三の要素、例えば霊媒師みたいな奴の能力で入れ替えさせられたか、そのどっちかだと思っていた」
「れいばいし」
ミケは姫川が寝落ちしないよう、前足で姫川のおでこをぺちんと引っぱたいた。
「だがさっき見た夢によると、俺のアパートに『カラス猫』と名乗るカラスが来て、ミケに襲い掛かっていた。ミケの体に残った記憶はそこで切れている。たぶんだが、この時ミケは、無理やりカラスに体を入れ替えさせられていたんだ」
「…えーと、つまり、その後あんたの体を奪ったのは、猫じゃなくてカラスだったってこと?」
姫川が起き上がり、外していた眼鏡をかけた。
「そういうことだ」
ミケは大きく頷いた。
「俺が部屋に戻る前に、カラス猫はまず猫の体を奪った。そして戻ってきた俺の体を奪い、目的を達した後、カラスの体に戻って飛び去った。その時カラスの体に入っていたのはミケだから、結果的に俺とミケの体が入れ替わったまま残されたんだ」
姫川は空中に図を描きながら、眠気で鈍った頭を精いっぱい使って整理しようとしたが、やがてまた布団に潜り込んだ。
「ややこしいのはわかるけど、思考放棄するな」
ミケはもう一度、姫川の額を叩いた。
「だって眠いんだよう。というか、なんでカラスはそんな回りくどいことをしたのよ」
「それはたぶん、一時的に人間の体が必要だったからだと思う。例えば…そう、猫の首輪を外すとか」
ミケは自分の首元を姫川に見せつけた。
「確かに気になっていたけれど、あんたらをアパートでみつけた時、なぜかチャコのほうしか首輪をつけていなかったのよね。あの首輪を取り返しに来たってことか」
ミケは大きく頷いた。
「それと、奴はミケに『武井悠馬が預けていたものを返してもらう』と言っていた。武井悠馬、という名前に聞き覚えはあるか?」
「たけい、ゆうま…知らないわ。けど、猫を三宅巡査長に預けた人の名前と一致する可能性はあるわよね」
「そんなわけで、武井悠馬とカラス猫。そしてミケの首輪。これらについて調べていこうと思う」
「いいんじゃない?夢に出てきたってのがイマイチ信頼性に欠けるけど」
「それを言ったら、猫が話してる時点で捜査どころじゃなくなるだろう。現状で出来ることを地道にやるだけさ」
姫川はすっかり目が覚めてしまったように見えた。
悪いことをした、とミケは思った。
部屋の灯を消して、ミケは姫川と冷えかけた布団に潜り込んだ。
「ヒメ、最後にひとつだけ」
ミケは小声で話しかけた。
「俺とチャコを引き取ってくれて、ありがとう」
「…ん」
返事とも寝言ともつかない相槌をたてて、姫川は静かになった。
姫川が寝息を立て始めた後も、ミケはしばらく考えを巡らせていた。
襲撃事件の時にも、遺失物の保管箱からいくつかの品目が奪われていた。
もしかすると、あの襲撃事件の犯人は、首輪に隠されていたものを強奪しようとしていたのかもしれない。結局あのとき回収したもののなかには目的のものが見つからず、当日遺失物として預けられていた猫に目をつけた、とも考えられる。
両親が殺されたあの駐在所襲撃事件に、カラス猫は深くかかわっているはずだ。
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