第7話 真理とみやびと……まどか

「いらっしゃい。ウフッ、夕べはお楽しみでしたね。」


 ライトが喫茶ヴァリティの扉をくぐると、そんな言葉で出迎えてくれる真理。


「何のことだ?」


「またまたぁ、惚けちゃって、このこのぉ。」


 真理が身体を突っついてくる。まるで学生のノリだ。


 真理もこんな顔で笑うんだと、今更ながらに思い、おかしくなる。


 ライトが覚えている真理は、いつもまどかとみやびの後を付いていく大人しい少女だった。


「みやびと寝たんでしょ?どうだった?あの子着痩せするから、一部では『隠れロリ巨乳』って言われてて、人気なんだよ。」


 真理がニヤニヤしながら、さらに突っついてくる。


「何もねえよ。」


 ライトは突っついてくる真理の指を払いのける。


「あのなぁ、十年振りに再会した幼馴染みを、再会したその晩に襲うって、どんなケダモノだよ。」


「あら、、愛があれば時間なんて関係ないわよ?」


「あるのか?愛。」


「さぁ?」


 訝しげに聞くライトに、とぼけた様子で答える真理。


「まったく……」と呟くライトの前にコーヒーが置かれる。


「待ち合わせでしょ?ゆっくりして行ってね………このヘタレ。」


 真理の呟きは小さくて、ライトには届かなかった。


 ◇


「あのロリコン!」


 みやびが辛辣な言葉を吐く。


 ライトと待ち合わせをしていると聞いた時は、「なかなかいい具合に進展してるね」と思った真理だったが、ライトが言うには、夕べは何もなかったと言う。


 この、ヘタレとは思うものの、まぁ、こうしてみやびとデートするために呼び出したのならいいかと思っていた。


 しかし、予定時刻より遅れてやってきたみやびに、ライトが「実は女子中学生と知り合って……」と話し出した時は、「ないわー」と思ってしまったのは事実だった。


 そして、今現在ライトが席を外している間にガールズトークの真っ最中という訳なのだが……。


「みやびぃ……。」


 真理は親友の言葉に苦笑する。


 みやびはその外見から、いわゆる「ロリコン」と呼ばれる紳士たちにモテモテだったりする。


 だから、ライトが本当に「ロリコン」であるのなら、みやびは大きなアドバンテージを持つ事になるって気づいているのだろうか?


 たぶん気付いているのだろう、だからこんな複雑な表情をしているに違いない。


 親友の心の内を知っている真理としては、出来る限り力になってあげたいと思う。


「あやちゃんらしいじゃない。見ず知らずの女の子のために動くなんて。それにイジメは良くない……よね?」


「ウン、わかってるよ。れーじんのおかげで、イジメや事件に発展しそうな案件が防げそうだって事もね。」


 みやびは大きくため息をつく。


「私はこういう時に力になりたくて、この道を目指してたんだから、いいんだよ……いいんだけどっ!……なんかね、こうモヤモヤするのよっ!」


「ハイハイ、落ち着いて、ネッ。」


 真理は荒れる親友の為に、アイリッシュコーヒーを入れる。


 この親友の初恋の相手があやちゃんだって事は昔から知っていた。


 と言うより、みやびがあやちゃんの事を好きなんだって気付いたから、自分の中に芽生えかけていた、淡い想いに蓋をしたのだ。


 だから、みやびの中で幼い頃の想いが再燃したのなら、出来る限り力になりたいと真理は思っている。


 みやびがあやちゃんと上手く行ってくれれば、封印された幼き頃の想いも浮かばれるってものだ。


 みやびが、淹れたてのアイリッシュコーヒーに口をつける。


 これは、真理とみやびが初めて飲んだお酒で、二人の思い出が詰まったお気に入りのドリンクだ。


「美味しそうだな。俺にも一杯くれ。」


 その時、ライトが戻ってきて、そう声をかけてくる。


「いいけど、これアルコール入りよ?あやちゃん、またみやびの所に泊まってくの?」


 真理がくすくす笑いながらそう言うと、ライトは「アルコール抜きで頼む」と言ってくる。


「電話終わったのぉ……誰よ?女でしょ、女なんでしょ!」


 みやびがライトに絡みだす。


「仕事の電話だよ……って、みやびっていつもこんななのか?」


 ライトは助けを求めるように真理を見るが、真理はクスクス笑っているだけで答えようとしない。


「演技に決まってるでしょ、ばぁーか。」


「お前なぁ……、はぁ、疲れるよ、まったく。」


 グッタリとした感じでため息をつく。


「そう言えば、あやちゃん、仕事の電話って、良かったの?」


 話題を戻すかのように、真理が聞いてくる。


「あぁ、単なる確認だけだったから、もう終わったよ。」


 そう答えるライトに、みやびはつい口を挟んでしまう。


「仕事って……れーじんは今何してるの?平日なのにここに居るって、長期休暇?」


 聞きたくて、聞けなかったライトの過去から現在。急に離れてしまってから今までライトが何をしていたのか?何を考えていたのかをずっと聞きたかった。


 でも、それを聞くという事は、にも触れないわけにはいかなくて……だから聞けずにいたのに……。



「長期休暇か……まぁ、そんなようなもんだな。人生の長期休暇って、なんかカッコよくね?」


「何だ、プータローか。」


 みやびが呆れたように言い捨てる。


「ば、ばかっ、そ、そうじゃなくてだなぁ、俺は自分探しの旅、と言うか、人生を見つめなおすというか……。」


「ねぇ、今のあやちゃん、お店によく来るニートさん達と同じこと言ってるよ?」


「ぐっ……そうだよ、俺は仕事をクビになったプータローだよ。悪かったな。」


「別に悪いとは言ってないよ……それよりクビってどういうこと?」


 この話題は避けたいと思っているのに、なぜか深く食い込んでくるみやびに対し、どうするかと逡巡しているライトに真理が声を掛ける。


「あやちゃん、良かったら話して欲しいな。別に話してもらったからって、力になるとか解決してあげるなんて偉そうなこと言う気は無いよ。ただ、誰かに話すだけで気が楽になるって事は確かにあると思うの。それに私達は友達で仲間だよね?友達が悩んでいたら、話を聞いて、一緒に悩んであげたいって気持ち、よね?」


 真理の言葉の一つ一つがライトの胸に突き刺さる。


 今真理が言ったことは、以前ライトが話したことだからだ。


 そして、そう言いながら、何一つ話さないまま逃げ出したのだから……。



「別に悩んでるわけじゃないよ。ただ話すほどのこともないってだけで……。」


「それでも、れーじんの事が聞きたいよ。あんな事があって、れーじんにも会えなくなって、二度と会うことがないって諦めてたのに、それなのにこうして今話をしているんだから。」


 みやびが真剣な表情で話してくる。


 その瞳の色はあの頃とちっとも変わっていない。


「それに、私だってあのころと違うんだよ?何も出来なかった子供の私とは違うんだよ。」


 だから話して、とみやびは言う。


 思い込んだら決して引かなくて、そのせいでよくまどかとぶつかっていて……どちらも自分の事じゃなく他人の事で話しているからよけいにタチが悪く、そんな二人の間でオロオロしてるのが真理だったっけ。


「お前のそう言うところ、ホント変わらないのな。」


 ライトは呆れた風に言いながら、この街に戻ってきた経緯を話し出す。


 高校を卒業してからすぐにカメラマンとして働き出した事。


 カメラマンと言う職業を選んだのは、それを目指していたわけでなく、単なる成り行きだったこと。


 何度となく「向いていない」と言われ、先日とうとうクビを言い渡され、ボーッとしたまま行くアテもなく彷徨っていたらみやびと再会したこと等々……。



「……と言うわけで、みやびと会ったのは本当に偶然だったんだよ。」


「そうなんだ。」


「うふっ、あやちゃんとみやびの、偶然という名の運命の再会に乾杯♪」


 からかう真理を、やめてよ、と言いながらポカポカと叩いているみやびを見ながら、ふとあの時感じた事を思い出す。


 --------約束、だよ?--------


「約束……ね。」


「ん、れーじん、なんか言った?」


 ライトが思わず呟いた声が聞こえたらしい。


「いや……ただな、呼ばれたのかなって。」


「呼ばれた?誰に?」


 訝しげな表情でみやびが聞いてくる。


「まどかに……。」



 ライトの言葉にその場の空気が凍り付く。


 出すつもりの無かった名前を出してしまったのは、真理の言うとおり誰かに聞いてもらいたかったのだろうか?


 ライトはそう思いながらも、二人の顔を見る。


 場合によっては、ここで話を断ち切り、店を出ようと考える。


 そう、店を出て、この街をでて、適当に生活をして忘れてしまえばいい。 そんな考えがライトの頭をよぎる。


「じゃぁ……。」


「そうかも知れないわね。」


 ライトが話を打ち切ろうと立ち上がりかけたとき、真理の口からそんな言葉が漏れる。


「そうなの……かも。」


 真理の呟きに同調するようにみやびも答える。


 ライトは座り直し、二人の顔を見て訊ねる。


「どうしてそう思う?」


「あやちゃんは覚えてるかなぁ……来週、まどかの命日なんだよ。」


 真理の言葉に、ライトは頷く。


 細かい日付は憶えていなかったが、夏休みに入る少し前だったと言う記憶があった。


「毎年ね、今ぐらいの時期になると、まどかのことを不意に思い出すのよ。……忘れないでって言われてる気がするの。」


 だから、命日には毎年お参りに行っていると真理は言う。


「私も似たようなものよ。今時分になると、昔のことを思い出して…………自己嫌悪で眠れなくなるわ。」


 先程までと、うって変わってみやびの表情が暗くなる。


 ヤッパリこの話題は出すべきじゃ無かったと後悔するが、今更やめることも出来ない。


「れーじんは何で呼ばれてるって思ったの?」


 みやびが真剣な面もちで聞いてくる。


 ここまで踏み込んでしまったのだから、誤魔化したりは出来ないと思い昨日感じたことを話す事にする。


「昨日、みやびと会う直前、俺は川辺にいたんだよ。」


「あ、うん。あそこ降りたところにあるね。」


「そこでボーッと川を眺めてたら、不意にまどかの声が聞こえた気がしたんだよ。それで思い出したんだ、小学生の頃の事をな。」


 俺は二人の顔を見つめる。


 真理はあの頃の面影が少なくなり、すっかり大人びた顔立ちになっている。


 みやびは、逆にあの頃の面影をしっかり残し、実年齢以上に幼……若く見える。


 だけど、二人が俺の話を聞くときに向ける目は、あの頃と全く変わっていない。


「覚えているか?小六の夏の終わり、みんなで川辺で遊んでいた時の事を……。」



 ◇-◇-◇-◇-◇



 あの日、ライト達はいつものように、いつものメンバー……ライトとまどか、みやびに真理、そして清文と邦正の6人で集まって遊んでいた。


 いつも遊ぶ川辺は、広い範囲にわたって砂地が広がり、まるで海を思わせるかのようだった。


 もっとも、川縁はすぐ深くなっている為、危険という事で網が張られ、水遊びは出来ない様になっているのだが。


 それでも、広い砂場は、走り回るのに最適だった。


 転んでも痛くないし、全身砂まみれになる事を我慢すれば、転がり回るのも楽しい……というか、この6人でいれば、いつでもどこでも何をしていても楽しいと思ったに違いない。


 いつも笑顔でいられた時代とき……自分の周りが世界の全てで、明日起きる楽しい事だけを、夢見ていられた時代とき……自分たちの世界はいつも光り輝いていた、あの頃……。


 だけど、中学入学という、新しい世界への扉が近づくにつれて、彼らの心の中には『未知への不安』という影が忍び込んできていた。



 事の発端は、真理が呟いた一言だったと思う。


「ねぇ、私達来年もこうやって遊べるのかなぁ?」


「どうかなぁ?勉強も難しくなるって言うし、部活動もあるんでしょ?新しい友達もできるだろうし、今までと同じってわけにはいかないんじゃないかな?」


 真理の呟きにみやびが答える。


 この頃のみやびは幼さの残る真理とは対照的に、他の子に比べて背が高く、その発言も大人びたもので、所謂『お姉さん』的ポジションにいた。


 なので、いつも何かにつけて不安がる真理を、宥め甘やかすのがみやびの役割だった。


「部活かぁ、今から楽しみだぜ。」


 中学に入ったらバスケをやるんだ、とずっと言ってきた清文は、真理とは違って不安より期待の方が大きいらしく、真理のいう不安が理解できずにいた。


「まぁ、真理の言いたいことも分るよ。みんなバラバラになったらこの楽しい時間も無くなるんじゃないかって事なんだろ?」


 真理が不安に思っているのは、実の所、遊べるか遊べないかではなく、新しい環境に馴染めるかどうかという事なんだと思う。


 今までと全く違う未知なる世界において、自分はうまく馴染めるのだろうか?


 周りに皆がいなくても、自分は笑って過ごす事が出来るのだろうか?


 そんな事を言いたかったのだと思う。


 

 田舎の村が統合されてできたこの街は、とにかく土地だけは広かった。


 だから町が出来ると同時に、中央に新しく統合した小学校を設立する話が持ち上がったが、各地の村人から「子供が通うのに距離があり過ぎる」という反対意見が多数出たため、結局立ち消えとなり、代わりに今まであった二つの中学校が統合し、新たに設立される事になった


 その為、町には一学年30~60人ぐらいの小規模な小学校が8校存在し、それらの小学校から子供が集まる一学年400~500人規模のマンモス中学校が出来上がる事になった。



「まぁ、中学に上がれば、同じ学校の奴と一緒のクラスになるのは3~4人だろ?周りの9割以上が知らない奴なんだから不安に思うのも分るけど、今から考えても仕方がない事さ。」


 ライトは、そんな風に真理に声をかける。


 さらに言えば、この6人の誰かが同じクラスになる確率はかなり低い事はわかりきっている。


 だから考えても仕方のない事だと、ライトは結論付けていた。


 今から思えば、他に言いようがあったに違いないが、小学生のライトがかける事の出来る言葉はその程度でしかなかった。


「何かあったら俺に言えよ、苛める奴がいるなら、クラスが違っても俺がぶっ飛ばしに行ってやるからな。」


 クニ……邦正が笑いながら真理にそう声をかける。


「ウン、ありがと……でも、私は皆と一緒がいいな。離れ離れはイヤだよ。」


 真理は自分の感情を持て余し、半泣きになっていた。


 真理のそれは、思春期の初期にありがちな感情の不安定さからくるものだったが、そんな事を知らないライトたちは「泣いている女の子をどう宥めるか?」と右往左往しながら、とにかく思いつく限りの言葉を掛けるぐらいしか出来なかった。



「だったらさ、皆で約束しようよ。」


 ライト達が考えあぐねていた時、今まで黙っていたまどかが口を開く。


「約束?」


 べそをかいていた真理が顔を上げてまどかを見る。


「そう、毎年夏になったらさ、皆でここに集まるの。そしてね、イヤな事があっても忘れちゃうぐらい思いっきり遊ぼうよ。」


「ウン、それいいね。5年たっても10年たっても、夏になったら皆に会えるんだよね?」


「そうそう、中学生になって、高校生になって、皆新しい世界で頑張る為にバラバラになるのは仕方がない事だよ。だけど、夏の1日だけでも、今と変わらないみんなと会えると思えば、頑張れる気がしない?大人になってさ、この町を出ることになっても、恋人が出来たり新しい家族が増えたとしても、夏の1日だけは、皆と会える、今、この瞬間に感じている気持ちを思い出せるって、素敵じゃない?」


 日が傾きかけて柔らかくなってきた日差しを浴びながら、そう言って笑うまどかの姿はすごく幻想的で、ライトの心に深く焼き付いて離れる事は無かった。


 思えば、ライトがまどかの事を特別に感じるようになったのは、この時の事がきっかけだったのだろう。


「大人になっても忘れないでね。10年後もみんなで集まろうよ。」


 ライトの頭の中にはいつまでもその時の言葉が響いていた。



 ◇-◇-◇-◇-◇



「夏の特別な1日……だね。」


 みやびがぼそっと言う。


「忘れるわけないよ……私にとって特別な言葉だったから。」


 真理の瞳に涙が浮かぶ。


「結局みんなで集まれたのは中二までだったけどね。」


 真理が涙ぐみながらそんな事を言う。


「あー、だったらさ、今年のまどかの命日、皆でお参りに行かない?そしてその後は、ぱぁーっと騒ぐの。れーじんもそれまでの間ぐらいならこの街に居られるでしょ?」


 みやびが、湿った空気を払拭するかのように、明るい声でそんなことを提案してくる。


「それはいいが、清文とか邦正と連絡は取れるのか?」


 『みんなで』というなら、あの時のメンバーが揃っていないと、とライトは考える。


「あー、うん……、清文は大丈夫だけど、クニは……。」


 みやびの表情が曇る。


 俺が中学を卒業し、この町を出てから三か月後に、邦正も失踪したらしい。


 それ以来全くの音信不通だそうだ。



「でも、れーじんだってこうやって会えたんだし、いつかきっと、クニとも再会できるよね?」


「あぁ、そうだな。」


 可能性は0じゃない、生きてさえいればきっとどこかで会う事もあるかもしれない。


 そう思いながら、ライトはみやびの言葉に頷く。



「じゃぁ、清文には連絡しておくから……ウン、明後日のこの時間にココに集合でいいかな?色々事前に打ち合わせておきたいでしょ?」


「構わないが……ん?真理どうしたんだ?」


 見ると真理がクスクス笑っている。


「ん、あのね、当たり前のようにココが待ち合わせ場所になっていて、昔みたいで嬉しかったのよ。」


 クスクス笑う真理の頭にポンと手を置いてから、ライトは席を立つ。


「ん?れーじん帰るの?」


 俺が立ち上がるのを見て、みやびが声をかけてくる。


「あぁ、じゃぁ、また明後日。」


「ん、またね、れーじん。」


 みやびが軽く手を振る。


「あ、そう言えば……。」


 ライトが店を出ようとしたところで、真理が声をかけてくる。


「あやちゃんは、どこに泊まってるの?」



 …………実はそれが問題だった。  

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