第10話 過去 その1
「おにぃ、入ってもええか?」
ミドリは兄の部屋の扉をノックする。
中から返事がしたのを確認してから、ミドリは扉を開ける。
「どうしたんだ、こんな時間に?」
「おにぃが帰って来るのが遅かったせいやんか。それに『こんな時間』っていうほど遅くないで?」
「そうか?……そうだな。」
言われて清文は時計を見る。
まだ22時を回ったばかりだ。
義妹は「遅くない」というが、中学生であれば十分遅い時間だともいえる。
「なんかあったん?まだ真理姉とケンカ中なん?ウチが間に入ったろっか?」
清文の元気がない。一昨日、みやび姉ちゃんに会ってから目に見えて元気がなくなった。
ミドリは最初、自分達のことで心配を掛け過ぎたせいかと思っていたが、今朝になって益々目に見えて元気がないところを見ると、どうやらそれだけじゃないらしい。
昨晩、清文は遅くに酔っ払って帰宅した。
普段飲みに行かないので珍しいと、ミドリは思っていたのだが、ひょっとしたらその席で何かあったのかもしれない。
どこで、誰と飲んでいたかが判ればと思いはしたが、そんな事判るはずもないと諦めていた。
しかし、意外なところからその相手が判明する……まどか情報である。
まどかに聞いたところによれば、昨晩おにぃとライトさん達が集まって飲んでいたらしい。
だから、その席でまた真理姉とケンカしたのかと思ったのだ。
「いや、真理とはちゃんと仲直りしたから、お前が心配する事じゃないよ。それより、何か用があったんじゃないのか?」
清文がくしゃくしゃと翠の頭を撫でる。
髪の毛が乱れる、といつも文句を言うミドリだが、コレが不器用な清文なりの愛情表現だとわかっているから、いつも文句を言うだけでされるがままになっている。
「そや、コレ……。」
ミドリはライトからもらったYukiのアルバムを差し出す。
「ライトはんから、もろうたんや。Yukiのアルバム……おにぃの分やて。」
「レイが?なんでYukiのアルバム??」
「そのジャケ写撮ったのがライトはんなんやて。」
「アイツ、こんな事してたのか……。」
清文がCDを見ながら何か思いふけっている。
「なぁ、おにぃ、一つ聞いてええか?」
「ん?」
「おにぃはライトはんの事『レイ』って呼ぶんやな。真理姉もみやび姉ちゃんも別々の呼び方しとったし、ウチ混乱しそうや。」
「あぁ、その事か。……まぁ、事情を知らないとそうだろうな。」
清文は笑いながら教えてくれる。
「元々言い出したのはみやびとクニなんだけどな……。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「『れいじん』だよ、この間この字覚えたもん。」
「バーカ、これはな、ちょっと捻って『アヤト』って読むんだよ。」
言い合いをしているのは、みやびと邦正。
こいつらは引くことを知らないから、何かにつけて言い合いになる……まぁ、いつもの事だと、清文は嘆息する。
清文自身、この二人……浅岡みやびと岡田邦正とはこの4月からの付き合いではあるが、まともに付き合っていても疲れるだけだという事を、清文はこの1ヶ月で学んでいた。
清文より、賢い……というかあきらめの良い桐原まどかと鹿島真理は、そんな二人の様子をワクワクしながら見ている。
そして、中央に座る一人の男子……ある意味この騒動の元になった奴……春日部礼人が困ったような、諦めたような顔で佇んでいた。
事の起こりは、この春日部礼人が転校してきたことだった。
……正確に言えば明日転校してくる予定の男子。
元々、四月の新学期に合わせて転校してくるはずが何らかの手違いで、GW明けの明日から来ることになったんだそうだ。
四月の予定だったので、名簿にはしっかりと『春日部礼人』と記載されている。
しかし、誰も見た事もない『春日部礼人』なる人物は「姿なきクラスメイト」として一時話題になったものだ。
清文としても気になってはいた。
何と言っても苗字が『春日部』だ。なんて読むのか分からないけど、真理と清文の間に入ってきた名前。
そしてそれは、2年間ずっと机が隣同士だった真理と、席が離れる事を意味していた。
なのに、真理の隣はずっと空席だった……真理の事が気になっていた清文としては、その空席に複雑な思いを抱いても仕方がない事だろう。
そして今日、その空席の主と出会うことになったわけだが……。
「えーと、そろそろいいかな?」
「れーじんは黙っててっ!」
「アヤトは黙ってなっ!」
不毛な言い争いをしている二人を見かねた件の人物……『春日部礼人』が声をかけるが、二人は声を揃えて黙らせる。
「あ、はい……。」
困った顔で黙り込んだ男子に、まどかが声をかける。
「ゴメンね、謎を解くんだって、あの二人張り切っちゃってるのよ。でも見てるだけで面白いから、ネッ。」
そう言いながらまどかは、二人の方へ視線を向ける。
「大体何で『アヤト』なのよ。そんな読み方習ってないよっ。」
「うっせぇな。昨日読んだ漫画に出て来たんだよ。そいつは『礼人』とかいて『アヤト』って読むんだぜ。」
あまり実の無い会話を聞きながら、男子はまどかに声をかける。
「どうせ読めないから意味ないんだけどなぁ……。あ、俺「かすかべらいと」って言うんだ。明日からこの学校に通うから見に来たんだけど、ひょっとしてクラスメイトになるのかな?」
「ライト……君。私、桐原まどか。で、こっちにいるのが……って、真理、何で隠れるのよ。」
「俺は霧島清文だ。」
尻込みをする真理を見て、庇うように清文が前に出る。
「えっと……鹿島……真理……です。」
清文の背中に隠れる様にして、小さな声で名乗る真理。
「おーい、お前ら転校生の名前ライトだってよ!」
真理を庇う様にしながら、清文はまだ言い合いを続けている二人に声をかける。
「「なんだって!」」
二人が慌ててやってくる。
「「なんで言っちゃうんだよ(のよ)!!」」
二人がすごい剣幕でライトに詰め寄る。
「……なぁ、これって理不尽って言わないか?」
ライトがまどかに向かってそう言う。
「難しい言葉知ってるのね。」
しかしまどかは笑うだけで取り合わなかった。
「しかしライトかぁ……ぜってぇ読めねぇ!」
「だよねぇ、もう『れーじん』でいいじゃん。」
「バーカ、コイツは『アヤト』で決まりだ。」
二人は自分の主張を曲げたくないようだった。
「えっと、俺ってこれからあの二人にそう呼ばれるのか?」
ライトが疲れたようにまどかに聞く。
「たぶんね、人生諦めが肝心ってパパが言ってたわ。」
「9歳の娘に人生を諦めさせる父親って……。」
まどかの言葉に、がっくりと項垂れるライトを見て、なかなか面白そうな奴だと清文は思う。
だからなのか、からかい半分で口を開く。
「じゃぁ、俺は『レイ』って呼ばせてもらうぜ。」
邦正の言う『アヤト』からとって『アヤ』と言ってやろうと思ったのだが、流石に女の子みたいで可哀想だと思って『レイ』と言ったのだが、その気遣いを無駄にする声が背後から聞こえる。
「アヤ……アヤちゃん……。」
か細いけど、はっきりと主張する真理。
「えっと、流石にそれは……。」
困った顔で否定しようとするライト。
「アヤちゃん……ダメ?」
真理の眼に涙が浮かぶ。
「いや……その……。」
ライトは助けを求める様に清文を見るが、清文は黙って目を逸らす。
そのまま真理に視線を戻し、今度はまどかに視線を向ける。
するとまどかは、ライトの肩にポンっと手を置く。
「言ったでしょ、人生は諦めが肝心だって。代わりに私は『レイちゃん』って呼んであげるから……ねっ?」
「ねっ、じゃねぇよぉ!」
これが、ライトのグループ内での呼び方が決まった瞬間だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まぁ、そんなわけで、俺達の間では好きなように呼んでいたってわけだ。」
清文の声を聴きながら、まどかは清文が書いてくれたライトの名前の漢字を見つめる。
「確かに、コレで『ライト』って読むんはムリやわ。」
「だろ?」
清文が可笑しそうに笑う。
「おにぃ達はそんな昔からの付き合いやったんやね。なんや、羨ましいわ。」
ミドリは思う、十年後、まどかと同じように笑い合う事が出来るのだろうか?と。
それはそれとして、清文の様子はさっきまでより少しは元気が出て来たみたいなので、ミドリはもう少し突っ込んで聞いてみることにする。
「そんな頃から付き合いのあったライトはんと、久し振りにおうたんやろ?なのに、何でそんな元気ないねん?」
「ん?あぁ……。」
清文が黙り込む。
ミドリは清文が何か話してくれるまで、この場を動かないことを決め、じっと見つめる。
「ん、あぁ、まぁ、その……なんだ、…………。」
清文はなんとか誤魔化そうと試みるが、じっと見つめてくるミドリの瞳に耐えきれず、観念する。
「今日な、朝礼で校長先生から話があっただろ?」
「あ、うん。イジメはダメやとか、悩みがあれば大人に相談せいとか、河原は危ないとか、そんな話やろ?なんか毎年同じ話しとるさかい、みんな聞き流しとるで。」
「まぁな、あの話は杏南中に代々伝わる話なんだよ。校長が代わるとき前任者から、この時期になったら必ず話をするようにと申し渡されてるんだよ。」
清文は苦笑しながら、話を続ける。
「それで何でそうなったかというと、一人の生徒が亡くなってるからなんだ……丁度8年前のこの時期にね。」
「おにぃ、それって……。」
8年前と言えば、清文達が今のミドリと同じ年だった頃だ。
清文がなぜ、わざわざ「8年前」と時期まで話したのか?
察しのいいミドリはそれだけで判ってしまう。
「やっぱり、翠は賢いね。」
ミドリの表情の変化から、大体の事情を察したらしいと理解した清文は、優しくミドリの頭を撫でる。
「そう、亡くなったのは、俺達の仲間だった桐原まどかなんだよ。もうすぐ命日だから、今年はみんなでお参りに行こうって話を昨夜はしてきたんだよ。」
清文はそれだけを言うと黙り込む。
「おにぃ……ウチ、なんて言ってええか………堪忍や。」
ミドリはそれだけを言うと、逃げるように清文の部屋を出ていく。
単なる好奇心だけで踏み込んではいけない領域に、足を踏み入れたのだと、ミドリは思う。
そして、清文はそこに足を踏み入れて欲しくなかったと言うことは、あの顔を見れば容易に理解できる。
(ウチはアホや……誰だって踏み入って欲しくないことがあるって判ってるクセに……)
ミドリは枕に顔を埋める……後悔の念に苛まれて、今夜は眠れそうになかった。
◇
清文は、ミドリが出て行った扉をボーッと見ている。
ミドリが出て行くときの顔は、今にも泣き出しそうだった。
悪いことをした、と清文は思う。
ミドリは、ただ自分を元気づけたかっただけなのだから、気にすること無いのに、とも思う。
だけど、同時に理解できないのだから放っておいてくれ、とも思ってしまう。
清文にとって、ライトとまどかのことは、ある意味重石であり、清文を留める足枷だった。
今回、ライトと再会したことは、乗り越えて前に進めと、誰かに言われたような気がした。
「乗り越える……か。」
清文はそう呟きながら昨夜のことを思い出していた。
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