第13話 ライトとみやび

 チュンチュン……。


「ん……朝かぁ。」


 ライトは起きようとして、隣を見て……諦める。


「ハァ……流されてるなぁ。」


「ん、んーん……。」


 隣のがライトにしがみついている。


 はだけた布団の隙間から、みやびの肌が見え隠れする……。


「俺何か悪いことしたかぁ?」


なぜ、このような仕打ちを、と天に向かって舌打ちをする。


ライトだって健康な若い男だ。

みやびのような可愛くて魅力的な女性を前に理性を保てというのはかなり酷な話である。


それがこんな一つベットの中で、しかも裸に近い薄着でしがみつかれていては、ライトの中の獣がいつ暴発してもおかしくはない。


ライトとて、みやびが好意を向けてくれていることはわかっているので、理性をかなぐり捨てても、問題にならないと言うことぐらいはわかっている。

むしろみやびはそれを望んでいるであろうことも。


しかし、しかしだ。

ここでみやびと結ばれるわけにはいかない。

それでは、酒に酔った勢いで、なおかつヘビーな過去に流され同情で……ということにならないだろうか?


そんなことを考えつつ、ライトは昨夜のみやびの様子を思い出す。




かなりヘビーな話をしたため、みやびの情緒は不安定どころじゃなかった。


アルコールが入っていた所為もあったかも知れない。


みやびはひとしきり泣きじゃくった後は、幼児化したように甘え、ライトから離れようとしなかった。


「そろそろ帰るわ。」


 ライトはそう言って店を出ようとするが、みやびが離れない。


「あのぉ、みやびさん?」


「送ってけ……。」


「えっと……。」


「送ってけ!」


「だからね……。」


「いいから送ってくのっ!どうせ帰るところなんてないんでしょ!」


 みやびがキレる。


 酔った女の子に道理が通用しないのは経験則で分かっている。


 こういう場合は、素直に従うのが正しい在り方なんだそうだ。


「ってことなんで、送ってくわ。」


「ハーイ、気をつけてね。でも無理矢理はダメよ。」


「何の話だよ……ったく。まどかちゃんとミドリちゃんによろしくな。」


「はーい。」


「ミドリはお前なんかに渡さん!」


 清文が親父と化していた。


「ばーか。ロリはコイツで間に合ってるよ。」


「ぁんだとぉ……ぁれがロリよぉ……。」


 背負ったみやびが暴れ出す。


「わわっ、あぶな……。オイ大人しくしてないと捨ててくぞ?」


ライトがそう言うと、途端に大人しくなるみやび。


その代わり、ギュッとしがみつく腕に力を入れてきた。


ライトはそのまま店を出て、みやびを送り届けるために歩き出す。


みやびの住むマンション?までは歩いて10分程度だ。酔いを醒ますには丁度いいかも知れないとライトは思う。



「ねぇ……。」


 背中越しにみやびの声が聞こえる。


「ん、寝たんじゃなかったのか?」


「そんな勿体ないことしないよ。それより……れーじんは独りで寂しくなかった?」


私は寂しかったよ、と小さく呟くみやびの声がきこえる。


「寂しくなかった、と言ったら嘘になるな。だけど、高校に入れば新しい関係が生まれる……社会に出ればまた関係が変わる……お前だって同じだろ?」


「そうだけど……そうだけど、れーじんは全て忘れるために出て行ったんだよね?それって寂しくない?私達ってそんなに簡単に忘れてしまえるものだった?」


ライトは答えなかった……答えることが出来なかった。


暫くの間、無言で歩き続けるライト。


「ねぇ……。」


「なぁ……。」


 二人の声が重なる。


 そしてまた無言の時間が続く……。


「……ねぇ、さっき言い掛けた事……何?」


「ん、あぁ、答えを考えていたんだ……。」


「答え?」


「あぁ、簡単に忘れられたかってヤツ…………忘れたよ、8年かかったけどな。」


 その言葉を聞いて、みやびは自分の顔をライトの背中に埋める。


「忘れたと思った……、忘れられたと思った……。けど、今俺はここにいる……それが答えなんだろ。」


 ライトは自嘲するように呟く。


 みやびは何も言わず、ただ背後から抱きしめるかのように、ライトに回した腕に力を込めるだけだった。



「着いたぞ。」


 ライトは部屋の前でみやびを降ろすと、みやびはポケットから鍵を取り出して、ガチャリと開ける。


 それを確認したライトは「じゃぁな。」と言って帰ろうと踵を返すが、みやびが服の裾を掴んで離さない。


「なぁ、離してくれないと、帰れないんだが?」


「抱っこ。」


「ハァ?」


「抱っこしてベッドまで運んで。」


「お前ふざけんなよ!」


「いいから連れてけ!」


 ライトは、いい加減にしろ!と言いかけたが、今にも泣き出しそうなみやびの顔を見て諦める。


結局、みやびをお姫様抱っこして、奥の部屋まで移動する。


そしてベッドにみやびを降ろすが、みやびは首に回した腕を解かない。


それどころか、力を込めてライトを引き寄せる。


ライトはバランスを崩して前のめりになり、みやびはそのままライトを引き寄せ、その唇を塞ぐ。


どれぐらいそうしていただろうか?


暫くして、ようやくみやびの腕の力が抜けて、ライトを解放する。


みると、みやびはすやすやと寝入っていた。


ライトはみやびの頭を軽くなで、部屋を出て行こうとする。


「……行っちゃイヤ。」


 ライトの足が止まり、振り返ってみやびを見る。


「いかないで…………おいて……いかないで……一緒に………いて……。」


 ライトは困ったように頭をかく。みやびはしっかり寝入っていた。


「寝言かよ。」


みやびにとって、今日のライトの言葉はかなりきつかったのだろう。


窓から指す月明かりがみやびを照らす。


その閉じた瞼に浮かぶ涙を、指先でそっとぬぐってやる。

すやすやと眠るみやびの寝顔は、これ以上ないくらい可愛いかった。


幼かったあの頃……活発で、人一倍面倒見がよく、優しい女の子……。もしかしたら「恋」に育ったかも知れない、淡い気持ちを抱いていた女の子の中の一人……。


 出来れば忘れたかった、でも忘れることの出来なかった過去のことを話した所為で、情緒不安定になっていたかも知れない。人恋しく思ったのかも知れない。


 それに何より、まっすぐに好意を向けてくるみやびに対して、あの頃抱いていた気持ちが膨れ上がっていただけかも知れない。


しかし、ライトが今みやびに抱いているのは、恋愛感情ではなく、ただの傷の舐め合いに近いのだと思う。


そんな気持ちでみやびを抱くことはライトにはできなかった。それはみやびに対する冒涜だと思ったから。


「酔った勢いで……なんてのは格好悪すぎるしな。」


そういいながらライトは帰るのをあきらめてベッドに横になる。

そうすると、気配を感じたのかみやびがすり寄ってきて抱き着く。

ライトはみやびの柔肌に包まれながら、いとも簡単に意識を手放すのだった。


 ◇


「何もしてない……って言っても信じてもらえないだろうなぁ。」


 隣で幸せそうに眠るみやびを見つめる。


 みやびのことが、好きか嫌いか、と問われれば、好きと答えるに決まっている。


 ただ、愛してるか?と言われれば、答えに困る。


 ライトの人間不信はそれだけ根深いものだった。


 みやびが寝返りを打つ……みやびの身体を覆っていた布団が捲れ、普段は衣服に隠されて判りづらい立派な双丘がライトの目に飛び込んでくる。


 朝と言うこともあり、ライトは自身が元気なのを自覚する。


 これ以上はヤバい、と、ライトはみやびを起こさないようにそっとベッドから抜け出すことにする。

幸いにも、先ほどの寝返りで、みやびのホールドからは解放されている。


「うぅん……。」


 抜け出そうとしたライトの手が、その柔らかいものに少しだけ触れると、みやびは再び寝返りをし、ライトを抱きしめるように引き寄せようとする。


ライトは慌てて、そばにあった大きなクマのぬいぐるみをあてがうと、みやびはその熊を思いっきり抱きしめる。


「惜しいことをしたのか?」


部屋を出る前にもう一度みやびの姿を目に焼き付ける。

自分の判断を後悔していないけど、何だかんだ言っても、ライトもごく普通の健康的な男子だったから、惜しいという気持ちも残っている。


みやびを抱くという選択をしていれば、この後もまた違った結果になったのかもしれない。

だけどライトは、今の自分の判断を後悔はしても否定する気にはなれなかった。


 ◇


「で、その一般的に健康な男子であるあやちゃんは、平日の真っ昼間から何してるの?」


「何の話だ?」


「またまたぁ、とぼけちゃってぇ。ネタはあがってんのよ。この送り狼君?」


 喫茶ヴァリティのカウンター越しに、真理がからかってくる。


 別にからかわれるために来た訳じゃない。


「それで、夕べはどこに行ってたの?別のオンナの所?」


「どこだっていいだろ。」


 実は車の中で寝てたとは言いたくなかった。


 なし崩し的にみやびの処に泊まっていたわけだが、さすがにこれ以上はまずい、と昨日はみやびの部屋にはいかなかった。

というより、これ以上みやびのところに泊まると理性が持ちそうになかったのだ。


「よくないよ。あやちゃんが帰ってこないって、みやびから電話があって、夕べは大変だったんだから。」


 何でも、一晩中みやびの愚痴と惚気の電話につき合わされたという。


「どうせあやちゃんの事だから、意味もなくみやびの世話になるなんて格好悪いとか考えてるんでしょ?」


「……何故判る?」


「…………そう言うところは変わってないんだね。少し安心した。」


 ライトは答えずに、コーヒーを口にする。


「別にいいじゃない。みやびの処に泊まっていれば。どうせ行くアテもないんでしょ?」


 長くいれば情が移る……それはいざ離れようとした時に枷になる………とは言えなかった。


 だからライトは黙ってコーヒーを飲む。


そんなライトの様子を見て、真理が言う。


「何ならうちに泊まる?部屋も空いてるし。ただまどかちゃんに手を出したら許さないからね。」


「魅力的なお誘いだけど、清文に殺されそうだから遠慮しておくよ。そんな事より、今日は保護者に許可を貰いたくてね。」


これ以上この話題は続けたくない。そう思ってライトは話題を変える。


昨日わざわざ隣町のネットカフェまで行って、印刷して来たプリントを真理に見せる。


「フォトコンテスト……?」


「そう、まどかちゃんをモデルにする許可をもらえるかな?」


 真理に見せたのは、ある大手雑誌社が定期的に行っているフォトコンテストだ。


 このコンテストで入賞したカメラマンが、その雑誌の専属になったり、モデルがそのままデビューしたり等、話題も実績もある有名なコンテストだ。


「もうすぐ夏休みだろ?天気のいい1日を選んで、まどかちゃんをモデルにして撮影をしたいんだ。」


 元々、まどかやミドリに持ちかけたはこのコンテストに応募するためのものだった。


 あれから状況が変わったといえ、まどかちゃんを撮ってみたいという、ライトの気持ちは変わっていなかった。


 

 もうすぐまどかの命日だ。


 その後夏休みに入って直ぐ、まどかちゃんを撮影し、そしてこの街をでる。


 その後のことは考えていないが、ライトのちょっと早い夏休みはそれで終わりだ。


 それでいいんだと、ライトは自分自身に言い聞かせるように何度も繰り返し呟く。 


「あやちゃんは本当にそれでいいの?」


 ライトのそんな浅い考えを見透かしたかのように、真理がそう聞いてくる。


「こういうお店やってるとね、色んな人を見るの。でね、「あの時こうしてれば」って言う人を多く見てきたのよ。そう言う人に限って、言うだけで何の行動も起こしてないんだけどね。行動を起こした人はこう言うのよ「別の選択もあったんだけどな」って………。行動せずに後悔する人と、行動した結果後悔する人では目の輝きが違うの。………私は行動を起こした人の目が好きだなぁ。」


 ライトは何も答えずに、席を立つ。


「また夜来るよ。さっきの件、まどかちゃんと話して考えておいてくれよ。」


 そう言って店を出ていくライトを真理は見つめ……姿が見えなくなってから呟く。


「あやちゃんのバカ………。」


 ◇


「じゃぁ、いいんだな?」


「ハイ。ライトさんのお役にたてるなら、是非協力させてください。……あ、でも、一人だと恥ずかしいのでミドリとネコちゃんも一緒にお願いします。」


夜、再び訪れたヴァリティの店内で、ライトは昼間真理に話したコンテストのことをまどかに話すと、まどかは二つ返事でモデルの件を了承してくれた。


「あとねぇ、保護者からの条件もあるわよ~。」


 横から真理が口を挟んでくる。


「まずねぇ、ヌードは勿論の事、水着姿も禁止ね。それから撮影には保護者も立ち会うからね。後……。」


「まだあるのかよ……。」


 更に条件を加えようとする真理にうんざりとした表情を向けるライト。


「当たり前でしょ!まずねぇ、あやちゃんの撮った写真を、ここに飾る事でしょ、それからねぇ……。」


 カランカラーン


 真理のどうでもいい条件が続く中、不意にドアベルの音が鳴り響く。


 反射的に、入り口に顔を向けると、そこにはみやびがいた。


「こんばんわぁ……あれっ、れーじんがいるぅ……真理と浮気してたなぁ。」


 みやびが、フラフラ―ッとしながらやってきて、ライトの横に腰かける。


「えへっ、れーじんだぁ、れーじんがいるぅ……。」


 ふにゃふにゃ―とライトに寄り掛かるみやび。


 そんなみやびの身体を支えながら聞いてみる。


「お前、もう酔ってるのか?」


「酔ってないよぉ……ちょっと飲んだだけだからねぇ。」


「だから、酔っぱらいはみんなそう言うんだって。」


「えへへ……。」


 ダメだ、聞いちゃいない。


「みんながねぇ、言うのよぉ。『みやびちゃん、色っぽくなったねぇ』って。誰の所為かなぁ?」


 みやびがライトの胸を突っつきながら言う。


「誰の所為なんですか?」


 傍にいたまどかちゃんが首をかしげて聞いてきた。


「さぁ、誰の所為かしらね?」


 真理がニヤニヤ笑いながらそう言ってくる。


「だぁれぇのぉ、せいだぁ……。」


「あぁ、もう黙れ。……真理、まどかちゃん、今日はこれで帰るわ。撮影に関してはまた今度な。」


 ライトはそう言うと、「帰るぞ」とみやびに肩を貸して抱き起す。


「えぇー、帰るのぉ……だったらおんぶぅ……。」


「アホか。」


 そう言いながらみやびを背負うライト。


「こんなみやびちゃん、初めてみました……ライトさん大丈夫ですか?」


 まどかがライトを気遣う。


「みやびちゃんじゃなぁーい、お姉ちゃん!」


「えっ、でも、前は「みやびちゃん」って呼べって……。」


「そうそう、みやびちゃんだよぉ……。」


 まどかは訳が分からず混乱している。


「悪いな、気にしないでくれ……まぁ、まどかちゃんは、大人になっても酒を飲んでこんな風にならない様に気を付けるんだな。」


「あ、あはは……。」


 力なく笑うまどかちゃんの頭を一撫でしてから、ライトは背を向けて店を出ていく。



「みやびお姉ちゃん、何かあったのかなぁ?」


「さぁね。まどかが気にする事じゃないよ。アレは甘えてるだけ。」


 いつの間にか横に来ていた真理がそう言う。


「そうなんだ……ウン、みやびお姉ちゃん、なんか可愛かった。」


 そう言って真理を見るまどかの瞳には涙が浮かんでいた。


「アレっ、何だろうね?おかしいなぁ。」


 まどかが涙をぬぐう。


 そしてライト達が去ったドアを見つめながら呟く。


「なんかね、ライトさんとみやびお姉ちゃん見てたら、心の中がポカポカして、それでね、奥の方がチクリと痛むの……これなんだろうね?」


 真理はドアを見つめるまどかをそっと抱きしめる。


「まどかちゃん、今は分からなくていいから、その気持ち大事に取っておきなさい。いつか分かる時が来るから……その時は、きっとその気持ちは大事な宝物になるからね。」


「うん……。」


 まどかは再び溢れてくる涙でぼやけた扉をじっと見つめていた。



 ◇



「ねぇ、れーじん……。」


 背中越しにみやびの声が聞こえる。


「ん?」


「れーじんは、またこの街を出ていくの?」


「……。」


 みやびの問いにライトは答えなかった。


「私、止めないよ……その代わり、出ていくその時まで……私の傍にいて……ダメ、かなぁ?」


「お前、ズルいぞ……。」


「えへへ……そうだよ、私はズルいの。」


 まどかがギュっとしがみ付いてくる。


「行っちゃヤダ……一人は淋しいよ……。」


 みやびの押し殺した小さな声を、ライトは聞こえない振りをした。



 ◇



「れーじん……付き合ってる彼女いた?」


部屋のソファーで、グラスを片手に持ったみやびがライトにもたれかかりながら聞いてくる。


「いないよ。」


「じゃぁ、好きになった子は?」


「………いないよ。」


「今の間は何かなぁ?」


 揶揄う様に言うみやびの頭を、「うるさい、黙れ!」軽くはたく。


 みやびはライトにさらに体重を預けながらグラスに口をつけ、ライトの横顔を眺める。


 ライトが、本当はまどかが好きだったことは知っている。


 自分の知らない8年間で、ライトの心の中に入り込んだ子もいたんだろうと思う。


 ひょっとしたら、今でもライトはみやびの知らない「誰か」を想い続けてるのかも知れない。


 だけどみやびはそれでもいいと思う。


 自分の恋は成就しないのかもしれない。


 ただ、今だけは……こうして一緒にいる今だけは、ライトの心は自分に向いているはずだから……。

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