第2話 野原まどか

「はぁ……。」


……どうしたらいいんだろ?


少女は今日何度目かになるか分からないため息をつく。


「3万円かぁ……大金だよねぇ。やっぱりミドリが言ったこと……・。」


少女、野原まどかは、1時間ほど前に級友の霧島翠と交わした会話を思い出していた。



「ハァ?リフレ?サポ?」


翠はビックリしたように聞き返してきた。


そんなに驚くコトなのかなぁ?


まどかは不思議に思ってさらに聞いてみた。


とにかく急いでお金が必要なのだ。



「うん、どういうことするの?それやればすぐお金もらえるの?」


「まぁ、すぐ稼げるっちゅーか……」


翠はなぜか言いにくそうにしている。


「まぁ、なんて言うか……せやなー、簡単に言えばどっかのオッサンと話してお金もらうんや。そんで、そのオッサンに色々サポートしてもらうって事なんやけど……。」


そう教えてくれた翠の顔はなぜか赤くなっている。


「そうなんだ。ありがとう」


そんな翠の顔を見てると、なぜだかわからないけどまどかの頬も染まってきた気がする。


なんだか、いけない事を話してる気がして顔がほてってきた。


「まどか、お金要るん?」


翠が訊いてくる。


「ち、ちがうの。ふと耳にしたから聞いてみただけなの」


慌てて否定する。


「ただそれだけだから、深い意味はないの」


詳しい事情を話せば、翠は喜んで協力してくれるだろう。彼女はそういう優しい子だとまどかは思う。


しかし、翠が今抱えている悩みのことを考えると、自分の事情に巻き込むことは出来ない。


そう、これは私が勝手にやることだから翠を巻き込んじゃいけないんだ、とまどかは思った。



「せやけどなぁ……。ええか、絶対にあかんで」


真剣な顔つきで翠が言う。


「リフレとかサポっつうのはアホの子がすることや。犯罪に巻き込まれるかもしぃへんし。絶対アカンで。」


普段おどけてる印象の強い彼女にしては珍しく真面目な表情だ。こういうときのミドリは本当に心配しているというのはわかっている。だからこそミドリにだけは悟られちゃいけない。


「ウチ、なんでも相談にのるさかい、絶対に早まったことはせーへんでな」


「ウン、ありがとね、ミドリ。」


翠の真剣さが伝わってくる。それだけに、まどかは事情を話せないことに息苦しさを覚えた。


「あ、そろそろ帰ってお店手伝わなきゃ。」


まどかは、そういってかばんを取ると「またね」といって教室を出て行った。



「隠してるのバレバレや」


絶対に何かあると翠は確信していた。


……ごまかしてるつもりだろうけど、そんなに器用な子やない。


大方、ウチを巻き込まんようとか考えてるんやろけどなぁ。


まどかとは5年の付き合いになる。行動や性格はお互いに理解しているつもりだ。


優しいくせに他人との距離のとり方が不器用で、それでも他人の事に一生懸命で、時には空回りして損をする。そして、時折突拍子もない事を平気でしでかす……まどかはそういう子だった。


……まぁ、そういう子やから、ウチも好きになったんやけどな。


「ま、言えへんのやったら、勝手に動くまでや。」


翠はかばんを取ると、まどかの後をこっそりと追いかけていった。



まどかの足は、気がつくといつもの土手に向かっていた。


……「お気に入りプレイス」って、ミドリが勝手に名づけていたっけ。


あそこは、確かにまどかのお気に入りの場所だった。


悩んだり、悲しいことがあったときは、いつもそこに行っていた。


土手に座り込んで川面を眺めていると落ち着いてくる。


何も解決するわけではないけど、心が落ち着くのはとっても大事なことだと、まどかは思っている。


心が落ち着けば少しはましな答えが出てくるかもしれない。


そう思っていつもの場所に来たのだが……今日は先客がいた。


綺麗な夕日が見える絶景スポットとはいえ、いままで人がいたことがなかっただけに少し驚くまどかだった。


……仕方がないかぁ、と、帰ろうとしたとき、ふと先ほどの会話がよみがえってくる。


――オッサンと話してお金を貰うんや――


「おじさん」というには若いように見えるけど……どちらかというと「お兄さん」って感じかな?


ミドリのお義兄さんと同じぐらいかなぁ?


それなら話しかけやすいかも?……と、まどかは決心して近づいていく。


とにかく、まどかは明日までに3万円を用意しなければならないのだ。


何か考え事をしてるのか、かなり近づいても相手は気づく様子もない。



……思い切って声をかけてみる


「こんなところで何をしてるのですか?」


「ま、まどか……」


振り返った男は、驚いた表情でまどかの名前を呼ぶ。


「えっ?」


名前を呼ばれた瞬間、まどかは「どうしよう」と思った。


知らない人だとばかり思っていたのに、向こうがこっちを知っている可能性は考えてもいなかった。


というより、何故私の名前を知っているんだろう?お姉ちゃんの知り合い?だとすると少し不味いかも。



「あ、いや、ごめん、人違いだ……ここにいるわけがないのにな。」


まどかが悩んでいる間に、答えが示される。後半は良く聞き取れなかったが、どうやら人違いだったらしい。


「待ち合わせしてるんですか?」


人違いなら問題ないかな?と少しほっとしながら隣に腰掛けて会話を続ける。


とにかくお話をしてお金をもらわないといけないのだ。


待ち合わせだとしたら、早く立ち去らないといけない。待ち合わせている相手がまどかの知らない人だとは限らないのだから。


「その……まどかって人と」


そう聞きながら相手をよく見てみる。

年のころはやはり緑のお義兄さんに近いみたい。

とても人の好さそうな性格をしているみたいだけど、陰のある感じが時折見えるのが少し気になる。


だけど、この人はきっと良い人だ、とまどかは思う。


人の顔色を窺って生きてきたまどかは、それゆえに自分の人を見る目は確かだという変な自信があった。


「いや、ただぼーっと見てただけ」


お兄さんがこたえてくれたことに、少しホッとしつつ、さらに言葉をつむぐ。


「何もないのに?」


「川があるよ。あともう少しすれば夕陽が綺麗な時間だよ」


……同じこと考えてる人がいるんだ。


男が答えるのを訊いてまどかは驚きつつも親近感を覚えた。


まどかもここから見る夕陽が好きだった。


ミドリは、「こんななにもない場所やのに……。」とよく言うけど、私はその都度「川もあるし、綺麗な夕陽も見れるよ」と言い返していたものだが、まさか同じことを別の人から言われるなんて思いもよらなかった。


 夕刻の……この時間帯の景色はすごく素敵だ。これを見ないのは見ないのは、人生の1/3位は損をしているんじゃないかとと常々考えている。

それだけに、同じ想いを共有できた気がして、少し嬉しくなる。


「あたしもまどかって言うんです。だからさっきはびっくりしちゃった。……ここ、私のお気に入りの場所なんですよ」


言いながら、まどかは川のほうを見つめる。


「あぁ、間違えてごめん。俺がここで川を眺めていると、さっきのように声かけてきてたから、つい……ね。」


男も川を見つめたまま答える。


「あ、そうだ、俺は春日部……春日部ライト」


ふと、思い出したようにおにぃさんが名乗ってくれる。


「かすかべ……さん?」


まどかが、ライトに顔を向けてつぶやく。


……どういう字を書くんだろう?


何故かどうでもいいような事を考えてしまう。


「あぁ、言いにくいだろ?ライトでいいよ」



「らいとさん……ライトさんですね。私はまどかです。野原まどか。」


私はとびっきりの笑みをのせておにぃさん……らいとさんに微笑みかけた。



「まどかです。野原まどか。」


そう言って、にっこりと笑うのを見て、ライトはドキッとする。


夕方の柔らかな光を反射して少し染まった頬。逆光を受けた、肩より下まである黒い髪のラインが金色に光輝いていてとても綺麗だ。

その好奇に満ち溢れたクリっとした瞳はやや大きめで、背丈のこともあって少し幼さを残しているように見える。しかし、この世代の少女特有の、少女から女性へ変わる、切なくも危うい雰囲気を魅せてくる。


この子、結構……いや、かなり可愛いかも?


この「まどか」ちゃんは、あの「まどか」とよく似てる。……いや、容姿は似ていないのだけど、雰囲気と言うか、内に秘めた魂の輝きというべきか……。


この子もまどかと同じ想いを抱えているのだろうか?


……だったら、今度こそは守ってやらないと。

ライトは何故かそんな事を考えていたのだった。



「ライトさんは、こんなところで何してるんですか?」


まどかは、疑問に思ったことを口にする。


夕日を見てる、という答えが返ってくるかと思ったが、返ってきたのは意外な言葉だった。


「暇だから、ぼーっとしてた」


「何ですかぁ、それぇ。」


まどかは思わず笑ってしまう。


「まどか……ちゃんこそ、学校帰り?道草はいけないんだぞ」


「はい、部活ももう引退しているから早いんです……って、え~!!何で学校帰りってわかるんですか!?」


「いや、誰が見たってわかるだろ」


まどかがすごく驚いてるのを見て、ライトは笑いながら言う。


まどかの今の服装はセーラー服にプリーツスカート……地元唯一の杏南中の制服だ。


しかも鞄まで持っている。これで学校帰りじゃないとすればなんだというのだ?


「なるほど~。そうなんですねぇ。」


そう答えつつ、まどかは別の事を考えていた。


……ライトさん、優しそうでつい話し込んじゃったけど、お金をもらわなきゃいけないんだよね?どういえばいいんだろ?お金ください?……なんか違うよね?

あぁ、ミドリにもっと詳しく聞いておくんだったよぉ。


そんな事に頭を悩ませつつ、ライトと他愛のない会話をしてるうちに、気がつくと空が真っ赤に染まっていた。



「うわぁ~、すごく綺麗な夕焼け」


まどかは立ち上がって、両手を一杯に広げる。


風になびいている髪が光を透かして金色に輝く。


茜色に溶け込んでいくのではないか?そんな錯覚を覚えるほど、幻想的な光景だった。


「ねぇ、そう思いませんか?」


まどかは振り返って、茫然としているライトの顔を覗き込む。



――すごく綺麗だ―――


ライトの呟きが聞こえ、その手が自分に向かって伸ばされる。


……この手を取りたい。

何故かそう思ったまどかは、自らも手を伸ばす。



ライトの手とまどかの手が触れようとしたとき……


「なにしとんねん!」


怒声と共に何かが飛んで来てライトの体にぶつかる。立ち上がろうとした中途半端な体勢が災いし、何が起きたか判らないまま、ライトの体は土手の下に転げ落ちていった。


「ライトさん!」


まどかは大きな声を上げて土手の下をのぞき込む。


落ちたライトは、ゆっくりと身を起こそうとしている所だった。


……ほっ。よかった無事みたい。



「まどか、大丈夫やったか?ヘンな事されとれへんか?」


「大丈夫、じゃないよっ。ミドリ、何するのよっ。」


心配で様子を見に来たであろう親友に、つい声を荒げてしまう。


「大丈夫やないって……。って言うか知り合いやったんか?」


いきなり現れて、ライトの体を突き飛ばした親友は、息を切らせながら、驚きと戸惑いを隠せない複雑な表情をしている。


「あ、ごめんね、ミドリ。私は大丈夫なんだけど……。」


まどかは再び土手の下をのぞき、声をかける。


「ライトさ~ん、大丈夫ですか~?」


まどかの声が届いているのか、何か言いながら上ってくるライト……とりあえずは無事なようだ。


「それより、どうしたの?そんなにあわてて」


まだ息が整っていない様子の翠に聞いてみる。


「慌てて……って、アンタが襲われそうやったから、助けにきたんやないの!」


「誰が誰を襲うって?」


ようやく上がってきたライトが翠に向かって言う。


どうやら怒っているようだ……ちょっと声が怖い。


「アンタや、アンタ!まどかをどうするつもりやったんや!このロリコン!!」


「はぁ??」


ライトは、突然現われて自分を突き飛ばした女の子を睨む。


一触即発という感じだ。


まどかは慌てて、二人の間に入り、仲裁を試みる。


「ライトさん、ごめんなさい。この子は私の親友のミドリ。何か誤解してるみたいで……。ほら、ミドリも謝って。」


「何でや?こいつがロリコンやないって保証はあるんか?」


そう言って罵詈雑言を捲し立てる翠。


そして、それを聞いているライトのコメカミがぴくついているのを見て、これは困った……、と頭を抱えたくなるまどかだった。

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