第3話 霧島翠
「この変態がぁっ!」
ウチは慌てて駆けだす。
目の前で親友が毒牙に駆けられようとしていた。だったらウチが助けなければ。
それだけを考え飛び出す。
「ミドリ!?」
親友の驚いた声が聞こえるが、とりあえず後回しや。
ウチの渾身の体当たりが、男を突き飛ばし土手の下へ突き落す。
それ程落差があるわけやあらへんから、大した怪我もしてないだろう。
それより、今の内にまどかを連れて逃げぇへんと。
「ミドリ何するのっ!」
親友の手を掴んで逃げようとするも、返ってきたのは、憤りさえ感じる責める言葉だった。
「何って……ウチはまどかを助けようと……。」
「そんな事必要ない。それより……。ライトさーん大丈夫ですかぁ?」
落ちた男を心配するようなまどかの声。
ひょっとして、あの男はまどかの知り合いやったんか?
だとしたら、とても悪い事をしてもうた、と反省する。
やがて、男が土手を上ってくる。
その怒りに満ちた目は、ウチを睨んでいる・……まぁ、当たりまえやな。
「まどか……ひょっとしてこのひと、アンタの知り合いか?」
……ウチの早とちりやったら謝らへんと。
「ううん、さっき初めて会った人」
……うん、この子はこういう子やった。
「ヘンタイ、バァーカ!」
相手がどんな人なのかもわからへんけど、とにかくまどかを守らないと。
ウチに怒りが向いていれば、最悪の場合まどかだけでも逃がすことが出来る。
最悪なんはまどかが人質に取られることや。
まどかを盾にとられたら、ウチはあの男の言いなりになるしかあらへん。
翠の頭の中に、義兄の部屋で見た薄い本の内容が様々と蘇ってくる。
「ウチらに何する気や、この変態!」
「あのなぁ。」
「ウチ知ってるで。ウチを縛って、あんなことやこんなことする気やろ!その前にケーサツ呼んだるさかい、おとなしゅうつかまりぃや」
そう言いながらスマホを取り出す。
手先が震えるのはとめようもなかったが、それでもまどかを守らなきゃいけないという一心で、必死で震えを押しとどめる。
「ミドリ、ちょっと待って!」
まどかは、小刻みに震えているウチの手を取り、自分のほうへ引っ張りながらライトとの間に入る。
「ライトさんはいい人だよ、ミドリが思っているような悪い人じゃないんだよ」
……アカン、この子の悪いクセがでよった。
まどかは、とにかく人を疑うことを知らない……というより疑いたくないと思ってるのだろう。
とは言っても、まどかだって無条件に人を信じているわけでもない。
明らかに悪意がある人間に迄信用するわけでもなく、まどかなりの基準があって信じる人間を選んでいることぐらいは翠にも分かっている。
そしてそのまどかの選択はいままで間違っていたことは無かった。
だからと言って翠迄それを素直に受け入れることは出来ない。
まどかの、それはきっと素晴らしいことなのだろうけど、とっても危ういことでもあると翠は思う。
世の中は、まどかが言うような「良い人」ばかりではなく、人の善意に付け込んでくる「悪人」も沢山いることを知っている。
そして、そういう輩ほど見かけは「いい人」に見せる術を持っていたりするからタチがわるい。
今まで大丈夫だからと言ってこれからも大丈夫だという保証はどこにもないのである。
だからウチが守らないと……と翠は思うのだ。
「ライトさんごめんね。ミドリちゃんも悪気があるわけじゃない……と思うの。」
……いや、そこははっきりと言いきって欲しいで?
翠の心の内を知らず、まどかとライトの間で会話が進んでいく。
「いや、まぁ……いいんだけど……」
まどかと話すライトを翠は改めて見てみる。
さっきは夢中で気づかなかったが、見た感じ温和で優しそうな印象を受ける。
話し方も優しそうで性格のよさが伺えるし、ひたすら謝るまどかを気遣っているようにも見える。
まどかのいうように本当に良い人なのかもしれない。
悪かったかなぁと翠が反省していると、目の前にライトがやってくる。
「えっと、そこの口の悪いおちびちゃん、色々誤解があった様だけど、水に流そうか?」
そう言って手を差し出してくるが……。
……訂正、コイツはいい人じゃない!
「誰がチビやねん!ウチに喧嘩売るんか?」
「いや、ロリコンだのなんだの、先に言って来たのはそっちだろう?」
ライトがあきれ返ったように言う。
「まぁ、オトナの俺としては、おちびちゃんの言うことは気にしないけどな」
まどかと話しているときと違い、からかうような口調で言ってくるライト。
……ウチ、コイツ嫌いや!
翠は、自分の背が低いことを気にしていた。翠の背は142cm。同じ年代の子に比べてもやや低めであり、それが翠の密かなコンプレックスになっている。いつも一緒にいるまどかは145cmとそれほど変わらず、普段は気にすることもないのだが、160cmある美音子と並ぶと自分の背の低さを思い知らされる。
でも、ライトと話しているまどかを見て、アレ位の身長差もアリかもね……などと考えていただけに「おちびちゃん」とからかうように言ってくるライトに対していい印象が持てるわけがなかった。
「あー、えーと、……ゴメン」
「このロリコンがウチに……」
「ライトさんっ!メッです!!」
声を発したのは三人同時だった。
ライトは謝罪を、翠はお返しの悪口を、まどかはライトへの注意を……。
「えっと……。」
「っ……!」
「あは……」
三人とも一瞬言葉につまり、その後お互いの顔を見ると思わず笑い出してしまった。
「えっと、さっきはゴメン。傷つけるつもりは無かったんだ。許してくれるかな?」
笑いが収まったところで、ライトが翠に改めて謝罪をする。
「ええよ、ウチも悪かったわ。先に色々言ったのウチやし……。それに突き飛ばしたことも堪忍や。」
翠がそう応えると、ライトは笑って「気にしてない」と言ってくれる。
「本当に馬鹿にするつもりはなかったんだ。それに女の子は背が低いほうが可愛いしね。」
ライトが笑いながら改めて謝罪を口にする。
「ソレ、完全アンタの趣味やん。ロリコンは犯罪やで♪」
気をよくした翠は、それでも意趣返しとばかりに、にっこりと笑顔で言ってやる。
許したけど、一応仕返しだけはしとくのがウチの流儀やさかいな。
「……。」
ライトが絶句したことで翠は溜飲を下げ、まどかのほうに向き直って問いかける。
「で、結局まどかは何してたんや?」
「うん、サポ?リフレ?そういうのしてた」
まどかの発言にその場の空気が凍りつく。
そして、翠が無言で携帯と取り出すと110をプッシュする。
「もしもし、警察でっか?……」
「ちょっとまてーっ!」
ライトは慌てて携帯を取り上げる。
「冗談じゃない 。こんなわけの判らないことで警察呼ばれてたまるか!それに、この場合そっちにも売春容疑が行くんだぞ。」
「その前に買春容疑でアンタは捕まるんや。ウチらは無理やりっていうだけや。」
ライトを見る翠の目が冷ややかだ。
「冗談じゃない!くそっつ、こんなガキが美人局かよっ!質悪ぃな。親は知ってるのかよ。」
ライトの言葉にその場が凍り付く。
折角和んだはずのその場が一瞬にして、険しいものになっていく。
「えっと、ちょっと待って。いったい何の話をしてるの?」
ずっと黙っていた、当の本人言葉にライトが怒りを含んだ声をぶつける。
「はんっ、いまさら何言ってるんだ?金だろ?金が欲しくて美人局なんかしかけたんだろうがっ!」
今までの優しい雰囲気から一転して激しい言葉を浴びせてくるライトの勢いに、まどかは身をすくめる。
「そんな……私、悪い事だなんて知らなくて……。ただお話をすればお金がもらえるって……。」
うつむきながら、まどかがつぶやく。
「ふーん。それが演技なら大したもんだけどな。だったら首謀者はお前か?それともほかに隠れているのか?」
ライトが翠の方を見る。
……美人局ってなんや?なんでそんな話になるんや?
翠は混乱していた。
そしてそれ以上にライトの眼が怖かった。
「残念だったな。俺はクビになって金なんかねぇし、あったとしても、お前らの様に遊ぶ金欲しさに犯罪まがいの事をするような奴らには絶対渡さねぇ。」
異常なまでのライトの憤りに、ミドリの身体がすくんで声も出せない。
「ライトさんごめんなさい。私知らなくて……そんなつもりじゃなくて……。お金が必要で、サポとかやればすぐお金がもらえるって聞いて、でもそれが犯罪なんて知らなくて……、決してライトさんを騙そうとかそんなんじゃなくて……。」
必死に謝罪するまどかの瞳には涙がにじんでいる。それは決して演技ではなく、心からの言葉だというのは、怒りに満ちたライトの眼からでもわかる。
だからライトは、少しだけ冷静になることが出来た。
「え~と……とりあえず、わけを話してくれるかな?」
涙ぐみながら、必死に頭を下げるまどかに、ライトは優しく問いかける。
しかし、まどかは謝るだけで訳を話そうとはしてくれなかった。
「まどか、いったいどうしたんや?アンタらしくあらへんで。ウチにも話せない事なんか?」
翠はまどかに近づくと、その手を握り顔を覗き込むようにして話しかける。
……まどかがこんなに追い詰められているなんて、気付けなかったで。堪忍や。
それでも訳を話そうとしないまどかだったが、ライトが今の状況が犯罪的なものであること、理由が分からなければ、まどかの所為で翠が捕まることなどを、優しく、しかし情け容赦なく告げると、まどかはようやく話しだす。
……でも、ウチ、やっぱりコイツ嫌いや。
「えっとね、私どうしても明日までにお金が必要で、サポって言うのはお話しするだけでお金がもらえるって訊いて……。」
まどかはそこまで話した後、またうつむいて黙ってしまった。
「急にお金が必要って……いったい何があったんや?」
「ミドリには関係ないことだから」
まどかは突き放したようにつぶやく。
しかし、そんなことで引き下がる翠ではなかった。
「久々にカチンときたで!アンタがそういう言い方する時は、ウチに迷惑を掛けたくないときやって事分かるけど、そういうのはウチが決める。話してもらわんと力にもなれーへんしな。大体逆の立場やったら、あんた絶対首ツッコんでくるやないか!」
「でもでもっ、ミドリに迷惑掛けられないよっ。いつでも私の為にって言って、結局傷つくの見てられないよっ!」
「そんなん関係あらへん。ウチがやりたいことやってるだけや。まどか助けるんも、ウチがやりたいからや。ウチがやりたいことやるのに、まどかの許可はいらへんで!」
「でも、でもでもっ……。」
言い合う二人を見つめて、厄介なことになりそうだ、とライトは思い、立ち去ろうとするライトだったが……。
「どこ行くんや?」
ライトの動きに目を止めた翠が声をかける。
「いやぁ、青春真っただ中に、俺の居場所ないでしょ?ちょうど夕陽の見える川辺とシチュもOKだし、思う存分青春してくれたまえ。じゃぁ。」
そう言って踵を返すライトのシャツの裾を翠は捕まえる。
「逃がさへんで?ここまで来たんや、アンタも最後まで付き合ぃな。」
……まどかの抱え込んでるんはかなり厄介なものと見た。気に食わへんけど、こいつが必要になるのは間違いあらへんさかい、ここで逃がさへんで。
翠はライトの裾を捕まえたまま、再びまどかに向き直って言葉を続ける。
「ウチじゃ何の役にもたたんかもしれーへん。せやけど、まどかの為に出来ることは何かあるはずや。それにこいつもまどかの役に立ちたいって泣いて頼んどるで。」
「誰が泣いてるかっ!……でもそうだな、俺の力が必要なら協力する事もなくはないぞ。」
翠の言葉に、幼馴染のまどかの言葉を思い出したライトは、先程迄逃げようとしていたことを棚に上げてそんな事を言う。
―――何かできることがあるはずだよ―――
彼女……桐原まどかはいつもそういっていた。
友達のためならどんな困難も乗り越えることが出来るよと笑っていう子だった。
きっと、翠も同じなのだろう。
「こんなときに力になれずに、何が親友や!」
翠の声に力がこもる。
殆ど泣きそうな勢い……いや、実際にその眼には涙が浮かんでいる。
「ミドリ……でも……迷惑かかるから……」
答えるまどかの声が力をなくしていく。
「迷惑かどうかはウチが決める!大体親友が困ってるのを見て迷惑やなんて思わへん」
翠の口調が激しくなる。
「まどかにとって、ウチはなんやん?頼りないんか?見捨てて逃げるように見えるんか?」
「ミドリ……そんな事ないよ。いつも頼れる一番の親友だよ」
まどかは涙ぐみながら答える。
「だったら……」
「絶対迷惑がかかるっ!私のせいでミドリが傷つくの耐えられないよっ!」
まどかが叫ぶ。私のせいで……と泣きながらも自分の意志は曲げないという頑固さが垣間見えた気がした。
「だったら、傷つくまどかちゃんを見てられないっていう翠ちゃんの気持ちもわかるんじゃないか?」
見ていられなくなったライトが口を挟む。
……何故この子達の行動が、言葉が、こんなにもダブるんだろう。
―――誰かが傷つくの見たくないよ。傷つくのは自分だけで十分だから―――
忘れていた……忘れたかった彼女の言葉……。
「とりあえず話してみないか?力になれるかもしれないし。」
「ライトはん……アンタ……。」
……なんでやろ?ライトはんにお兄ぃたちと同じ匂いを感じる。
きっとまどかも、それを感じ取ったんやろうな。
「コレも何かの縁なんだろ?いいから話してみ?解決してやるとは言わないけど、一緒に考えてやるよ。」
アテもなく車を走らせてたのに気づくと地元へ向かっていた事。
忘れていた言葉を唐突に思い出した後のみやびとの再会。
まどかとの思い出の場所で、同じ名前を持つ少女との出会い。
そして巻き込まれそうな厄介事……偶然というにはあまりにも重なりすぎだと思う。
そんなことから、つい「何かの縁」という言葉が飛び出す。
「そやで、ライトはんもこう言っとるやさかい、一緒に考えよ?」
翠の言葉に黙り込むまどか。
そして、しばらくの逡巡の内にようやく口を開く。
「昨日の事なんだけどね……」
まどかは、ミドリとライトの顔を交互に見たあと、意を決したように……そしてためらいがちに話し出した。
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