第8話 Yuki

「ネコちゃん、大丈夫だった?」


 放課後、待ち合わせた校門に来た美音子の姿をみて、まどかは駆け寄る。


 まどかは、昨日の不良達に美音子が絡まれているんじゃないかとずっと気がかりで、授業も上の空だったのだ。


「そんなに心配しなくても大丈夫よ。」


 美音子は、まどかを安心させるように笑いかける。


「なんか、夏の指導強化とか言って、先生達の目も厳しくなっているからね。それより、まどか達の方こそ大丈夫だったの?」


 美音子にしてみれば、自分の所為でまどかやミドリを巻き込んでしまい、それで不良に目を付けられていないかと、気が気ではなかったのだが……。


「ほぇ?私?なんで?」


 まったく、この子は……と美音子は思う。


 普通、あんなことがあれば、まず自分の心配をするでしょうが。


「はぁ、美音子は、ウチらまで絡まれとるんじゃないかって心配してるんや。」


「へっ、あ、あ、そうなんだ……えへへ……ウン、私達は大丈夫。」


「何ヘラヘラしとんねん。」


 ミドリは、しまりのない顔になったまどかの頬を引っ張る。


「ひゃって……ネコひゃんふぁ、ひぃんふぁいひてふれるのはひさしふりひゃから。」


「ミドリ、それくらいにしてあげたら?まどかのほっぺ真っ赤になってるよ。」


 美音子が呆れ、疲れた声を出す。


「酷いよぉ、ミドリちゃん。」


 まどかがほっぺたを両手で擦りながら文句を言う。


「そんな事より、河原に行くんやろ?はよ行かへんと日が暮れてしまうで。」


「うぅ、今の時期は、まだまだ陽が長いよ。でも、ライトさんを待たせるのもなんだしね。」


 まどかは美音子の手を取ると、並んで歩きだす。


「ところで、そのライトって人、本当に大丈夫なの?」


「大丈夫だよ、ライトさんはいい人だよ。」


 このまどかの無防備さは、どうにかしないといけないと本気で思いつつ、そっと溜息を吐きながら手元のカバンに視線を向ける。


 カバンの中には防犯ブザーや催涙スプレーなど、手に入るだけの防犯グッズを入れてある。


 防犯ブザーの中には、携帯と連動して警察に通報が行く物もあるから、相手が一人であれば最悪の事にはならないと思う。


「まどかは、相手を信用し過ぎや。もっと警戒せなあかんで。」


「ミドリの言う通りよ。そもそも中学生は例外を除いて基本的にアルバイトできないのよ。それなのにアルバイトさせようとしている時点で危ないわよ。」


 ミドリに続けて美音子も声をかける。


 美音子にしてみれば、中学生でも出来るアルバイトというのが無くて苦労した経験があるため、『アルバイト代』とか言ってポンとお金を渡すライトという男の事が信用しきれなかった。


 だから、正直に言えば今日ライトに会うのも反対だったのだが、もし、違法な事をさせようとするのであれば、私が身を張ってでもまどかと翠を守らなければいけない、それが助けてくれたまどかと翠に対する礼だと思っている。


「でも、人が居ない所で会うっちゅうのは良くないわな。あの男にあったら場所を移動するっちゅうのはどうや?」


「そうね、それがいいと思うわ。」


 ミドリの言葉に美音子も賛同する。


「別にいいけど……本当にライトさんはいい人なんだよ?」


 まどかにしてみれば、ライトさんを必要以上に警戒する二人が不思議だったが、場所を移動することについては異論はなかった。


 

 三人で最近の事などを話していると、あっという間に河原に着く。


 そこに先日も見た軽自動車が止まっているのが、ライトが既にいる事を示している。


「ライトさーん、お待たせしましたー。」


 まどかが川の方に向かって手を振ると、川縁に腰かけていた男がこちらを振り向く。


 そして軽く手を挙げて答えるとこっちに向ってやってきた。


「やぁ、まどかちゃん早かったね。それで、こちらの子が美音子ちゃん?」


 ライトは美音子の方に顔を向けて「ライトです、よろしく。」と挨拶をする。


「初めまして、音無美音子です。」


 美音子はライトに頭を下げる。


 美音子はその境遇から、そして現在アルバイトを始めたこともあって、ほかの二人より、大人というものを知っている。


大人は、心に思っていることと口に出すことは必ずしも一緒ではない生き物なのだ。


生きていくためにはそうする必要があり、大人になるということはそういう手段を身に着けることなんだと、美音子はおぼろげながら理解していた。


 そんな、少し擦れた美音子の目から見ても、ライトの第一印象は悪くない。ただ悪い人には見えないけど、だからと言ってまどかが言う様に「いい人」と信用するにはまだ判断できないと思う。


「それでね、ライトさん。ここじゃぁ落ち着いて話が出来ないと思うから場所を変えたいと思うんだけどいいかなぁ?」


まどかが、ちょっと困ったように言ってくる。


その表情からすると、誰かに言われたんだろうと推測する。


 ライトとしても、別に怪しい事をするわけではないので、アリバイの作れる人目のある所に移動することに問題は無い。 


 ただ一つ問題があるとすれば……。


「それはいいけど、どこに行く?落ち着いて話せる所なんて喫茶店ぐらいしか知らないから、どこかいい場所があれば教えて欲しい。」


 ライトが知っているのは真理の店ぐらいだ。


 そしてそこには当然真理がいる訳で、そんなところに女子中学生3人を連れて行ったら、後で何を言われるか分かったものじゃない。


 だからそう言ったのだが……。


「はい、喫茶店でいいですよ。私達の行きつけの場所があるのでそこでいいですか?」


「あぁ、構わないよ。」


 ライトは車のドアを開けて、三人に乗るように促す。


 まどかは躊躇せず乗り込んだが、他の二人は躊躇っている。


「今は信用できないだろうし、心配するのも分かるけど取りあえず乗ってくれるかな?……まぁ、どうしても信用できないというのであれば、場所だけ教えてもらって、現地で改めて集合でもいいけど。」


 ライトの言葉に、ミドリが躊躇いながらも後部座席に乗り込む。


「まどかが既に乗ってるさかい、一人にはできーへんで。」


「そうね。」


 続けて美音子も乗り込んでくる。


 ライトはドアを閉めると運転席に座りエンジンをかける。


 同時にカーオーディオにセットしていたCDから音楽が流れだす。



「これっ!これってYukiやないのっ!」


 いきなり興奮した声をあげてミドリが座席から身を乗り出す。


「危ないから、ちゃんと座って。」


「あ、ゴメン。ウチとしたことが、つい……。」


「いや、いいよ。でもよくわかったね。」 


 しょんぼりとするミドリに、ライトは出来るだけ優しく声をかける。


 Yukiはインディーズでしか活動していない。


 出しているアルバムも、殆ど自主制作に近いこの1枚だけ。


 正直言って知っている子が、しかもこう言っては何だが、こんな田舎にいるとは思わなかった。


「当たり前や!そんなん聴けば一発やで。」


「ミドリちゃんはYukiの大ファンなんですよ。」


 隣でまどかがそう補足してくれる。


「ネットで流れている曲は全部集めていて、私も良く聴かされているうちにファンになっちゃいました。」


 そう言って、ペロッと舌を出す仕草が可愛いと、ライトは素直に思う。


「でも、いま流れてる曲は知らないです。……ミドリちゃん、知ってる?……ってミドリちゃんっ?」


 聞こえてるのか聞こえていないのか、ミドリはカーオーディオから流れてくる歌声に集中していて微動だにしない。


「……これって、幻の『遥かな想い』とちゃう?」


 曲がサビの所に入った所でミドリがそう呟く。


「ミドリちゃん、『遥かな想い』って?」


「Yukiが学生時代に歌ったと言われる曲や。なんでも高校の文化祭でお披露目しただけで、その後はライブハウスでも一回も歌ってぇへんから『幻の曲』って言われてるんや。」


「そうなんだぁ、でもなんでミドリちゃんが知ってるの?」


「以前動画で流れてるのを見た事があるんや。スマホで撮ったやつらしくてブレブレやったけど、Yukiの良さは損なわれてなかったで。」


 その言葉を聞いてライトは驚く。


 まさかそこまで知っているって、本当にコアなファンなんだな。


「なぁ、ライトはん。なんでこんなにいい音質の物があるんや?」


 ミドリが期待に満ちた目で聞いてくる。


 ホントにわかりやすい子だな。


「えっと、美音子ちゃん、その後ろの段ボール開けて、その中のものだしてあげて。」


 ライトは前方から目をそらさず、声だけで、後部座席の美音子にそう伝える。


「えっと、これですか……CD?」


 美音子は訝しがりながらも、そのCDをミドリに渡す。


「なんやねん……ってこれはっ!?」


「っと、危ないから座ってっ!」


 いきなり立ち上がろうとしてシートベルトに引っかかってつんのめるミドリ。


「取りあえず、車の中じゃ危ないから質問は後……ところでこの道真っすぐでいいの?」


 ライトはミドリを窘め、隣のまどかに確認をする。


「そうです、次の信号を曲がった先に『ヴァリティ』という名の……キャッ!」


 キキーッと急ブレーキがかかる。


「あ、ゴメン。悪かった。」


 思いがけない所でヴァリティの名を聞いたライトは、思わずブレーキを踏んでしまう。


 ……ふぅ、信号で助かった。


 しかし考えてみれば小さい町なので喫茶店なんて数が知れている。


 だからこの子達がヴァリティを知っていても何ら不思議はない。


 はぁ、覚悟を決めるか……ライトの脳裏にはニヤニヤと笑う真理と、「ロリコン!」と詰ってくるみやびの姿が思い浮かんだ。




「なぁ、ライトはん、一つだけ聞いてええか?」


「なに?」


 喫茶ヴァリティに着く直前に、CDを大事そうに胸に抱えたミドリが聞いてくる。


「このCDなんや?YukiのCDがあるなんて聞いたことあらへんで?」


「正真正銘、本物のYukiのアルバムだよ……着いたぞ。」


 ライトは車を止め、ドアを開ける。


 三人が下りた後、ライトは段ボールから数枚のCDを取り出し、三人の後に続いて店内へと入る。



 カランカラーン……。


 懐かしいベルの音を聞きながら、奥のテーブル席へ座る。


 カウンターを見ると、真理がお冷を用意しているのが見えた。


 するとまどかが席を立って、真理の方に向かう……行きつけって言っていたから顔馴染みなのだろう。


 まどかが二言三言、真理と会話した後お冷を受け取って戻ってくる。


「お待たせー。ライトさんはコーヒーでよかった?」


「あぁ、それでいいよ……って、先にこっちの話をするか?」


 対面に座るミドリがCDを抱えてうずうずしていた。


それを見たまどかが、仕方がないなぁというように笑う。


 こんなに思われているならYukiも喜ぶだろうな。と思いつつ、ライトは持ってきたCDをテーブルの上に積み上げる。


「えっと、全部同じ……ですよね?」


「みんなにあげるよ。」


「えっ、いいんですか?……でも同じ物沢山もらっても……。」


「聴く用、保存用、布教用と三枚は必要だろ?」


 ライトが、ミドリに向けてニヤリと笑う。


「分かってるやん!ホンマに貰ってもええのん?」


 ミドリが少し心配そうに聞いてくる。


「いいよ、どうせ箱一杯あるんだから。」


「おおきに……でも、このCDは何なんや?なんでアンタがこんなに持ってるんや?アンタ一体何者や?」


 ミドリが堰を切ったように質問を投げかけてくる。


 余程聞きたくて仕方がなかったのだろう。


 その様子を見て、ライトは本当にYukiが好きなんだなと思う。


 こんなファンの子にはぜひ聴いてもらいたいとYukiなら言うに違いない。


「ちょっとは落ち着けよ。まず、このCDはYukiの初のアルバムだよ。自主制作に近いインディーズで、一般にはあまり出回ってないから知らないのも無理はないな。」


「知らない曲が一杯ありますね。」


「当時アルバム制作にあたって、一般から作詞作曲を公募したからね。アルバムの中で有名なのは4曲程度の筈だよ。」


「そんな事より、この『ボーナストラック』についてや。ヤッパリあの幻の曲で間違いないんやな?」


 ミドリの興奮した様子に、ライトは苦笑しながらも教えてやる。


「ボーナストラックに入っている「遥かな想い」は、確かにミドリの言うとおり、Yukiが高校の文化祭で歌った曲だよ。高校最後の思い出に、仲間と組んだそのとき限りの即席バンド。歌詞は当時のギタリストが、作曲はベーシストが、Yukiだけのために作ったYukiだけの曲。だからYukiはその後は歌わなかったし歌わせ無かった。ただ、このアルバムを作るときにYukiの我が儘が通り、当時のバンドメンバーが再結成して、無事にボーナストラックに収録されたってことだよ。」


 このアルバムの制作はホントに酷かったと、ライトは当時のことを思い出す。


 短い製作期間にクオリティの高い要求、挙げ句の果てにギャラは現物支給と言う……あれはYukiだから出来た事であって、他の人ならこうは行かなかったと思う。



「なぁ、何でそんなに詳しいんや?」


 不審者を見るような目で訊ねてくるミドリに対し、ライトはジャケットを指差す。


「言っただろ?殆ど自主制作だって。そのジャケ写撮ったのが俺。」


 ミドリはジャケットと俺を交互に見て言葉を失う。



「あら、おもしろい話してるわね。あやちゃんのお仕事の話ももっと聞きたいな。」


 不意に声がかかる。 


振り返るとそこにはトレイに飲み物を乗せてもって来た真理が立っていた。


「あ、お姉ちゃん、言ってくれれば運んだのに。」


「「あやちゃん?」」


「お姉ちゃんだって??」


 ミドリと美音子、ライトの声が重なる。



「ねぇ、あやちゃん、昨日言ってた中学生ってまどか達のことなの?ちょっと詳しくお話を聞かせてもらえるかな?」


真理が笑顔でありながら、険しい視線をライトに向ける。


ライトはここ数日続いている「奇妙な偶然」について頭を抱えたくなった。


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