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金髪碧眼というのは嘘だと伍郎は思った。いや、嘘ではない。金髪碧眼というのはよくあるからこそ、そういう言葉で定着している。けれど、金髪だからといって必ずしも碧眼ではないのだ。その証拠に、目の前にいる女性の瞳は、黒縁のメガネに遮られてはいるものの、どう見ても碧眼ではなかった。むしろ金色に近いように見えた。のちに知ったのだが、それは明るい茶色だった。
髪も瞳も金なんだ……こんな色の瞳もあるんだ……
その瞳の持ち主は伍郎を凝視しながら驚きの表情を浮かべていた。そして伍郎もまた、驚きの表情を浮かべて相手を凝視していた。二人とも固まったままにいたずらに時だけが過ぎていく。ようやく声を出したのは金髪の女性の方だった。
「ごめんなさい、大丈夫……でしたか?」
女性は謝罪の言葉と共に頭を下げた。驚いているにもかかわらず、落ち着きのある、上品な声だ。古風と言っていいほどの艶があった。いやそれより何より伍郎にとってのそもそもの驚きは、その女性の日本語が全然たどたどしくないということだった。どう見ても、間違いない白人女性なのだ。にもかかわらず、短いフレーズではあったが、全くなんの違和感もない完璧な日本語ではないか!
「ああ、いえ、大丈夫です。あなたこそ大丈夫ですか?」
「大丈夫です。こちらこそ本当にごめんなさい」
その女性はそう言うと、またもまじまじと伍郎の顔を覗き込んだ。レーザービームのような視線が伍郎を突き刺す。
伍郎は思わずのけぞった。と同時に気づいた。
その女性は少女だったのだ。しかも、まごうことなき"美少女"だったのだ。
「いや、あの、すみません。なんでもないです。ははは」
そう取り繕ったはずの言葉だが、うまく話せたのかどうか自信はない。伍郎は文字通り、全身が緊張していた。
「私もなんでもないです。本当にごめんなさい」
「いやいや、ぶつかったのは僕なんだし」
しばらく会話にならない会話で頭を下げあっていた二人だったが、これでは埒が開かない。伍郎は意を決し、そして質問した。
「あのう……どちらからいらしたんですか?」
一瞬キョトンとした目をする美少女。
「あのう……函館です」
「え、はぁ」伍郎もキョトンとした。
そうか。函館に住んでいるのか。ここは函館だもんな。確かに外国人が住んでいてもおかしくはない。
「そうなんですね。僕はてっきり観光で函館に来たのかと思って」
「私、日本人なんです」
さらなる伍郎のキョトン。何を言い返したらいいのか、全くわからなくなってしまった。
確かにこの金髪の美少女の日本語はあまりにも流暢だった。付け焼き刃ではなく、日常普通に使っているであろう日本語だった。違和感が全くないのだ。なるほど確かに日本人だ。けれど、見た目はどう見ても白人だ。瞳こそ青くはないけど、典型的な白人だとしか思えない。これはどうなってるんだ?
「最も、誰も一目見ただけでは私を日本人だとは思わないようですけど」
「は、はぁ」
「私、変ですか?」
「いやいや。変とかそういうのではなくて」
「確かに私、元々はアメリカ人なんです」
ああ、やはりそうか。伍郎はなぜか安心した。そりゃそうだよ。だって白人だもの。白人だからアメリカ人だとは限らないけど、アメリカ人だというのなら確かに白人でもおかしくない。
「私みたいな感じって変ですか?」
「いやいやいやいやいや」
そうではなくて、美少女とは口を聞いたことがないから緊張しているだけだよ、とはあさすがに言えなかった。言えない代わりに伍郎は違う思いつきの言葉をそのまま口にした。
「一人でここに来たんですか?」
「はい。一度函館山に来てみたくて。実は地元民なのにあまり来たことがなかったんです」
「そうなんですね。地元民あるあるですね。実は僕も小学校の修学旅行以来なんです。って、あ、わかりますか、修学旅行って?」伍郎はまだ目の前の金髪の美少女が日本人だという認識を持てないでいる。
「……わかります。私の時は札幌でした」
「へぇ、そうなんですね」
美少女は伍郎の顔を食い入るように見つめ続けていた。そのレーザービームの出力はどんどん強力になる一方だ。あまりの強さに伍郎ははっきりとした痛みを感じた。なのでさりげなく視線を逸らしたが、それでもなお美少女の強烈な視線を伍郎は感じた。まさに突き刺さるビームだ。
「大丈夫ですか?」
いや正直、大丈夫じゃない……とは言えず、その視線に必死に耐えた。なぜそこまで見つめてくるのか?少なくともやっぱりこの美少女は日本人じゃないよな。日本人ならこんなにも人の顔を見つめてこない。
「あのう。あなたは一人できたんですか?」
美少女が聞き返してきた。
「え?あ、ああ、一人で来たんです。札幌から」
「そうなんですね。札幌は素敵な街ですよね。函館には誰かに会いに来たんですか?」
「いえいえ。一人でぶらっと。自由気ままな一人旅です」
一人旅なんて大袈裟だなぁと伍郎は自嘲した。そんなかっこいいものではない。実際にはただのドライブだ。
「いいですね。ところで……これからの予定はあるんですか?」と美少女。
伍郎は答えに窮した。なんと言えばいいのかわからなくなった。なぜいきなりそんなことを聞いてくるのか?予定も何もそんなものは全くないのだ。行き当たりばったりのただのドライブなのだ。
いや待て。
そもそもなんでこんなに僕は緊張しているのだろう?
それは、これがイレギュラーというか、人生初のシチュエーションだからだ。初体験なら誰であっても緊張するものなのだ。だから仕方ないのだ。ましてやそれが金髪の外国人で、しかも美少女なら尚更だ。そう。みんな緊張するのだ。だから俺が緊張しているのは当たり前なのだ。で、なんだっけ。何がどうなってるんだっけ?……そうそう。これからの予定か。そうか。予定ね……
「……やっぱり夜景も見たいので、もう一度今夜ここに来ようかなと思ってます」
「いいですね」美少女はにっこり微笑んだ。
「じゃあ私も来ようかな」
「!」
想定外の言葉に伍郎はまたしても頭が真っ白になった。何がなんだかよくわからない。しかし、分からないなりに何かを言わなければならない。
「ああ、そうか、それはいいよね。でも、君のような若い女の子は夜に出歩いたらいけないんじゃないかな?」
すると、途端に美少女のレーザービームが消えた。そう。あっさりと消えてしまった。同時に伍郎の感じていた痛みも消えた。しかし、代わりに何か妙な違和感が湧き出してきた。
え、え……?
伍郎は激しく動揺した。あれ、何か変なことでも言ったかな俺?
しばしの沈黙が続いた後で、ようやく
「……そうですよね」
と、美少女はつぶやいた。
「ここは日本だけど、やっぱりそれなりに危険だからね」と伍郎は慌てて言葉を繕う。
「……ですよね」
美少女の顔は能面のように無表情になっていた。
「……ですよね」
同じ言葉を繰り返す。伍郎は何か大きな間違いを指摘された気分になった。いやいやいや、俺の返答は間違ってないはずだ。女性が夜に一人歩きをしてはいけない……はずだ。
しかし、何かを間違えた気がする。
「どうしても来たいなら、家族に連れてきてもらうのがいいよ」
伍郎は衝動に駆られるままに慌てて間違いを修正したつもりだったが、美少女の顔は能面のままだ。
「……そうします」
おかしい。何かがおかしい。どうにかしなければならない。
「うん、それがいいよ。もし家族に連れてきてもらえるのだったら安心だし、ひょっとしたらまたこうして会えるかもしれないね!」必死に言葉を繋ぐ。
「ですね……ですね」
美少女に表情が戻ってきた。とすると、これが正しい受け答えということか?
しかし、そうは言ったものの、伍郎はこの美少女と会う気など全くなかった。それどころか、本音ではもう一刻も早くこの場から逃げ出したくなってしまっていた。これ以上何を言えばいいのかわからなくなってしまったのだ。自分のある種の限界を超えた気がした。緊張の糸が切れた。まさにそういう状態だった。
「では、今夜君と会えるのを楽しみにしているよ。またね。気をつけて帰るんだよ」
「はい!」
「じゃあ」
伍郎はそそくさとその場を後にする。体よく取り繕ったつもりでいたが、額から汗がじっとりと出ているのが自分でもよくわかる。いつも以上の早足でロープウェイ乗り場まで行き、そこで適当に時間を潰すと、伍郎は急ぐように函館山を後にした。もちろん後ろは一切振り返らない。
あの美少女は俺を見ているのだろうか?
伍郎はその緊張に耐えられなかった。だから早く逃げ出したかった。美少女の言動は、伍郎には謎であり、だからこそ全く判断不能だった。もし仮にしっかりと判断でき、それなりのことでも言えたらどうだっただろう?しかし、現実はといえば、
いい年をした大人が子供相手に緊張して……
自分で自分が情けない……
全くもっていいところが何一つなかったのだ。しかし、一方では、伍郎はこの偶然の出会いに感謝してもいた。
そうだよ。たまには、というか、人生で一度くらいは美少女と話す機会があってもいいだろう。ものすごく緊張したけど、それなりに色々と経験した自分がこんなにも舞い上がるなんて。確かに情けない事ではあるけど、それはそれで貴重なことだ……
函館はまだ快晴が続いていた。暑さもまだ収まる気配がない。函館山の麓は暑さのピークで、ロープウェイ乗り場から外に出ると、途端に先ほどとは違う汗が噴き出してくる。
夜は涼しいのかな?と伍郎は考えた。また夜に来よう。きっと夜景は綺麗だろうなぁ。あの美少女はああは言ったが、おそらくはもう来ないだろう。
函館山から遠ざかるにつれて、伍郎はいつもの自分に戻る感じがした。そして数時間前にチェックインしたホテルに戻った頃には、もう完全にいつもの伍郎に戻っていた。
夜までにはまだちょっと時間があるなぁ。
部屋の大きな窓からはさっきまでいた函館山が見えた。不思議な気分がしたが、いずれにしても、夜になったらまたあそこに行くのだ。
伍郎は部屋のカーテンを閉めると、一眠りすることにした。
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