18
旅の終わりは、いつも物悲しい。伍郎はその物悲しさが好きではなかった。できることなら、ずっと旅をしていたい。なぜなら、ずっと旅をし続けたら、物悲しさがやってこないからだ。
しかし、物事には確実に終わり、というか、区切りがやってくる。その区切りとどのように折り合いをつけるのか。
大抵の場合は、否応なく、あるいはどうしようもなく、または、流れに身を任せるような形でどうにかこうにか、あるいは無理矢理にでも折り合いをつけることになる。
函館が近づくにつれて、伍郎は冷静になっていった。
そもそも、朝からずっとふわふわしたままで、なんの実感もなかったのだ。ましてや、ここから何かが発展するなどとは考えもつかなかった。実感も手応えもなく、ただただうんと年下の美少女とドライブをした。伍郎はそういう心境だったのだ。
伍郎に下心がなかったかといえば、それは大嘘になる。
相手の十八歳という年齢が自分の気持ちをかろうじて押し留めただけのことだったのだ。
相手の性を意識した瞬間なら無数にあった。ある種の理想とも言える巨乳。腰から腿にかけての絶妙なカーブ。本物の金髪をここまで間近に見たことなどなかったし、ましてや笑顔で会話など、人生初の出来事だった。
自分は聖人君子ではない。普段はどこにあるのかわからないような理性を総動員して、なんとか必死に耐えたにすぎない。伍郎はそう自覚していた。
しかも、今回のドライブでは失敗もたくさんしてしまった。
食事の店が決められない。ガソリン切れに気づかない。携帯もしょっちゅう置き忘れるし、お土産も買い忘れた。
異性、しかもとびきりの美人を前にした途端に、こんなにもあたふたしてしまうなんて、そもそもあり得ない話だし、想定外だった。だからこそそれはものすごい大失敗に思えた。
考えすぎなんだろうな。
とは思うものの、やはり考え過ぎてしまう自分を止めることなどできなかった。
異性の前ではいい格好をしたい
自分にもそういう気持ちがまだあるのだと、あったのだと伍郎は思った。
仕方ない。
いざという時にチャンスを掴む者もいれば、大外しをしてしまう者もいる。
自分は後者だったというだけのことだ。
なるようにしかならない。
なるほどそうだ。
ふと視線を動かすと、正面左側に海内湾の向こうに聳える駒ヶ岳が見えた。きれいな稜線がスーッと海岸線まで伸びている。上品な佇まいの山だと伍郎は思う。いつかは登ってみたいと思うものの、なかなかそのチャンスはなかった。伍郎がさらに視線を動かすと、ビビと目が合った。ビビはにっこりと微笑んで、
「もうそろそろ函館ですか?」
と聞いた。心なしかあまりレーザービームの威力を感じない。
「だね。あと一時間くらいかな」
「なんか、あっという間ですね」
「そうだね」
「私、まだ時間は大丈夫ですから……」
ビビはそう言うと、伍郎をじっと見つめる。
伍郎はもはや、あまりたじろがない。
「じゃあ、夕食はどこで食べようか?」
「うーん……どこがいいでしょう?」
結局のところ、道沿いに良さそうな店なんてどこにもなかったし、そもそも「良い店があったら選んでおこう」なんて話は二人ともすっかり忘れていた。しかし、今の二人はさほど迷わない。
「私、カレーとかハンバーガーとか食べたいな」ビビは"なんでもいい"とは言わなかった。
「そういえば函館にはオリジナルのハンバーガーショップがあったよね」
「ラッキーバブル!」
「ああ、それそれ。なんかすごく美味しいって聞いたけど、まだ食べたことないんだよなぁ」
「ならそこに行きませんか?」
「ビビさえ良ければ」
「いいですよ!」
ラッキーバブル函館本店は函館郊外を走る国道五号線沿いにあった。そこはあまり民家のない場所で、何やら用途のわからない建物がポツリポツリと建ち並ぶような場所からさらに離れた場所にポツンと建っている。しかし、それにしてはとても賑やかな感じで、電飾があちらこちらに散りばめられ、まだ明るいうちから落ち着きなく輝いていた。国道沿いには黄色い賑やかな看板が一際目立ち、入り口付近は車の出入りが激しい。
「混んでるみたいだね」
「そのようですね」
ビビは苦笑いを浮かべた。人混みは嫌いなのだ。
「どうする?入る?」
「入りましょう!」
駐車場に入るまでにも入れ替わり立ち替わり車が出入りしている。店内に入る人、出る人。ラッキーバブル函館本店は大盛況なのだ。しかも時刻はちょうど夕食どきであり、混雑は必然だった。
年代物であることを感じさせるアンテークなドアを押し開けると、大きなキリンや王様の人形が二人を出迎えた。壁は幾何学模様が張り巡らされた壁紙で目が痛くなりそうだ。
「伍郎さん見てこれ!」
ビビが指差すその向こうには、大きな赤い椅子が周りより高くなっている場所に一際目立つように置かれている。
「これ!一緒に座りませんか?」とビビ。
「ん?座っていいのかな?これって装飾品じゃないの?」
「いいんですよ。ほら、ここに書いてあります!」
ビビが指し示すプレートを見ると、そこには
座ると幸運が訪れる魔法の椅子
と書かれていた。
「ね、伍郎さん!ここで写真撮りましょ!」
こういう時のビビはあまり人目を気にしないらしい。半ばぐいぐいと伍郎を引っ張り、一緒に赤い椅子に座った。と同時に携帯のカメラで写真を撮る。あれこれポーズをとるビビは、まさに今時の若者だ。伍郎にとってはものすごく気恥ずかしい椅子だが、ビビはお構いなしに小首を傾げたり、舌を出したり、伍郎に寄り添うようにしたり、ポーズを変えては何度も何度もシャッターボタンを押す。
カシャッカシャッカシャッカシャッ
通りかかる人は見て見ぬ振りをし、中にはびっくりしている人もいたが、そんな人々の視線などお構いなしに、ビビは写真に熱中していた。やがて満足すると、
「ね、伍郎さん、ほらこれ」
と、嬉しそうに先ほど撮影した写真を伍郎に見せた。
「やっぱり思い出は残さないと」
「それはそうだね」
「伍郎さんにも写真送りますね」
「それよりもビビ、ここからそろそろどかないと、他の人だってこの赤い椅子に座りたいんじゃないかな」
「あ、そうですね、ごめんなさい」
ラッキーバブルは、最初のオーダーの際に、店内飲食なのか、持ち帰りなのかを決め、店内飲食の場合は席に案内される仕組みだ。二人は店内飲食を選んだ。
「何が美味いんだろう?」
「これがすごい人気なんですよ」ビビは素早く指差す。
「へぇ。じゃあそれでいいかな。けど、それプラスカツカレーもいいな」
「私もカツカレー頼んでいいですか?」
「もちろん」
食べ物を選び、番号札が渡され、席に通される。フロア奥の窓際の席だ。観賞用植物の影になっていて、ちょっとした特等席になっている。たまたま空いたから、たまたま通されたのだが、ゆったり落ち着けるいい席だった。
「ね、伍郎さん、これ」
「ん?」
テーブルに置かれているメニュー表に目をやると、
店内にある八つのハートを探せ!
と書いてある。曰く、この八つのハートを見つけた人は幸運なのだそうだ。具体的にはお好きなハンバーガーを二品サービスすると書いてあった。
「……なるほど」
「面白いですよね。私、もう一つ見つけましたよ」とビビ。嬉しそうに自慢した。
「どれどれ……」
伍郎も探してみるが、なかなかハートを見つけられない。幾何学模様の壁。さまざまな置物、人混み。これは難しそうだ。そもそもハートってなんぞや?
そんな伍郎の気持ちを察したかのように
「この形のハートを探すんですよ」とビビ。
メニュー表をよくみると、ハートの具体的な形が記されていた。確かに形はハートだけど、そのハートの中に天使のようなものが描かれているのだ。
「なるほど、これを探すのかぁ……」
こうなると、フロアの奥のちょっとしたビップ席は明らかに不利だった。そもそもフロアはL字型になっているのだ。これでは直角に曲がっている奥の部分が見えない。
「うーん。全くわからん」
そうこうしている内に番号札の番号が呼ばれ、伍郎とビビは頼んだ品を受け取り、また席に戻った。戻るなりビビは、
「やったー。私、全部で四つも見つけました!」
「マジか!」
伍郎にはどうしてもハートを見つけることができない。
「とりあえず食べましょう!」
「だね!いただきます!」
悩んでいても仕方がないのだ。まずは温かいうちに食べないと。
「お!
「ですよね!私、実はこれよく食べるんですよ」
ビビは本当に量を食べる。しかもニコニコしながら美味しそうに食べるのだ。かなりのボリュームがあるハンバーガー二個とカツカレーを難なく食べ切ってしまい、ドリンクでさっぱりすると、今度はこれ食べたいなぁといった表情でメニュー表を見ている。
伍郎も同じメニューなのだが、それなりに満腹感を味わっており、さすがにもう一品はきついかもしれないと思った。
「ご馳走様。もうお腹いっぱいだよ」
「ご馳走様でした。私もですー」
「ビビは全然まだまだ入るって感じだけど?」
「お腹いっぱいですよー。それより伍郎さんはハートを見つけましたか?」
「あ、そういえばハート!」
伍郎はビビの視線のレーザービームに気付き、そしてその拍子に、偶然ハートを見つけた。天使が描かれたハートだ。
「あ!見つけた!」
「本当ですか!よかったですね!」
不思議なもので一つ見つけると、立て続けに三つ見つかった。
お互いに確認し合うと、八つのうち六つまで見つけたことがわかった。
「あと二つかぁ」
「どこにあるんでしょうね」
「このフロアの奥の見えないところにあるんだよ。ここはL字型のフロアで、奥は見えないからね」
「そうですね」
残り二つのハートはついに見つけることができなかった。ずっと店にいることはできなかったし、見つけるまで店内に居続ける意志もなかった。さらには、ビビ自身、何かものすごく満足している様子でもあった。ならば伍郎もこれ以上ハートにこだわる必要はない。何より店外はすでに暗く、電飾がいよいよ存在感を増して輝いているのだ。
「もうこんな時間なんだね」
「そうですね」
「そろそろ出ようか」
「はい。あ、トイレ行ってきてもいいですか?」
こうして身支度を済ませると、二人は店を出た。車も人も相変わらず出入りが激しい。
そそくさと車に乗ると、後はいよいよビビを送り届けるのみだ。
「なんか……あっという間ですね」とビビ。
「そうだね」伍郎も頷く。
「………………」
「とりあえず、帰ろう」
「……ですね」
それからちょっとの間、二人は無口だった。
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