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 阿木野ビビアンは平成元年の早生まれ。平成一六年の今現在は高校生一年生で函館市内の公立校に通っていた。生まれたのはアメリカのニューヨークだということだが、ビビアン自身は全く知らない。物心ついた時には日本にいたし、その後もずっと函館で過ごしていたからだ。アメリカ生まれではあるが、英語は当然のことながら全く話せなかったし、話したいと思ったこともない。しかし、金髪に白い肌はどこからどう見ても白人であり外国人だった。そしてこの見た目のギャップから、ビビアンは成長するに従いさまざまな誤解を受けた。

 中でももっとも困ったのは外国人から話しかけられることで、日本語しかわからないビビアンには、相手が何を言っているのかさっぱりわからない。

 例えば幼い頃のビビアンは、とある外国人夫妻に付き添われて警察署まで行ったことがある。ビビアンは警察官から「ツアーから逸れてしまって迷子になってる女の子を連れてきたと言われた」と聞かされた。

 ビビアンの祖母が迎えに来たことでようやくこの誤解は解けたのだが、このような誤解は一度のみならず複数回あった。だからビビアンは人混みが嫌いになったし、なるべく自分を目立たせないようにする努力もしていた。帽子をかぶって金髪を隠したり、日焼けして肌の色を誤魔化そうとしたり。

 しかし、日焼けは祖母から止められた。白い肌は大事なのだと。すると今度は肌の露出を極力抑える服装になった。制服のスカート丈が膝下の長さであるのもその表れだった。同学年の女子が競って限界ギリギリのスカート丈に挑戦しているのと比べたら、その差は歴然だった。

 しかし、ビビアンのこの外見上の特徴は、一方では思わぬ副産物をもたらした。

 実はビビアンはほとんどナンパされたことがない。白人というのはやはり敷居が高いらしいのだ。特に田舎では。

 遠くからじっと見られることはあっても、直接ビビアンに話しかけてくるような男性はほとんどいなかった。たとえ美少女であっても、いやむしろ美少女だからこそ近寄り難いのだ。ビビアン自身は、その敷居の高さにかなり助けられていた。もともと男性には興味がなかったからだ。いや、「男性」と一括りにはできない。正確に言うなら「同年代の男性」には全く興味がなかったのだ。

「あんたさー、もったいなくない?」

 親友の岸辺薫子かおるこは小学校からの付き合いだ。

「男が入れ食い状態なのにー」

 どこでそんな言葉を覚えたのかわからないが、あまり女の子っぽい言葉ではない。しかし、高校生にもなると、皆それなりに恋愛に興味が出てくる。親友の薫子も恋愛話には敏感だった。

「ビビってすごい美人だからさー」

「そう?」

「自分でもわかってるくせにー」

「でも、私って見た目白人だよ」

「いいじゃんいいじゃん!あたしもビビみたくなりたいよー」

「そう?」

 ビビアンは自分が白人であることが嫌だった。クラスで自分一人だけがあからさまに浮いているのが嫌だった。目立ちたいわけではないのに、意味もなく目立っているのが嫌だった。目立たないように努力しているビビアンにとって、目立つことはとても苦痛なのだ。しかし、金髪の白人は、何をどうしたって良くも悪くも目立ってしまう。田舎なら尚更だ。

「それにほら、おっぱいだってさ」

 薫子はそう言うとおもむろにむんずとビビアンの胸を掴んだ。

「ボーンだし」

 と言って軽く揉んでゲラゲラ笑う。ビビアンと薫子の共通の友達もつられてゲラゲラ笑う。

 ビビアンにとっては、自分のスタイルも悩みの種だった。ブラのサイズが合わないし、着たい服のサイズも合わない。日本人にはない体型であるがゆえに、日本人仕様のものがビビアンには合わないことが多いのだ。

 私だって可愛い服が着たいのにな。

「なんかさーこんなにでっかいなんてすごいよねー。ってかさ、ビビってほんとは毎日でっかくなるものばっかり食ってんじゃないの?」

「でっかくなるものって?」

「さぁ?ってか、知ってたらあたしが食ってるよー」

「だよねーっていうか、鳥の唐揚げがいいとかって言うらしいよ」と、ビビアンと薫子の共通の友人。名前は友美。

「マジでー?」と薫子。

「ってか、ビビって唐揚げよく食ってるっしょ」

「いやーそれってかおちゃんも友ちゃんも食べてるじゃない」

「だって好きだしー」

「けどかおちゃんのおっぱいはおっきくないよね」と友美。

「うっせーな」と薫子。

「私はいいの。だっておっきいと邪魔だもーん」

「何よそれー」

「お母さんが邪魔だって言ってたしー」

 ビビアンの高校生活は始まったばかりだけど、とても楽しかった。薫子も友美もすごく仲良しで三人は中学からずっと同じクラス。そして高校になってもやっぱり同じクラス。いつも一緒だったから、寂しいわけがない。

「ってかさー、私、夏休みにお父さんお母さんと妹とでディスニーランドに行くんだー」と薫子。そしてそれを聞いた側の「いいなー」の大合唱。

「それでさーお父さんさー、すげー張り切っててさー。次の日曜に"ディズニーランドに行く服買いに行くぞー"って」

「マジで?」

「それでビックツリーに行くぞーって」

「えー」

「あそこってあんまいい服ないじゃん」

「でしょー」

「違うとこ連れてってもらえばー」

「だよねー、お父さんに言ってみようかな」

「やっぱさーどうせならいい服買いたいよねー」

「どんなのがいいかなぁ」

「ディスニーランドだから、でっかくミッキーのプリント入ったやつとか?」

「えー何それー」

「でもいいなぁ。ディズニーランドとか私も行きたいなぁ」とビビアン。

「だよねー」友美も同調。

 ビビアンにはそれほどの物欲はない。ただ、ディスニーランドは別だ。ディズニーランドは東京に、いや、正確には千葉に行かないと楽しめない。自分から動かないと、あるいは苦労しないと手に入らないもの。これはビビアンにとってはとても価値のあるものだ。

 しかし、ビビアンにはそれ以上に価値があるものがあった。それは、自分から動いても、あるいはいくら努力をしようとも絶対に手に入らないもの。

 たとえば"日本人であること"は、ビビアンがいくら切実に願おうと、努力をしようと、絶対に手に入らなかった。もちろん自分は日本人だ。けれど、生物としては白人だ。自分が望んだことではないのに、自分は白人なのだ。金髪ではなく黒髪が良かったし、薄橙の肌になりたいと今でも真剣に思う。けれど、これはいくら努力を積み重ねようと、絶対に手には入らないもの。だからこそビビアンは親友の薫子や友美が心底羨ましかった。

 ビビアンにとって最も不思議なのは、自分の友達が自分の容姿を本気で羨ましいと思っているらしいことだった。確かにいろんな女性向けの本には、ほっそりした白人女性が登場して、さまざまなオシャレをアピールしている。けれど、男性雑誌には白人女性はほとんど登場しない。皆日本人女性だ。若くて元気な水着姿を披露しているのはみな日本人女性なのだ。それが本当の答えなのだと、まだ若いながらもビビアンは見抜いていた。

 別にモテたい訳ではない。ただ、日本に住んでいて、日本人なのに、見た目や容姿が日本人とは全然違うというこのギャップに、ビビアン自身はいつも戸惑っていたのだ。

 自分では難しいことはよくわからない。けれど、拭いきれないこの違和感をビビアンはどうすることもできなかった。それどころか、日に日に少しずつ少しずつ、確実に大きくなっていくこの違和感に、ビビアンはずっと一人で悩んでいた。

 そしていつしか、その違和感は一つの大きな疑問に収束していった。

 

 私は誰なのだろう?

 

 愚にもつかない戯言だと言う人がいるかもしれない。子どもらしい悩みだと言う人もいるかもしれない。そんなことより日々の生活が大事だと言う人もいるかもしれない。

 しかし十五歳のビビアンにとっては、それはとても大きな問題だったのだ。

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