7
伍郎の運転する車は、内浦湾を一路北上し、もう少しで長万部町に入るところに差し掛かっていた。長万部町からは函館本線に従って国道五号線を黒松内方面に向かい、途中で五号線を外れると、黒松内村を通って日本海側に出る。そうしたら、あとは神威岬まで真っ直ぐに車を走らせたらいい。
昨日の快晴は今日も続いていて、空は見渡す限りの濃青だった。ラジオによると、どうやらこの快晴は明日まで続くらしく、気温は三十度を超えるらしい。北海道としては珍しい暑さだが、しかし車内はクーラーで適度な室温になっていて、快適そのものだ。
そんな狭い空間に、歳がかなり離れている男女が一緒にいるとどうなるのか?
というと、それなりにではあるが、それなりの会話がされていた。
もちろん伍郎にとって、一八も年の違う少女との話は過去に経験がない。ジェネレーションギャップは当然あった。だから何を話せばいいのか、最初はどうしても手探りの会話にならざるを得ない。
「そうなんだね。それは僕にはわからないなぁ」
「そうですよね。伍郎さんの時代だとどんなのが流行ったんですか?」
「うーん」
考えながら答える有名人や流行り物は、どれもビビアンの知らない人やモノばかり。伍郎にとって、この"会話を繋げる"ということは一種の苦行に近かった。インターネットがそれほど発達していないこの時代、知らなくても検索して確認するという方法はまだ確立されていないのだ。大半の場合、知らないものは知らないままで終わるのだ。
これでは話が持たん。
伍郎は運転どころではなかった。どうにかしなければならないのだ。しかし、その"どうにか"の部分がわからないのであって、伍郎は早々に定番の食べ物ネタに話を切り替えた。
「でもまあ仕方ないよね。お互い、年も離れてるんだし。ところで阿木野さんは何か食べたいものはあるかな?」
「食べたいもの?」
「もう少しで昼だし、流れとしては長万部で何か食べようかと思って」
「長万部って何が有名なんですか?」
「さぁってね。実はよく知らないんだ」
伍郎は素直に白状した。
「何が名物なんだろう?」
「やっぱり魚介類ですか?」
「かなぁ。阿木野さんは魚介類はどう?」
「うーん。なんでも好きです……エビとかイカとかタコとかは特に好きです」
「なるほど。じゃあさ、寿司を食べるってのはどうだろう?」
「回転寿司とか?」
「けど長万部には回転寿司ってあるのかな?」
伍郎にはわからない。
「お寿司じゃなくてもいいですよ」ビビアンは助け舟を出した。
「私はなんでもいいです」
この"なんでも"は曲者だ。言う方は気軽に言えるが、聞く方にとってはプレッシャー以外の何者でもない。そもそも"なんでも"が本当に"なんでも"であることは滅多にない。むしろそこには明確な意思表示がされているのであって、多くの場合それは
私の好きなものであればなんでも
なのだ。
「うーん」こうなれば、またも探り探りの会話となってしまう。
「阿木野さんは普段はどんなのが好きなのかな?」
「なんでも食べますよ」またもや"なんでも"だ。
「けど、そうですねぇ……ラーメンは好きかな」
そのフレーズに即座に食いつく伍郎。
「へぇ。何ラーメンが好きなの?」
「やっぱり塩です」
函館は塩ラーメンの本場。本場を外さないところはいかにも函館人だなと伍郎は感心した。
実は伍郎は麺類があまり好きではない。しかし、現状ではそんなことはどうでもいいことだった。ラーメン屋ならどんなところにも必ずあるし、これ以上考えなくて済む。麺類は好きではないというだけで、もちろん食べることはできるのだ。
「じゃあ塩ラーメンを食べよう!」
結論から言うと、伍郎はラーメン屋を探せなかった。仮にそれらしい店のようなものがあっても素通りしてしまう。どうしても店内に入ることを躊躇してしまうのだった。
そもそも伍郎は外食をほとんどしない。ゆえにその手のカンが全く働かない。どの店に入ったらいいのか、実はまるで検討がつかなかった。それどころか、
「この店はどうだろう?」
などと、うんと年下のビビアンに聞くレベルだったのだ。
「うーん。どうなんでしょう?」当然ビビアンにもわからない。
そうこうしているうちに車は長万部を通り過ぎてしまった。
「なんかごめん。決められなくて」
伍郎は素直に謝った。
「黒松内まで行けば何かあるかも」とは言ったものの、それだと昼をかなりやり過ごすことになってしまう。車内にもやっとした得体の知れない空気が漂う気配を感じる伍郎。
「あのお……提案があるんですけど」とビビアン。
「なんだい?」
「スーパーで惣菜買って車で食べながらというのはどうでしょう?ほら、さっき通った道沿いにスーパーあったでしょ?」
「ああ。確かに」
「私、それで全然構いませんけど」
「ほんとかい?」
「はい。そうしたら、時間を気にせずかむいみさきまで行けるし……」
伍郎はその提案に乗っかった。
ありがたい!
それがいい!
そうしよう!
それは伍郎にとっては現実的な提案だし、それ以外の策などもはや全く思いつかない。
そうと決まると、伍郎は道を戻ってスーパーに向かった。北海道全道に多数出店しているそのスーパーは、当然伍郎も知ってたし、ゆえに安心感もある。店内レイアウトはどの店であっても似たり寄ったりだし、であれば、どの棚になんの商品があるのか迷う心配もない。
伍郎とビビアンは連れ立って店内に入ると、あれこれ物色しながら昼食を買い込んだ。おにぎりや寿司、唐揚げ、サンドイッチ、コロッケ。お菓子にも手を出したせいで、ちょっとのつもりがかなりの量になった。
「すごい贅沢ですね!」ビビアンはとても嬉しそうだ。
その後お互いにトイレを済ませ、車内に戻ると、得体の知れない車内のもやもや感はすっかり消え失せ、一転して華やかで賑やかな空間になった。
「何食べます?」
運転する伍郎にビビアンはおにぎりやサンドイッチなどを手渡す。そして自らも楽しそうに稲荷寿司や唐揚げを頬張った。ビビアンは炭酸水は苦手なようで、天然水を飲んでいた。伍郎は炭酸飲料派だ。
そうこうしてる間に、あれだけたくさん買い込んだはずの食べ物がなくなってしまった。それもそのはず、実はビビアン、思った以上に大食漢だったのだ。この美少女は下手をすると自分と同じくらいに食べる。この体のどこにそんなに入るのか?と、伍郎は密かに驚いた。
思いが表情に出たのか、それともそんな伍郎の気持ちを察したのか、
「食べ過ぎました」
とビビアン。にしては少し物足りなさそうにも見える。
「よく言われるんです。すごい食べるねって」ビビアンはそう言うとはにかんだ。
「美味しいとついつい……」
一人で遠出をするときには、惣菜などをスーパーで買って、運転しながらダラダラ食べる。これは伍郎がいつもしていることだった。そして今回もまさにそのまんまの昼食だった。なんだ、こんなに喜ばれるなら、最初からこうすればよかった。
安堵しながら伍郎はペットボトルに口をつける。するとビビも天然水を飲む。そんなビビを見て伍郎は確信した。
「あのさ、阿木野さんって実は左利きなのかい?」
「ええ。床侶さんもそうですよね」
実はお互いに左利きだった。どうりで妙な違和感がないのだと、これまたお互いに思った。モノの受け渡しでは、利き手が違うと何かしらのぎこちなさがどうしてもあるものだが、同じ利き手同士だと、面白いくらいにしっくりくる。狭い空間でのモノの受け渡しでは、そのぎこちなさやしっくりする感じがはっきりとわかるのだ。
もっと言うなら、左利きは普段右利きを見慣れているので、左利きが醸し出す独特の違和感がわかる。しかしいざ同じ左利きと接すると、そんな違和感などすぐに消えてなくなり、しっくり感がじんわりと包み込むのだ。この心地よさは半端ではなく、まさにパズルのピースがピッタリはまる感じなのだ。
「こういう偶然もあるんだね」
「ですね」
同じ利き手同士ということが分かると、伍郎は、なんとなくビビアンとの距離が近づいたような気がした。見ると、ビビアンもそうらしい。とても嬉しそうにしている。まさに左利きあるあるである。
「ところで、ちょっと気が早いんだけど、帰りはどうしようか?どこかに寄って食べていく?それとも家に帰ってから食べる?」
「せっかくだから、どこかで食べていくのはどうですか?」
「じゃあそうしよう!今度はさ、今こうやって走ってる途中に何か良さそうな店があるだろうから、それを見て覚えておいて、それで帰りに食べていこうよ!」
「いいですね!」
車は軽快に夏の北海道を走っている。そして進行方向の空にはにポッカリと絵になる雲が浮かんでいる。
「なんかさ」と伍郎。
「……すごくいい天気だよね」
「ですね」
「神威岬が楽しみだな」
「私も!ところで、ここからだとどのくらい時間がかかるんでしょう?」
「うーん……多分二時間くらいかな」
「じゃああと少しですね」
「だね」
しかし、伍郎はこの時点であることをすっかり忘れてしまっていた。そしてそれは、ちょっとした問題を引き起こすこととなる。
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