最終章
伍郎が自分の携帯を見たのは、すっかり日も暮れた札幌にある自分のアパートに帰ってからのことだった。車をアパートの駐車スペースに止めてエンジンを切ると、どっと疲れが押し寄せてきた。
明日からまた仕事だぁああ。
虚脱感を味わいながら伍郎は車から降りた。あっという間の三連休で、あっという間の旅だったなぁ。札幌に帰って、そして見るこのいつもの景色は、いってみればいつもの日常の象徴だ。
伍郎には、その見慣れた景色がなんともつまらなく、どんよりと色褪せて見えた。しかし、いくら色褪せようとも、日常は日常だ。また明日から必死に繰り返さなければならない。
車のドアを閉める前に伍郎は携帯電話の存在を思い出した。流石に今回は忘れない。バッテリーケーブルで繋いで充電していたからだ。ケーブルを外し、充電完了の確認のために二つ折りの携帯電話を開くと、メールが来ているのがわかった。
あれ、誰からだろう?
ビビからだった。
今日はありがとうございました。とても楽しかったです。神威岬の景色はとても綺麗でしたね。ところで一つ伍郎さんにお願いがあります。聞いてくれますか?
メールはこれで終わっていた。
しまった!連絡が来てたのか!てっきり連絡なんて来ないものだとばかり思ってた!
メールは昨日の夜に届いていた。ということはほぼ丸一日経っているではないか!
伍郎は狼狽した。これはまずい!せっかくの連絡に対して、丸一日も返事をしてないなんてこれはまずいぞ!
車の脇に突っ立ったまま、伍郎は慌てて、そして何度も打ち間違えながらメールの返信をした。
こんばんは。そしてすみません。携帯電話の充電をし忘れてしまい、今、メールを見たところです。僕も本当に楽しかったです。
ところでお願いとはなんですか?
伍郎の返事から程なくしてメールが届く。
そうだったんですね。よかったです。ちょっと心配しました。ところでお願いなんですが、私、伍郎さんのことを先生と呼んでもいいですか?
なぜに僕のことを先生と?
伍郎はそう思い、素直にそう返事を返した。ビビの答えはとてもシンプルなものだった。
伍郎さんは私の先生だからです
意味がわかったようなわからないような。確かにガソリンスタンドの一件では、僕は学校の先生だということになってるようだけど……。うーむ。これからもそういう設定で、ってことかな?
もちろん伍郎は、ビビが自分の夢の中の男性に強い思いを抱いていることを知らない。夢の男性がビビを教え導くと称し、ビビが先生と呼んだ際のやりとりも知らない。
後日、二人が結婚した際に、伍郎は改めてそのことを聞くと、ビビはこう言った。
「そもそも私、夢の男性の名前を知らなかったの。で、もちろん伍郎さんだとわかったんだけど、なんか違う名称でも良い気がして。なんというか、もっと親しい感じで二人だけに通じるような。ガソリンスタンドの件で咄嗟に嘘ついちゃったけど、けど結局はそれが一番しっくりするし、だから伍郎さんは私の先生なの」
「なるほどね」と伍郎。
「じゃあさ、もう一つ聞くけど、僕は夢の男性の代わりってことかい?」
「それは違うわ」とビビは即答した。
「なぜなら、先生と会ってから、もう二度と夢の男性は夢に現れなかったから。だから先生は夢の男性の代わりではないの。それどころか、夢の男性はやっぱり先生だったのよ。私きっと、実際に先生と会う前に、夢の中で先生と出会ったんだわ。そしてそれが現実になったのよ」
「なるほど……」
わかったようなわからないような……。
けれど、はっきりしていることがあった。このメールのやり取り以後、伍郎はずっと先生と呼ばれ続けることになるし、以後、二人の関係はずっと続き、ついには結婚まですることとなった。もちろん今でも二人(近々三人になる予定)仲良く暮らしている。
つまり、二人は同じ道を二人で一直線に進むことになったのだ。これまでも、そしてこれからも。
それは虹を渡る行為。
仮に落っこちてもいいじゃない。
落ちたら落ちたで、また進めばいいのよ。 雨が降って虹が出たら、またそれを渡ればいいじゃない!
伍郎は車の脇に突っ立って、ビビとメールのやり取りをしている。
先生か・・・僕はそこまで立派じゃないけど、ビビがそう言うのなら、僕を先生と呼んでもいいですよ
ありがとうございます
また先生に会いたいです
今度はいつ函館に来れますか?
仕事があるのですが、僕もまたビビに会いたいです。時間を作りますので、待っていてくれますか?
もちろんです。よろしくお願いします。これからもメールしてもいいですか?
もちろんです。よろしくお願いします
以後、伍郎は携帯電話をしっかりと携帯するようになった。もちろんビビからの連絡があった際、返事が遅れることのないようにしなければならないからだ。ビビちゃんでもビビさんでもない、ビビからのメールは何よりも大事なのだ。
一連のやり取りが終わっても、伍郎はまだしばらく車の脇に突っ立っていた。
次はいつ会えるだろうか。
いや、いつ会おうか。
見慣れた景色がカラフルに見える。いつもの日常がカラフルに見える。明日は仕事なのにこんなにも楽しい気分になるとはね。
伍郎は驚いた。
そして思った。
なるほどそうか。
これが「出会い」というものなんだな。
からふるビビっと 虹を渡る二人 中野渡文人 @nakanowatarifumito
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