第5話 策略と語りくらべ

 流浪るろうの者が求めるものはなんでしょうか。

 領地、財、権力では繋ぎ止める事はおろか、自身を認めさせる事すら出来ないお相手に、ラアヒットヒャ様は少しだけムキになられていたのでしょう。

 ラアヒットヒャ様は、色とりどりのランタンの灯りの下、語り部が初めて見せた表情の中に、目ざとく欲求を見つけ出されました。

 飄々ひょうひょうとされている彼の心をついに掴んだ、彼の欲しがるものを自分が持っていた、と、ラアヒットヒャ様はさぞやお喜びになられた事でしょう。 

 ラアヒットヒャ様、先ほどよりも権威と自信に満ちた声で再度問いかけました。


「どうだ、この話乗らぬか? 世にも稀な宝石であるぞ。声ひとつで手に入れられるのはそなたにとっても大きな幸運だと思うが」


 語りに対し「声ひとつ」で、とは随分安易なご見解だと内心わたしは思いましたが、もちろん静かに身を伏せて語り部がどう答えるか耳を澄ませていました。

 語り部はすぐに深い声でお返事をされました。


「お望みとあらば……」

「おお、ロキラタよ」


 ラアヒットヒャ様の声から、喜びと興奮が滲み出ていました。

 ラアヒットヒャ様は、それを隠すためか少し咳払いをした後、口調に疑いを乗せて言い足されたのです。

 

「うむ。いやしかし、待たれよ。そなたは持っている分より少なく『これで仕舞いだ』と言うかもしれぬ」

「そんな事は……」

「いやいや、そなたは単身で異国を渡り歩いておるのだ。抜け目が無いのは分かっておるぞ。そこでだ」


 ラアヒットヒャ様がどんな条件を出されるのか、皆が胸躍らせて待っています。

 わたしも思わず顔を上げてしまいましたが、誰も気づかず咎める者はいませんでした。

 熱帯の湿地に閉じ込められる様にして暮らす人々は、こんなに胸躍る瞬間は久しぶりでした。

 マハラジャへ贈られる予定だった宝石が、別の誰かのものになるなんて!


「語り比べをしようじゃないか。そなたと対戦者が交互に語るのだ。誰も語る物語がなくなり、それでも最後に語った者にこの宝石を与えよう」

「まぁお父様、宮殿には何百と人がいますのよ。それではロキラタ様に不利ではございませんか」


 ファティマ姫が口を挟みました。

 ラアヒットヒャ様は姫に微笑みました。

 愚かでもやはり可愛い姫なのでしょう。

 もしかすると、愚かなところが可愛いのかもしれません。自分より下の者を見て喜ぶ人は、たくさんいるのですから。

 ラアヒットヒャ様は、初めから宝石を渡すおつもりなどないのです。おそらく最後に語るのは、語り部にはならないでしょう。

 語りをした事がない者たちばかりでしたが、姫の言う通り、宮殿には何百と人がいるのですから。

 流石に語り部も、物語を何百も持ってはいらっしゃらないでしょう。そして、語り部を打ち負かした者からは、宮殿の権威を振りかざして宝石を取り上げてしまえばいいのです。

 この勝負は流浪の語り部を少しでも長く宮殿に繋ぎ止めて置く為の、ラアヒットヒャ様のたわむれな策略でした。

 おそらくこの場の半数以上が、ラアヒットヒャ様のお考えに気づいておられましたが、ファティマ姫には無理だった様です。


「強制では無いから安心するがいい。それに勝負に敗れたとて、ロキラタは何かを失う訳ではないからな。ファティマ姫は優しい姫であるな。きっとシヴァンシカの育て方がよいのだな」


 シヴァンシカ妃は夫の間接的な賛辞さんじに眉を潜めました。娘の出来の悪さを擦り付ける自分への嫌味と取られたのでしょう。

 シヴァンシカ妃の周りの空気が重くなり、彼女を煽いでいる扇持ちの奴隷少女の顔に怯えが広がっていました。

 そんな些細ささい亀裂きれつが起こる中、語り部はラアヒットヒャ様にひざまずかれました。

 そして、朗々とした声で仰います。


「お受けいたしましょう。さぁ、一番最初のお相手は?」


 どことなく語り部は可笑しそうに笑って、その場の皆にお尋ねになられました。

 しかし、誰も手を上げず、立ち上がりません。

 語り部は可笑しそうに唇を震わせています。

 それもそのはず、彼に勝つためには最後の方に進み出た方が有利だからです。

 似たもの親子とはこの事、わたしも慌てて顔を床へと伏せました。

 ラアヒットヒャ様はそれに気づかず、皆を鼓舞こぶしました。


「どうしたどうした。多少下手でも構わぬぞ。ロキラタの前では皆同じようなものであろう」

「では、まず私から語りましょう。その間に皆様どなたかご準備を……」


 見かねられたのでしょう、語り部がそう仰って語り始めました。


「物語ではありませんが、私の故郷のお話をしましょう。では、口上を……『島の女神に贈ります』……私の故郷はエメラルド色の海に浮かぶ小さな島です。白く美しい砂浜を優しい波が撫で、風は甘く香り、背の高い椰子ヤシが生い茂り、子供達がまるまるとしています」


 初めて聞く彼の語りに、わたしは夢中で耳をそばだてました。まさか、語りどころか彼の故郷の話を聞けるなんて。それにやはりうっとりする様な美しく低い声なのです。

 語り部は生き生きと自分の故郷だという島の話を続けます。

 ここと同じように熱帯で、椰子を初めとした美しい植物が生い茂っているそうです。

 わたしは海を見た事がありませんが、彼の声がキラキラと輝くエメラルド色の波を見せてくれるのでした。

 話を聞く者皆、何処か遠い目線をして、そこに彼の故郷の美しい空や海や背の高い椰子、群生しているというジャカランタの花が広がって見えているかの様でした。

 カタカタと鳴く大きな鳥のモノマネを彼がすると皆楽しそうに笑い、わたしもこっそりと笑ってしまいました。語り部は、本当に語りがお上手でいらっしゃいました。

 サンパギータも喜んでいる事でしょう。

 そう思って彼女の方を見て、わたしは息を飲みました。

 サンパギータが意志のある視線を持って、語り部を見つめていました。更に、唇の両端に小さな笑窪えくぼをつくっていたのです。

 語り部はそれに気づいている様子でした。

 ちらほらと他の者もサンパギータの変化に気づき、小さな声を漏らす者もいました。


「……その美しく楽しい島が、私の故郷です。その島は、語り部の島と呼ばれています」


 語り部はサンパギータへ語りかけるように、語りを閉じました。

 わたしは何か胸騒ぎを覚えながらサンパギータを盗み見ました。

 サンパギータは話が終わった途端、表情を無くし視線を何処か遠くへ彷徨さまよわせ、いつもの通りとなってしまいました。

 落胆と微かな安堵を感じる間もなく、ラアヒットヒャ様がお手を叩かれました。


「うむ、素晴らしい故郷を持っているようだ。いつか訪れてみたい」

「ありがとうございます。いつかご案内いたしましょう」

「うむうむ。ささ、誰か挑戦者はおらぬか! 勝てば、この世にも稀な宝石を授けるぞ!」


 皆がソロソロと目線を這わせ敗北を押しつけ合う中、わたしの傍らでふわりと衣の擦れる音がしました。「あっ」と声を上げて慌てても、もう間に合いませんでした。

 クッションに座らされていたサンパギータが立ち上がり、いつもの調子であらぬ方を見つつも、語り部の方へ身体を向けていたのでございます。

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