第18話 ロキの物語

 最期の勝負という事だからでしょうか。

 皆ロキ様を囲み、残念そうな顔をして、いつもよりも更に前のめりになっています。

 わたしも、もうこれで彼が物語る声を聴けないと思うと、胸が張り裂けそうです。

 しかも、彼の語りが終わったらサンパギータは負けてしまいます。ですから余計に、彼の話がずっと続けば良いのにと願わずにはいられませんでした。


「皆様もうお馴染みの、語り部の島にロキという少年がいました。最後の宵はこの少年の冒険物語です」


 わたしはハッと息を飲みました。

 ロキ様は珍しく言葉を途切れさせ、喉仏を上下させてから語り始めました。


「さて、語り部の島では毎夜交代で語りをします。そうする事で昼は勿論のこと、夜にも物語が途絶えないのです。

 満月を迎える日は特別で、日の出から次の日の出まで語り尽くします。これは島の近況報告と実りへの感謝、平和の祈りといったものを、女神から神様へ届けていただく大切な語りとなります。とても名誉な語りですので、島の者たちはこの役に憧れを抱いているのでした。

 もちろん、ロキもそうです。けれどもロキはまだ小さすぎて、満月以外の夜ですら、語った事がありませんでした。そんな幼いロキが憧れていたのは、キタルファという若い女性の優れた語り部でした」


 絹の様な黒髪に、輝く大きな瞳を持つ美しいキタルファは、ロキだけではなく島中の尊敬と愛情を集めておられたご様子です。

 ロキ様はキタルファを讃え、それを聞いた聴衆たちにも憧れを抱かせました。


 わたしは最初、抵抗しました。

 ロキ様が、あまりにも慕わしそうに彼女の話をなさるからです。

 けれども、キタルファという方は、聞けば聞くほど慕わずにはいられない女性でした。それに、どこか切ない懐かしさを感じます。

 この世には、時々そういう方がいらっしゃいます。神に愛されている方です。


「語り部は十六になると、女神の加護を受け、物語とインスピレーションを集める旅に出ます。キタルファも旅に出ました。ロキは彼女にどこまで旅をするのか尋ねました。なるべく近くをまわり、早く帰って来て欲しいな、と思いながら……すると彼女はこう答えました」


 ロキ様は少し顔を上げ、虚空にその人の面影を見ている様な表情をされました。


「誰も行ったことのないような遠くまで」


 ロキ様の声は低い男性のものですが、不思議な事に、しっとり優しい女性の声に聞こえます。


「珍しい物語があるというの?」


 今度は、あどけない少年の声。

 サンパギータと同じく、変幻自在でいらっしゃいます。


「いいえ。私は物語を出来るだけ広く遠くへ届けたいの」

「帰って来て女神様へ届けるよりも、そっちの方が大事なの?」


 キタルファは両親のどちらをより好きかと聞かれた子供の様に、項垂れてため息をつきました。


「……選べないでいるのよ……けれど、島の外は争いや飢えや他にもたくさん辛い事があるのを知っているでしょう? 私はそこへ希望や慰みとなる物語を届けたいの。ロキは自分の心の中に神様がいる?」

「女神様ではなく?」

「ええ。勿論、女神様を統べる神様の事でもないの。心から聞こえるたくさんの声……神々が、告げなさいと言うのよ。物語を広めなさいと……」


 ロキ様が演じられるキタルファの言葉を聞いて、わたしは胸がざわめきました。

 あまりにもしっとりと美しい女性像を声で表現されるので、嫉妬をしたのかもしれないと、わたしは恥じ入りました。


「キタルファは志高く旅立ち、そのまま何年も帰って来ませんでした。彼女への女神の加護は、とうに届かぬ所にいってしまったではないかと、皆心配していました。それからもう少し時が経ち、ロキは十六歳を迎え、旅に出ました。彼は、最初に辿り着いた国で聞き覚えのある物語を耳にしました。その物語が始まると、大人も子供もニッコリと笑います。 

それは、島でキタルファが語った事のある物語でした。しかし、キタルファはその国にいませんでした。残念に思いながら放浪していると、またキタルファの物語が聞こえて来ます。今度はジンと心が温まる物語です。しかし、キタルファはその土地にもいません。そしてまた別の場所でキタルファの物語を聞き……ロキはキタルファの残り香を追う様に、彼女の物語の痕跡を辿る旅をしていました」


 恋しい憧れの女性の為、遠く慣れない異国を巡り探し続けるとは、なんて健気な少年なんでしょう。

 わたしは心底、キタルファという女性を羨ましく思いました。聴衆の半数を占める女性全てがそうではないかと思われます。

 女達の母性本能を刺激しながら、少年はロキ様の舌の上で様々な国を巡ります。

 初めはキタルファの物語ばかり追っていた彼でしたが、その内、知らない物語に出逢うようになり、物語を生み始めました。それはどれも素晴らしいものばかり。

 想像した事のない素晴らしい建物や絶景の物語に胸を膨らませ、珍しい食べ物の物語に唾をのみ、恐ろしい動物と愛らしい動物の知恵比べ。たくさんの悪い人々と少しの善い人々との触れ合い。行く先々で出会う美姫に酔いしれ……物語をたくさん蓄え、語り部としても成長していくロキの活躍に、聴衆たちは夢中です。

 わたしも少し心穏やかではない部分もありましたが……ロキ様の声を一句も漏らさず聞いて覚える事に必死でした。


「そうして様々な経験を得て、ロキは少年からすっかり大人になりました。相変わらずどこまで行ってもキタルファの物語は足跡を残しており、人々を笑顔にしています。いつしかロキは、こんな風に思う様になりました。『キタルファは温かな島へ帰る事も出来るのに、心の声に従いこんなにも遥か遠くまで旅をし、人々へ物語を与え皆の心を癒やしている。もうこれ以上の追跡はやめよう、彼女は彼女の神のもの。そしてそう在るという事は、いくつかある正解の中でもとんでもなく自由で幸福な事なのだろう』」


 ロキ様は、ふ、と短い息を吐かれました。

 それは、長年旅した老人の様なため息でいらっしゃいました。


「ロキはようやくキタルファを諦め、自分の歩むべき路を探す事にしたのでした。もう、彼の歩みの先にキタルファの物語はありません。その代わり、彼の歩みの後には物語が残るのでした。キタルファの様に――――」


 成長と気づきの物語。


 聴衆から満足のため息が上がりました。

 男達はかつて少年だったロキが己の路を見つけた事に深く頷き、危なかしい場面で何度もハラハラさせられた女達は、立派になったロキに目尻を湿らせていました。

 ロキ様が「すぅ」と息をお吸いになられる音が、微かに響きます。 

 仕上げにかかられる、そう感じました。


「皆さま。もしも何処かで、とある口上から始まる物語を聞いたなら、キタルファが届けに来た物語なのだと思いを馳せてください。彼女の口上はこうです」


 ロキ様は、皆が注目する中一拍置いて、口上を唱えました。


「『神々が告げよと仰りますゆえ広めましょう』」

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