第3話 引き離せない二人の娘

 わたしが呆気あっけにとられていると、召使いの男が顔をゆがめました。


「ふん、口もきけないか。まあいい。語り部様がその木偶でくむすめを見たがっておられるから、宮殿へ急ぐのだ」


 歪められた顔には、あからさまに「うらやましい」と書いてありました。召使いの彼は、宴に出る事も見る事もかなわない身分なのです。

 同じだと思っていた者が、同じでは無く良い目に合うと知った時、それはどんな気分でしょう。きっと面白くないに違いありません。

 それにしても、「サンパギータを見たい」だなどという願いを聞き届けられるとは。どうやら語り部は、宮殿の人々を魅了みりょうしてしまったようです。


 後で分かった事なのですが、ラアヒットヒャ様はむくわれない末の弟が大活躍だいかつやくする物語に心酔しんすいなさり、シヴァンシカ妃は恋人の小さな裏切りに傷つき新しい恋人と幸せになる物語にまぶたを押さえられ、ファティマ姫は語りのほとんどを右から左へと聞き流し、語り部の端正な美貌に夢中になっていたそうでございます。

 素晴らしい夢を見せられれば、もっと見たいと思うのは当然の事でしょう。

 どれだけ恵まれた環境で生きていようと、叶えられない事があるというのは少し怖くて不思議です。反面、意地悪な安堵あんども感じます。

 宴の間で語り部の語りを聴いた者たちは全て、彼の話をもっと聴きたいとい願っていました。

 語り部はたった数刻すうこくで、王宮中の心をとらえてしまったのです。


 さて、驚いて声も出せず動きもしないわたしに、召使いは意地悪く笑いました。


「きっと、面白い木偶娘の喜劇きげきをつくり、笑い話を語ってくださるに違いない!」


 わたしは慌ててサンパギータの方を見ました。

 サンパギータはいつの間にか起き上がっていましたが、いつも通り虚空につかみ所の無い視線を向けています。

 召使いと共に部屋に入って来た不届ふとどきな羽虫が頬に止まっても、嫌がって動く事すらしていません。


「……どうかご容赦ようしゃくださいませ……」


 わたしは胸の前で手を合わせ、小さな声で懇願こんがんしました。

 大勢の煌びやかな人の前で、サンパギータが笑いものにされてしまうなど、本人は意に介さないかもしれませんが、長年慈いつくしんでお世話をしてきたわたしにはこたえます。想像するだけで、あわれで可愛そうで、胸が張り裂けそうでした。

 召使いはわたしの懇願を無視し、乱暴にサンパギータを連れて行こうとしました。

 身分の無いわたしは、宴の間への同行は許されません。

 サンパギータを守ってあげられないのです。


「待って、待ってください」


 連れて行かれるサンパギータへ思わず手を伸ばし、彼女の手を握りました。

 それでどうしてあげられるということでもないのですが、そうせずにはいられなかったのです。

 すると、サンパギータが強くわたしの手を握り返しました。そこに意志があったので、わたしは驚きました。


「サンパギータ……?」


 サンパギータの顔を覗き込むと、彼女は期待に反していつも通り虚空を見ていました。けれど彼女は、わたしの手をキュッと掴む力を緩める気配を見せません。

 召使いが額に青筋を浮かべてかしました。早くサンパギータを連れてくるように命じられているのでしょう。


「何をしている、離せ!」


 彼はわたしの頬を平手で打ち、サンパギータから離そうとしました。

 わたしはよろめき、サンパギータの手を離しそうになりましたが、サンパギータがわたしの手をぐっと支え、離そうとしませんでした。

 こんな事は初めてで、わたしは再度驚きました。打たれた痛みすら忘れてしまう程でした。

 その内、召使いの長が「遅い遅い」と現れて、わたしとサンパギータを引き離そうとしましたが、サンパギータはどこにそんな力があるのか、決してわたしの手を離しませんでした。


 きっとサンパギータは、わたしから離れるのが不安なのだわ。


 そう思いつくと、胸がジンと焼けるようでした。

『引き離せない二人の娘』はとうとう別邸内の事件になって、大勢の召使いや奴隷がやって来てなんとか引き離そうとしましたが、無理でした。


「ふざけるのもいい加減にしろ!」


 召使いの長はカンカンに怒り、おのの様な肉切り包丁を奴隷に持ってこさせました。


「お前の腕を切り落とすぞ!」

「ひ、お、お待ちください。もしも切り落としたわたしの手を離さなかったら、宴の席に不愉快ふゆかいをもたらしてしまいます!」

「うぐぐ……! 仕方ない、お前も行け!」


 危うく腕を切り落とされそうになりましたが、切り落とした腕を持つ姫など、客人の御前ごぜんに出すわけにはいきません。しょうがなく、わたしもサンパギータと共に、宴の席へ上げられる事となったのでございます。



 宴の間はランタンの灯りと、色鮮やかな熱帯植物の大鉢で彩られていました。

 大鉢に溢れる大輪の花や珍しい輪郭りんかくの葉の間を、かれたこうの香りと煙が優雅に揺蕩たゆたっています。食事用の絨毯じゅうたんの上には、所狭ところせましとご馳走が湯気を上げ、ずらりと並ぶ何百もの銀の酒杯が輝いておりました。

 サンパギータを待つ為でしょうか、語りは中断されていました。

 宴に集まられた高貴な方がたは皆、美しい色とりどりの絨毯とクッションの上で、思い思いにおくつろぎになられています。

 ラアヒットヒャ様は語り部と向かい合い、楽しそうに語らっていらっしゃいました。

 シヴァンシカ妃は話し込む夫と語り部の脇で、ボンヤリと水たばこをのんでいらっしゃいます。

 ファティマ姫はというと、父の話に頷いている語り部の手をうっとりとした顔で撫で、彼の注意を引こうとしていました。

 語り部は、ちょうどこちらに背を向けておられましたので、顔かたちはわかりませんでした。ですが、豊かに伸びた亜麻色あまいろの髪が、うなじの辺りで軽く分かれ鎖骨さこつへと流れておられましたので、彼の肌が艶やかな明るい小麦色だと分かりました。

 わたしはその後ろ姿、逞しくもスラリとした背に胸があやしく高鳴りました。

 

 語り部に振り向いて欲しくない。


 何故か咄嗟とっさにそう思いました。

 彼にわたしが何者か……いいえ、何者でもないみすぼらしい女だと知られたくない。

 そう願いましたが、宴の間に引き立てられたサンパギータに気づいたラアヒットヒャ様が、こちらを見て声を上げたので、語り部もこちらへ振り向いてしまいました。

 凜々りりしさと賢明さをあわせ持った額、高く整った鼻に、どこか余裕のある雰囲気を持った厚い唇。明け方の空気のような水色の虹彩こうさいの中で、意志を放つ黒い瞳孔どうこうがわたしとサンパギータの姿をとらえます。

 視線と視線が合った時、後ろめたさを抱いた魂が、息も絶え絶えに立ち登ってしまいそうで、慌てて唇を引き結びました。

 語り部は噂に違わぬ美男子でした。

 そして、紛れもなくあの夜出会い、わたしを助けてくださった方だったのでございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る