第15話 二色の望み
予想していたラアヒットヒャ様のお考えを聞いて、わたしは小さく頷きました。
「大変喜ばしいことと思います……」
「いや。今と同じ飼い殺しだと俺は思います」
「そうでしょうか。今よりずっと良い待遇となりますわ」
「サンパギータ様は、待遇の違いで喜んだり悲しんだりされますか?」
「それは……」
サンパギータは過去と現在、一貫して変わっていませんでした。
物語を聞いている時に表情を微かに変えますが、それだって過去と現在で違いはありません。
それならば……ロキ様の言う通り、サンパギータはやはり今と状況は変わらないのでしょうか?
言い淀んだわたしに、ロキ様は含める様に仰いました。
「もしも俺がサンパギータ様に語り比べで負けても、ラジャはサンパギータ様へ宝石を返されないでしょう。あの方はサンパギータ様の降臨をご覧になられている。耳にした事はありますか?」
「……はい。とても不思議なご様子だったと」
ロキ様は頷いて、重いため息と共にこんな事を仰いました。
「サンパギータ様の今のご様子が、宝石が額から外れてしまってからだというのならば……ラジャは宝石を元に戻す事をお恐れになられるのでは、と、俺は思うのです。だから宝石は取り上げられてしまうでしょう」
「そんな……そんな事はないハズです」
ロキ様はつまり……サンパギータに無駄な努力は止めるよう仰りたいのでしょうか?
飼い殺しとはいえ、神聖な巫女の地位が手に入るのだから、それ以上――宝石は諦めるようにと?
それとも、今のままでいなさい、という事かしら?
「わ、わ、わたしは逆だと思います。ラアヒットヒャ様は、サンパギータに宝石を返して祀り、神性に信憑性を持たされると思います」
「……なるほど。しかし、俺の考えが当たるか、ラタの考えが当たるかは、ラジャ次第。どちらも一か八かというわけです」
ロキ様はそう仰って、わたしの髪を一房指で絡め取り弄ばれました。
彼は形の良い唇を皮肉げに歪ませて、苦しげに、けれど少しだけ楽しげに仰りました。
「困ったものです……サンパギータ様は、おそらく語り比べが勝負だと分かっておりませんね? ご自分が勝っても宝石が手に入る事がないと、考えてもおられない。いや、宝石が賭けられている事すら意識されていない。それなのに語りに反応し、ご自身も語って勝負を成り立たせてしまう。俺は早くあの宝石を手に入れたいというのに……」
世の旦那様は、奥方様へこの様にお仕事の愚痴を零されるのかも知れません。
しかし至らないわたしは、慰め励ますどころか、ロキ様のお言葉に怒りが湧いてしまいました。
この方へ怒りを感じるだなんて、と、戸惑いましたが、怒りは鎮まりませんでした。
――ロキ様、あの宝石はサンパギータのものです。
あの宝石は、わたしから離れたサンパギータの待遇や地位をきっと守ってくれる。
サンパギータが待遇や地位に心を動かされなくとも。彼女を取り巻く者達が宝石によって心動かされ、彼女を大切にしてくださるでしょう。それがわたしの願い。
その為には……サンパギータの明るい未来の為には。
サンパギータが迎えるその日と、ロキ様が去るその日を引き延ばしているだけでは駄目だ。
――わたしは、彼に勝たなければいけない。
「どうしましたか、そんな顔をされて」
どこにそんな勇気があったのか、わたしはランタンの淡い灯りを受けて、香るように微笑むロキ様へと、真正面から向き合っていました。
わたしの決意を露とも知らない彼は、無防備に優しく微笑まれています。本当に、言葉を失いそうになるほど麗しい方です。けれど、わたしは言葉を失ってなどいられません。
物語らねば。
ロキ様より多く。
それはロキ様との、決別を意味しました。
けれど、わたしとロキ様の間には、サンパギータが……物語があります。
ですからわたしはロキ様に尋ねました。
「ロキ様」
「はい」
「あなた様は語り部ですね。聞いた物語をお忘れにはなりませんね?」
「もちろんです」
「……サンパギータの語る物語も?」
ロキ様は真面目な顔で頷かれました。
そして、星が瞬くよりも美しく、一つ瞬きをしてお答えになられました。
「特に忘れるはずがありません」
「島へ物語を持って帰られますね?」
「ええ、もちろんです」
どこかでコロコロ蛙が鳴きました。ちゃぷんと水の跳ねる音。
水面に浮く無数の水花と星が、ゆらゆら揺らめいておりました。
*
夜が更け、ロキ様が帰ってしまわれると、わたしは早足に部屋へと戻り、眠るサンパギータの寝顔を覗き込みました。
金を塗したような肌と髪が、僅かな灯りにも煌めいています。珊瑚色の唇には月光のような艶があり、そこから漏れ出る吐息で、わたしは生かされてきました。
わたしがわたしであると証明する、たった一つの拠り所「物語の記憶」の、たった一人の聞き手。
お返しを、あの宝石でしなくてはなりません。
「神々が……『神々が、告げよと仰りますゆえ広めましょう』」
言い慣れた口上が、しっくりきませんでした。こんな事は初めてです。
言葉を出せずにいると、サンパギータが薄く瞳を開いて、わたしを静かに見つめました。その瞳はわたしの夢想の中で、言っています。
―――語り部よ、あなたの口上は?
わたしは込み上げるものを抑えて、微笑みました。
「わたしの……『わたしの女神へ託します』どうか、あの方と共に島へ……」
わたしは囁くように呟き、サンパギータへ物語を語り始めました。
それは物語でしたが、幾つもわたしの欠片を散りばめたものにするつもりでございます。
わたしの事を知りたいと、仰ったので。
決して忘れないと仰ったので。
サンパギータと出逢った後の十年間の事をたくさん物語にしよう。
わたしはわたしの一部を物語にして、ロキ様の島へついて行こうと考えたのでございます。
サンパギータの宝石とは比べものになりませんので、申し訳なさに胸が痛みます。
お怒りになるでしょうか。悲しまれてしまうかも。
それでも、もし。
もし、「こちらの方が良い」と仰っていただけたら、と、夢を見ます。
そうしたらわたしはいよいよ、あなたの愛情を疑わず離別に泣き暮らしましょう。
わたしはそれが幸せです。
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