第22話 ナクサの姫の話
―――贅沢三昧で何もかもを持っていたわ。一日に「もう結構」と、何度言った事か!
お母様は私を溺愛して、なんでも望みを叶えて与えてくれた。
煌めく美しい衣装、床につくほどたっぷりとした色とりどりのヴェール、真珠の髪飾り、金数珠のネックレス、ナヴァラトナ(九つの宝石を連ねたお守り)、秘境に咲く花、喋る真っ白なヲウム、金毛の
中でも特別気に入った贈り物は、とある部屋にある、巨大な鳥かごに入った女の人だった。
お父様がお出かけの時だけ、お母様はその鳥かごのある部屋へ連れて行ってくれた。
鳥かごの中の女の人は、誰とも比べられないほど美しい人だった。初めて見た時、一目で好きになった。
お母様は、その人に会う為には「幾つかの約束」が必要だと私に言った。
お父様には内緒。
お姉様にも内緒。勿論、身の回りの者にも。
そして、その人が何を言ってきても鳥かごの扉を開けないこと。
「どうしてお父様に内緒なの?」
「お父様は、この人を独り占めしたがっているからよ。もしもこの事が知れたら、お父様はこの人を別の場所へ隠してしまうわ」
「どうしてお姉様に内緒なの?」
「お姉様は良い子じゃないからよ」
「あら、お姉様はとっても優しくて良い子よ。お母様はお姉様にどうしていつも辛く当たるの?」
「ああ、あなたこそ、なんて良い子なの……」
「うふ、お母様……ありがとう。ねぇ、でもどうして? どうしてお姉様には、何も贈り物をあげないの? いつも同じサリーを着ているから、綺麗な衣装を贈ってあげて欲しいの……それから、お食事も……お姉様は私より大きいのに、いつも私より小さな食器に少しだけしか食べ物を入れてもらえていないじゃない。どうして? お姉様にも、この人を見せて……」
そこで私は口を噤んだ。
お母様が、私を黙らせたい時や反省させたい時の笑顔を向けていたから。
けれど、お母様からの愛情に自信のあった私は、もう一つ、「どうして」と首を傾げて見せた。
「どうして鳥かごの扉を開けてはいけないの?」
「そうねぇ、この女は……この女は、本当は鳥なのよ……。それをお父様が苦労して捕まえたの。だから、扉を開けて逃がしてしまったら……きっとお父様はあなたをお許しにならないわ」
「……お許しくださらなかったら、私どうなるの?」
「宮殿から捨てられてしまうかもしれないわ。そうなったら、木の割れ目にいる白い幼虫がお食事よ」
「いやよ! お母様、そんな事をしないわね? 言う事を聞きます」
予想外の言葉に、私は震え上がってお母様の手に縋り、お顔を見上げた。
お母様は、あまぁく「ほほほ」と微笑んで、私の手を引き、鳥かごのある部屋を出て振り返ると、部屋の扉が閉まるまで「ほほほ、ほほほほほ」と、笑っていた。
私はお父様がお出かけする時、寂しくて泣いてばかりいたけれど、その時から泣かなくなった。むしろ、お父様のお出かけを楽しみにするようになった。
その人は普段、鳥かごの中に備えられた豪奢な寝台や絨毯の上に虚ろに座っているだけだったけれど、「お話をして」と頼むと、美しい声で喋った。ヲウムなんて比べものにならなかった。見た事も聞いた事もない世界へ、あっという間に連れて行ってくれた。
格子の隙間からお菓子を差し出すとね、儚く微笑んでお礼を言うのよ。
けれど、ほとんど心が夢の中にあるみたい。でもそれがまた、たまらなく素敵だった。たまに出る笑顔を見ると、蕩けそうになるの。
そうなると、お父様が苦労してこの人を捕まえた気持ちがよく分かった。独り占めしたい気持ちも。
お父様がお出かけの多い方で良かった。
私は何度もその人に会いに行きたいとせがみ、「そんなに気に入ったの」と、お母様を呆れさせていた。
私は鳥かごの人に夢中だった。その人は、たくさんお話を聞かせてくれたわ。そのどれもが素晴らしくて……。
けれど、私はどうして人が鳥かごに入れられているのか、という疑問を一切持っていなかったのよ。
・・・・・・・
ある日、お父様がせっかくお出かけをしたのに、お母様の体調が優れないでいた。
「今日は無理よ。熱が出てしまったみたい」
寝台の中で、お母様は呻いていた。
侍女達がせわしなくお世話をしながら、「お医者様が来るのでお姉様と遊んでいるように」と、言って、部屋を追い出されてしまった。
私はむくれて、しばらく出入り口でウロウロしながら、心の中で鳥かごのある部屋までの道筋をなぞった。すると、一人で迷い無く行ける事に気づいたのよ。
――1人で行こう。
その思いつきは、もの凄く私の心を惹き付けた。
胸が高鳴るのを抑えて、お母様の部屋を出た。すると、部屋の外にお姉様がいた。
綺麗な黒髪のお姉様は壁にもたれ下を向いていて、金色の幹に垂れる黒百合の様だった。
お父様譲りの、アメシストの膜を張ったような瞳が、伏せた濃い睫の奥でしっとり光って濡れていた。
お姉様と初めて謁見する者は皆、まだほんの十前後の少女に見とれ、これは幻だろうかと目を擦る。私は、いつか誰かがお姉様をどこかへ連れて行ってしまうのではないかと、心配していた。
お姉様を見ると、胸が甘く痛くなる。誰だって――お母様以外は。
「お姉様、何をしているの?」
声を掛けながら、お姉様のサリーのほつれが目に入った。
そもそも、どうしていつもこの衣装なのだろう?
ヴェールの短さといったら、胸にも届いていない。何故ならそれは、私よりももっと小さな子供用だったから。
けれど指摘するのもいけない気がして、お姉様がしゃべり出すのを待った。
「あの……お母様が心配で……お加減はどうだった?」
「お熱があるようだけど、お医者様もいらっしゃるから大丈夫よ。……お見舞いをしていく?」
私の控えめな誘いに、お姉様は首を横に振る。
「いいえ。きっと余計にご気分が悪くなってしまうから……お加減が大丈夫そうならいいの……」
私は「わかったわ」と、小さく囁き頷いた。
お姉様の言う通りだと、知っていたから……お母様はきっと、お姉様が来たら不機嫌になって酷い言葉を投げるに違いない、と。
その理由を、私はもちろん、お姉様も分からずにいた。
お姉様は長女ですから、厳しく躾をなさっていらっしゃるのでしょう、と、侍女達は言っていたけれど、皆が「度が過ぎている」と感じていたに違いなかった。
踵を返すお姉様の背を、私は追いかけた。
お母様にどんなに冷たくされても、心配して部屋の外で佇むお姉様に、私が優しくしてあげなくてはと思ったから。
だから思わず言ってしまった。
「今から、いいところに行くの。お姉様も来ない?」
* * * * *
語っているのは二十歳前の少女だというのに、瞬きと瞬きの合間に小さな姫君がくるくるとおしゃまな語りをしています。
しかし、その内容はゾッとするものでした。
鳥かごに囚われた女性と、それを捕らえた宮殿の主、そしてそれを愛娘へ密かに見せる妃。姫君は檻に囚われた人をうっとり眺めるのを楽しみとして、何の疑問も持っていなかった……。
荘厳な宮殿や宝石、財宝、珍しい動物―――そんなものはただの前置きだった。
聴衆達は皆、歪んだ悪夢の中で笑う、無邪気な小悪魔を見ている気持ちになっておりました。
私は胸騒ぎが止まりませんでした。
愛しく思った唇が言葉を紡げば紡ぐほど、闇に転がり落ちていく様な心持ちになっていきました。
この話は、これから必ず悪い事が起こる。
けれども聞くのを止められない。
これは物語だと、皆が自分に言い聞かせました。
そして良心がある者は、これが誰の話でもなければいいと思ったに違いありません。
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