魔法の手

「まあ、魔道具の危険性が分かったんならいいよ。もう昼時だし、着替えてお昼にするよ」


 パン、と手を打って深刻な空気を打ち払うと、母は二階を指差した。


「着替え?」

「鼠に群がられたんだろ? ハーブビネガーである程度消毒してるとは言え、完全にはシャットアウトできないからね。明日の仕込みも行わなきゃなんないし」


 それを聞いたカトリシアは、襟元を引っ張りながら上目遣いで窺ってくる。仕方ない、と溜息を吐いたコールは、母にまた頼む事にした。


「まだオーガスティンが慣れないから、手伝ってやってくれ」

「ほんと手がかかるね、早く覚えとくれよ?」

「ご、ごめんなさい……」


 シュンとしながら母についていくカトリシアに、どうやって元気を出してもらおうかと、コールは思いを巡らせるのだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 心配していたものの、彼女は割と早く立ち直ったようだ。正確には、空腹が満たされてから。


「オムスビ、おいしかった! 米を握っただけなのに、不思議ね」

「よかったな」

「朝とは違うスープも……あの緑色のピラピラと、透明で細長いのもキノコかしら?」

「海藻と豆だよ」


 そんな話をしながら村の反対側へ歩いていた二人は、家畜小屋のある家に辿り着く。


「ここは豚飼いやってるんだ。チャーシューを作るための、豚肉を買いに来た」

「豚飼い……」


 ポツリと呟くカトリシアを横目で見ながら、コールは扉を叩く。


「おーい、トム、いつもの頼むわ」

「おう、コールか……どうしたんだ? こんなかわいこちゃん連れて。チャーシュー丸ごと買ってくれるって上客か?」

「新しいバイトだよ」


 コールの紹介に、顔を出したトムは目を丸くする。


「てっきり家族経営でバイトは雇わないもんかと……それとも魔女おばさんが錬金術で造ったんじゃないだろうな。さっき【煉獄】周辺の鼠が一斉にお前ん家向かってったって話だし」

「お前……お袋に殺されても知らねえからな」


 軽口を叩きながらも仕事場に案内し、肉を切り分け始めるトム。お姫様には優しくない光景だからそこで待ってろと言っておいたのだが。


「豚飼いの仕事を、この目で見たいのです」


 真剣な眼差しに何も言えなくなった。思えば豚飼いに扮したロジエルは豚小屋に住んではいたものの、変な玩具を作ってキスをねだった姿しか彼女は知らないのだ。女性に興味を示されるのが珍しいのか、トムはしきりに話しかけていた。


「肉の解体作業なんて残酷だろ。卑しい職業なんて言われてるしさ」

「とんでもない。あなたたちのおかげで、おいしい食事にありつけるのです。豚飼いと、命をいただける豚の皆様に感謝を」

「……変わってんな、お前の彼女」


 どうやら働き出した理由は嫁入りのためだと勘違いさせたらしい。否定するのも面倒なので適当に答えておき、切り分けた肉を受け取った。

 帰り際、興奮した様子でカトリシアが何度もトムの家を振り返る。


「豚飼いって、きつい仕事なのね。手塩にかけて育てた豚さんたちを自分の手で捌くなんて」

「あ、それはここに限った話だぜ。本来は生きたまま買い取ってもらうんだけど、狭い村だから肉屋がなくってさ。

……だから、王子のやってた事を理解するには、あんまり参考になんねえかも」


 コールの答えに、カトリシアは一瞬ビクッと身を震わせる。


「そ、そうなの……別に殿下の事を気にしてるわけじゃないんだけど。純粋に『豚飼い』が何なのか知りたかっただけ」

「ああ、そう」


 思わず固い声色を返してしまい、反省するものの家に着くまでどちらも無言だった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 豚肉を持ち帰ったコールは厨房で早速チャーシュー作りに取りかかる。豚バラのブロックを麺棒で叩いて厚みを調整し、隙間なく巻いて凧糸で結ぶ。カトリシアはそれを興味深く見守っていた。


「何だかハムに似ているわね」

「まあ、家庭ではチャーシューの代わりにハムを載せるのも有りかな。違いはハムは塩漬けの燻製、チャーシューは焼き豚の事だ」

「でも茹でるのね?」


 鍋に巻いた肉と水を入れ、香味野菜を切っていく。豚はとにかく油と臭みが多いので、焼く前に一緒に煮ておく必要があるのだ。試しに使ってみるかと包丁を握らせたところ、あり得ない持ち方をされたのですぐに取り上げた。


「はあ……逆手でまな板に突き立てようとするとか、ないだろ」

「だって使った事なんてないもの。あなただってニンニクを潰すのに横にして使ってたじゃない」


 口を尖らせるカトリシアに、何か適当に仕事を与えないと危険だと判断する。そこで包丁や火以外の手伝いをさせる事にした。ネギを千切って鍋に入れるように言うと首を傾げられる。


「どうしてこれは切らないの?」

「その方が臭みが取れる成分が出るからだよ。豚バラと水、それに他の野菜もいれて――」


 下準備を終えると、コールは鍋を火にかける。厨房にあるかまどは薪だが、何故か摘まみがついていて、捻ると火が点く仕様になっている。これもまた魔道具であり、カトリシアは目を輝かせていた。


「これでキッチンペーパーで落とし蓋をして一時間半くらい。時々灰汁も取るんだ」

「随分時間がかかるのね。そこからさらに焼くんでしょ?」

「旨いチャーシューのためだ、手間くらいかけるさ」


 待っている間、カトリシアに包丁の基本的な使い方を教える。が、食材が悪かった。たくさん切っても困らないからと玉葱を選んだせいで、涙でぐしゃぐしゃになってしまっている。


「う……っ、グスッ」

「ほら、ちゃんと手元を見ろ。猫の手だ」

「無理~」


 そうこうしているうちに茹で上がったチャーシューを焼き、卵と一緒にタレに漬け込む。今日の夕食は薄く切ったチャーシューと味玉、それに茹で汁をベースにしたスープだ。

 一口食べたカトリシアの目は大きく見開かれ、ライスを何度も口に運ぶ。


「おいひい~!」

「半日漬け込んだらもっと旨くなるけどな。ラーメンのトッピングだけじゃなくて、チャーハンにも使えるぞ」


 柔らかい肉の味に感動したカトリシアは、ふと遠い目をする。


「こんなにもおいしいチャーシューを、私を助けるためとは言え無駄にしてしまったのね。豚さんの命をいただいたのに」

「うぐ、そういう事言うなよ……お前だって命かかってたんだから」

「分かってる……ご馳走様でした」


 この店に来てから覚えた、手を合わせる仕種。何となしに見ていると、カトリシアと目が合った。


「コールはすごいわね。あれだけ工程が面倒なチャーシューを作れるんですもの。まるで魔法の手だわ」

「大げさな……親父の方がもっと手際いいよ。最近やっと任せてもらえるようになったんだから」

「でも、コールの作ったものを店に出せるのよね? やっぱりすごいわ!」


 元々は異世界の料理で、父が再現したもの。自分は覚えた通りに作るだけ。全然すごくない……と言いたかったが、キラキラと尊敬の眼差しで見つめられると、否定の言葉も飲み込んでしまった。


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