【豚飼い王子】

 始まりは一年前、カトリシア第一皇女の誕生式典の日。

 招待された来賓の一人、隣国ピグマリオンの王子ロジエルは大変見目麗しい姿で、令嬢たちも浮かれ沸き立っていた。ピグマリオン王国は貧しくはあったが、生き物は動物も植物も強い魔力を保持しているため、他国への贈り物もこの世に二つとない重宝されるべきものとして名を馳せていた。


 そしてロジエル王子は、カトリシアに二つの国宝を贈り求婚してきた。

 一つは父王の墓に四年に一度、たった一輪だけ咲く薔薇。もう一つはこの世のメロディー全てをさえずる事のできるナイチンゲールだった。人々は薔薇の香りや小鳥の声にうっとりしたが、これらが生きているという理由でカトリシアは、贈り物ごとロジエルを拒絶したのだった。


 それからしばらく後、帝国の宮殿に顔が真っ黒な汚らしい青年が雇われる。豚飼いに任命された彼はみすぼらしい小屋で、何かを作り始めた。


 ある時、カトリシアが女官を連れて庭を散歩していると、美しい鈴の音が聞こえてきた。


「あら、この曲は『かわいいオーガスティン』ね。わたくし、これだけはピアノで弾けるの」


 亡き母が愛用していたオルゴールのメロディー。不器用で指一本でしか弾けないけれど、病床の母に聞かせるといつも褒めてくれた……

 懐かしい思いで音の出所を調べさせると、豚飼いが所有する不思議な小鍋だと分かった。煮物を沸騰させると取り付けた鈴が『かわいいオーガスティン』のメロディーを奏で、さらに蒸気からは周辺で作られる料理の匂いがするのだという。


「なんて素晴らしい発明なのかしら。豚飼いなどしているけれど、きっと相当教養があるのね」


 カトリシアは女官を通じて、豚飼いに小鍋を譲ってもらうよう交渉するのだが……


「何ですって、わたくしとのキス十回と交換!? 身の程を弁えない下郎が!」


 怒った彼女はすぐに交渉を取り下げる……が、気が付くと耳が鈴の音を拾ってしまう。夢の中で、母の笑顔と共にあのメロディーに包み込まれ、目覚めと同時に消えてしまう虚しさは彼女を苛んだ。

 あれから職人を探し、同じ物を再現できないかと持ち掛けるも、どういう仕組みなのかも分からないと断られてしまった。そうしているうちに、今度は鈴の音が聞こえなくなった事で不安な気持ちになってくる。まさかあの豚飼い、小鍋を捨ててしまったのだろうか……


 耐え切れなくなったカトリシアは、女官を数名引き連れて豚小屋へ押しかけた。汚らしい場所に顔を顰める者もいたが、気にしてはいられない。


「あなた、近頃は鍋を使っていないようだけれど、廃棄はしていないでしょうね?」

「捨てようが何しようが、あれはおいらの所有物ですよ、皇女殿下」


 ふてぶてしい態度に女官たちはいきり立つが、それを手で制し、カトリシアは真っ直ぐ豚飼いに向き直った。


「では……今ならわたくしが直々に情けをかけてもよいと言ったら?」

「それは、おいらに唇を吸わせてくれるって事で?」


 あからさまな言い方に赤面するカトリシアだが、手元に小鍋がないのなら交渉は決裂だ。しかし隠し持っていたそれをサッと出されては、もう引っ込みがつかない。元より、何としてでも手に入れるつもりだった。


 こうしてカトリシアは十回のキスと引き換えに、念願の小鍋を手に入れた。彼女にとって初めてのキスに思うところがないわけでもない。が、それほどに小鍋に心を奪われてしまったのだと、毎日水を煮立たせながら自分に言い聞かせた。


 またしばらくして、豚飼いの新発明の話を聞き、カトリシアは目を輝かせる。振っただけで、誰でもこの世の全ての楽曲を奏でられるというガラガラの話だ。この世の全て、というところで既視感を覚える。そう、隣国のロジエル王子から贈られたナイチンゲールだ。


(だけど、小鳥なんていつかは死んでしまう。玩具なら……)


 再び交渉に行ったカトリシアだが、対する豚飼いの要求には呆れるしかなかった。


「今度はキス百回だ。一回たりともおまけはできん」

「無礼な! 皇女殿下、このような下郎の戯言になど耳を傾けてはなりません!」

「豚飼い……あなたの技術は大変優秀だと認めます。ならばみすぼらしい豚小屋などではなく、魔道具職人として宮廷に取り立ててもらえるよう、父を説得しますが?」


 ここで、報酬内容を変えるようアプローチしてみるが、豚飼いはがんとして受け入れてくれなかった。一体何故、ここまでして彼は皇女のキスを欲するのだろうか?


「お姫様、勘違いしちゃいけない。おいらが欲しいのは金でも地位でもない。あんたの覚悟だよ。欲しいもののためなら他は全て捨ててでも掴み取る。それくらいでなきゃ、おいらも応えられないね」

「覚悟……」


 彼の言い回しに、要求している『百回のキス』が言葉通りではない事を悟り、さすがに躊躇する。玩具のために、卑しい豚飼いにその身を捧げられるのか。


(だけど――)


「明日、おいらは豚飼いを辞めて故郷へ帰る」

「……えっ?」

「それまでに決めといてくれ」


 低い声色にハッとして顔を上げたカトリシアの前で、小屋の扉はバタンと閉じられた。

 そして、夜が明け――



 次の日の夕方、城を追い出された二人は国境付近の森に停められた馬車を下りて歩いていた。先頭を歩く豚飼いの向かう先は、隣国ピグマリオンだ。

 昨夜、二人の『取り引き』がバレ、激怒した皇帝によって二人は城を追放されていた。カトリシアの手には、『報酬』により入手した小鍋とガラガラしかない。今まで皇女として当たり前のように傅かれてきた彼女は、これからは豚飼いの恩情に縋りながら生きていくしかないのだ。


「もし、あの時」


 国境の門を潜る直前、カトリシアがぽつりと漏らす。


「見目麗しいロジエル殿下の求婚を受けていたら、今頃……」


 そこまで呟いたところ、堪え切れないと言った風に豚飼いが大笑いした。呆気に取られるカトリシアを放置し、先に門を潜った豚飼いがしばらくして戻ってきた時、その姿は輝くばかりに美しくなっていた。顔の黒ずみとぼろ服を脱ぎ捨てた豚飼いの正体は――


「ロジエル、殿下」

「カトリシア、君には失望したよ」


 心底軽蔑するような眼差しで、ロジエルはそう吐き捨てた。


「誠実な王子が愛を込めて贈った美しい薔薇や小鳥には目もくれず、くだらないガラクタのために卑しい男には易々と身を委ねる。物の価値の分からない愚か者には、相応しい末路だと思わないか?」

「……」

「今や君は帝国の皇女なんかじゃない。その手にしたガラクタと同じく、何の価値もない、くだらない女だ。ついてこられても迷惑だから、さっさと立ち去れガラクタ女!」


 どん、と突き飛ばされ、倒れ込んだその隙に、ロジエルは門番に銘じてカトリシアの目の前で国境の門を閉じさせたのだった。


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