危うい経験

 夕食を済ませると全員で後片付けをした。と言っても定休日なので、それほどする事はない。カトリシアは母に教わりながら洗い物をしている。


「泡で手が滑るからしっかり持つんだよ。終わったらシンクの編み籠に入った生ゴミを捨てて」

「どうして排水溝に流してはダメなんですか? ここにも魔法陣が」

「万が一で生き残った鼠の餌になるかもしれないよ。それに何でもかんでも魔界に放る癖がついちまうから、ゴミはこっちで処理するんだ。ほら、最後は水気をしっかり拭き取る」


 二人の会話を聞きながら、コールは先に風呂に入ると声をかけた。カトリシアは先に入りたいだろうとは思っていたが、先ほどのチャーシュー作りの間に聞いた話によれば、湯船に石鹸を入れて体を洗おうとしたので、やりたいなら仕舞い湯でしろと怒られたそうだ……



「ふう……」


 浴槽の中でゆったりと伸びをし、天井を仰ぐ。今日も今までと同じ休日だったが、カトリシアが加わった事で休む暇もなかった。何にでも興味を示す彼女の様子は見ていて飽きないので、疲れが溜まったわけでもないのだが。


「さて、そろそろ上がるか」

「お背中流しましょうか?」

「うわっ!?」


 浴槽から出ようとした瞬間、ガラリと引き戸を開けてカトリシアが入ってきたので、咄嗟に湯船に逆戻りする。彼女は服は着ていたものの、濡らさないよう腕捲りの上にエプロンの紐で裾を絡げていたので、腕と足が剥き出しになっていた。目のやり場に困りつつも、さらにやばい自分の状況にパニックを起こす。


「何やってんだよ、男の入浴中に乱入する奴があるか!」

「でも女将さんが、手伝ってやってくれと……確かに私も今まで体を一人で洗った事はなかったものね。女官たちがしてくれてたような事ならできそうだし」


 カトリシアが自分で体を洗わないのは、彼女が姫だからだ。それにしても母はどういうつもりなのかと頭を抱える。とりあえず何とか宥めすかして浴室……いや、脱衣所からも出て行ってもらわねば。


「浸かる前に洗ったから必要ねえよ。あんたも嫁入り前なんだから、自分の安売りはやめろ」

「あら、女将さんの言う通りね。だけど私、もう経験も豊富だから殿方の裸なんてどうって事ないの。だから今更お嫁に行けるかどうかなんて、気にしたって仕方ないじゃない?」


(言う通りって、なに言ったんだよお袋!? 一晩遊ばれた程度じゃ経験豊富とは言えねえだろ!

……ああもう、こっちは男だし別に減りはしないか)


 自棄なのか本気なのか危うい考えに振り回されっぱなしだが、ならばもう一度痛い目見た方がいいかとコールは心に決める。出来るだけ平静を装って浴槽から上がると、鏡の前のバスチェアに腰を下ろすと、その間カトリシアは言葉を失っていた。お互い無言の中、息を飲む音が響く。


「どうした、背中流してくれるんじゃないのか? しないなら邪魔だから出てって欲しいんだけど」

「や、やるわよ……」


 震え声で石鹸を持ってきたタオルで泡立たせると、カトリシアの手がコールの背中にかかった。まるで羽で撫でられているかのように弱い力なので、擽ったさに身を捩りそうになる。曇り防止の処理をした鏡には、頬を真っ赤に染めた彼女が映っていた。


(思えば、王子は姫に正体がバレているのを知らなかった。だったら『記号』となる豚飼いの格好を脱ぎ捨てて、彼女に全てを晒したりするか? この様子を見る限りでは……)


 どうせ男を知ったのなら、隠すだけ無駄だと開き直ってはみたものの。カトリシアの初心な反応に、早まったかと後悔する。どうやら自分で思っていたよりも、「経験豊富」発言に煽られてしまったらしい。

 とは言え今更引っ込みもつかず、今は一刻も早く終わるのを願いつつも、時々洗面器で水を胸側にかけながら耐えたのだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


 拷問のような入浴から解放されて、コールはげっそりしながらも部屋で布団を敷いていた。

 今朝のカトリシアの寝坊を思えば、もう少し離した方がいいか、むしろ何で並べる必要が? などと考えているところに、当の本人がノックをして入ってきた。何気なくそちらを見遣ったコールが持っていた掛布団が落ちる。


「お前……っ、何だよその格好は!?」

「お、女将さんの若い頃の寝間着だって……似合わなかった?」

「似合う似合わないじゃない! どういう風に見られるのか自分でも分かってんだろ!?」


 最後は最早悲鳴に近い。

 フリルたっぷりで可愛らしいデザインだが袖はなく肩が露出している。丈は膝までしかなく、剥き出しの足を少しでも隠そうと何度も裾を引っ張る仕種がやたら目についた。母が若い頃、こんな攻めた格好で何をしていたのかなんて想像したくもない。


「恥ずかしいなら着るなよ。今すぐ脱げって」

「脱……っ」

「違、そういう意味じゃない! これ着てろ」


 箪笥から予備の寝間着を投げつけると、荒々しくドアを開けたコールは即座に母の姿を探した。



「どういうつもりだよ!? さっきから誘うような事ばっかりさせて」

「いやだねぇ、女が恥を忍んで来てるってのに、据え膳食う甲斐性もないなんて。我が息子ながら情けなくて泣けてくるよ」


 詰め寄られても楽しそうな母の様子にコールはイラっとくる。


「あいつは捨てられたばかりで傷付いてんだぞ」

「失恋の傷を癒すには次に行くのが最も手っ取り早いだろ。幸い、あの子はあんたに恩を感じてる」

「弱みに付け込んだらそれこそクズ王子と同類だろ」


 昨日からやたらカトリシアに対してあたりがきついと思っていたら、呆れた事に嫁候補として試していたらしい。が、コールとしては恩に着せて無理強いはしたくない。そんな事のために助けたわけじゃないのだ。


「そうは言っても、あんただって憎からず思ってるんだろ? 実際のところ、どうなんだい」

「……育ちの割に、根性はあると思う。けど、危なっかしくて見てられない。自分の価値を見誤ってる」


 王子に捨てられたのも、玩具のためにどんな男とも平気で寝る女と見られたためだ。帝国の姫としての地位も貞操も、くだらないもののために捨てられるのだと。本人の中では譲れない優先順位があるのだろうが。


(もう皇族じゃないんだからそこは自己責任だけど……)


「今日一日見て、あの子が素直なのは分かった。限度ってもんはあるけどね……そこがほっとけないんだろ? だったらあんたが仕込んでやればいい」

「仕込むって……とにかく俺からは何もしねえから!」


 声に苛立ちをぶつけながら、コールは部屋へと戻っていった。

 彼もカトリシアに対し、何とも思っていないわけではない。ただ少なくとも、彼女の中に今なお居座る存在を超えられるようになるまでは、それを伝える気にはなれなかった。


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