思いがけない援軍

 マクルの宣言に、衝撃を受けたのはロジエルだけではなかった。コールとカトリシアもだ。

 ロジエルは一国の王子であり、個人の感情のために国民を見捨てられるわけがない。それが分かっていて、容赦なく理不尽な二択を取らせる鬼畜っぷりを見せつけるマクル。


「そんなの、選べるはずが……」


【何故だ? 本当にカトリシアを愛しているのなら、国土も人々も全て捨て去り、一平民として共に生きる覚悟もできよう。真似事とは言え、豚飼いもこなしたお主ならな】


 扇で窓の外を指し示す仕種からは、その気になれば一瞬で国を消し去る意図が感じられた。無論、脅しているに過ぎないのだが、ロジエルからすれば、どこまでが本気なのかも分からない。悔しそうに歯噛みしながら、マクルを睨み付けるだけだ。


「……ちなみに、カトリシアを手に入れればどうするつもりだ?」

【男に酷い目に遭わされて、すっかり幻滅しているようだからな。これから我が住処に連れ帰り、じっくり愛の素晴らしさをその身に教え込んでやるつもりだ。もう二度と、くだらん男に興味を持たなくなるほどにな】


(息子の事、忘れてないか。このオバハン)


 じとっとコールから物言いたげな視線を感じるもさらりと無視し、マクルの指がカトリシアの髪にかかる。思わず一歩踏み出しかけたロジエルだったが。


「殿下、選択を誤ってはなりません。価値観の相容れぬガラクタ女の私と国民、どちらがあなたにとって尊き国の宝なのかは自明ではありませんか。これ以上、ヘンリー様やイライザ様を困らせてはなりません」

「カトリシア……しかし、私は」

「ロジエル殿下のお気持ちは分かりました。けれど私がそれを受け入れるには、タイミングが遅過ぎたのです。あの時、私の事を見捨てずに連れて行ってくれていたら……」


 それは、心の奥底でずっと繰り返し続けていた後悔。ロジエルは初めて、あの時の軽率な報復を悔いた。何の価値もないと決め付けて捨てた女から、逆に捨てられた瞬間だった。


「カトリシア、私が悪かった……許して、やり直す事はできないだろうか?」

「許すのは構いませんが、もうあなたに何を贈られようと、二度と心が動く事はないでしょう」


 バッサリ切り捨てられ、ロジエルは地に伏してしまう。行かないでくれとみっともなく縋り付く事も考えたが、そうなればあの魔女が国民を盾に何をしでかすか分からない。彼の動きは完全に封じられた。


【答えは出たようだな。では麗しき姫君よ、安心して妾にその身を委ね……ギャアアアアッ!!】


 カトリシアの頬に指をかけ、唇を重ねようとしたマクルだったが、突如として悲鳴を上げる。その手は、焦げたように黒く変色していた。


【そ、それは『聖なる指輪』!? おのれ、既に真実の愛で結ばれていたとは……仕方がない、その指輪をしている限り、お主には手を出さないでおいてやる。ただし、二人が離れ離れになるような事があれば再び攫いに来るからな!】


 大仰な捨て台詞でカトリシアを指差すと、マクルは黒い霧となって消え去ってしまった。


 マクルが消えた後も、人々はしばらく動く事も出来なかった。が、真っ先に我に返ったコールはカトリシアの手を引く。


「行くぞ」

「あ、うん!」

「待て、行かせない!!」


 反対側の手をロジエルに掴まれ、カトリシアは小さく悲鳴を上げる。


「カトリシアは私の花嫁だ! 魔空姫が消えた今、憂いは貴様しかいない。衛兵、こいつを牢にぶち込め!!」

「話聞いてなかったのか? お姫さんはお前の事なんて何とも思ってないってよ。それに俺たちを引き離せば、あいつがまた来るぞ」

「引き離す必要はない……同じ城内に居させてやるさ。二度と会わせるつもりはないがな。全く、懲りずにガラクタを選んでしまって……こうなれば私以外の男など不要だと思えるまで閉じ込めて、可愛がってやらねばな」


 狂気の宿る目を向けられ、カトリシアが青褪める。露出した肌にプツプツと鳥肌が出たところを見ると、相当な嫌悪感を抱いている。これには皇帝も激怒して詰め寄ろうとした。が、兵士たちに止められてしまう。


「貴様、同盟はどうなってもよいのか!?」

「それを言える資格があるのですか、皇帝陛下……あなたが娘を捨てたのは事実で、カトリシアもそう認識している。一方で、私とカトリシアが関係を持ったのもまた事実だ。ここには記者たちもいるが……どのように私たちが愛し合ったのか、具体的に広めてもいいのですよ」


 皇帝の意を汲まずに国境を越えさせなかったのはロジエルだが、相手の罪悪感につけ込み責任転嫁を謀る。皇帝もこんな小国の戯言など聞くに値しないが、兵士に取り囲まれては自身が人質になっているようなものだ。

 これに焦ったのはヘンリーだった。帝国と事を構えるなど自殺行為でしかない。


「殿下、お気を確かに! たかが小娘一匹のために帝国と戦争を起こす気ですか!?」

「黙れ、ヘンリー! 戦争? 何を言っている。カトリシアが私のものになれば、全ては丸く収まる事だ。ああそうだ、最初から私の手を取っていれば……来い、カトリシア!!」

「痛いっ!!」


 強く手を引っ張られて顔を顰めるカトリシアに、コールは手を放さざるを得ない。だからと言って大人しく引き下がる気は全くなく、彼は皇帝を振り仰ぐ。


「皇帝陛下。あのバカ王子の暴走を止めたら、俺に皇女殿下をいただけませんか?」

「何をバカな……いや、しかし」

「御息女を追放した過ちを悔いておられるのでしょう? ですが時計の針は戻らない……皇女殿下ももう子供ではないのです。ご自身の幸せぐらい、とっくに見つけています」


 こんな土壇場の説得で聞き入れられるとは思っていないし、問答無用でさっさと消えてしまってもよかった。それでも一応は帝国の民として、そしてカトリシアの将来の夫として声をかけておきたかったのだ。


 兵士たちがコールを取り押さえようと距離を詰めてくる。迷っている時間はないと悟った皇帝は俯き、絞り出すような声で小さく「……頼む」とだけ呟いた。


 その瞬間、コールはホルンに飛び乗り、周囲の敵を蹴散らしてロジエルたちの前に躍り出る。警戒して護衛に守らせる彼にそれ以上近付く事はせず、例によっておかもちの蓋を開けた。


「忘れもんだぜ、王子さん。ほら、返すから受け取りな」


 コールは天に掲げたガラガラを力の限り振った。


 ピーヒョロロロロ~……


 空中で弧を描いて飛んでいくガラガラは、およそ似つかわしくない笛のような音を鳴らしながらロジエルの手に収まった。もう片方の手で掴んでいるカトリシアが、真っ青な顔で震えているのに気付く。自分の言動にドン引きしている時とは違う、もっと生理的なものだ。


「カトリシア? どうし……」


 ロジエルの問いかけは続かなかった。天井から、ドドドド……と音が鳴り響いている。何かが、こちらへ押し寄せてきている……それを察したイライザが、来賓にローブを素早く配り歩いた。彼女自身もまた同じものを着込んでいる。


「何をしている!」

「あ、殿下も備えなければ危険ですよ」

「だから」


 何が、と身構えるロジエルの耳に、誰かの「鼠だ!」という叫びが飛び込んできた。


「うわっ、何だこの大群! 一体どこから……」


 それはまるで、地獄絵図だった。

 ドアの隙間から、窓から、天井から……おびただしい数の鼠たちが、一斉にロジエルに向かってくるではないか。正確には彼が手にしているガラガラに引き寄せられているのだが、製作者でありながらロジエルは知る由もない。


「いやあああっ!!」


 金切り声を上げたカトリシアが、ドンとロジエルを思いっきり突き飛ばした。その拍子に、油断していた彼の手が外れる。


「オーガスティン、来い!!」


 ホルンに跨ったコールがカトリシアの手を掴み、引き上げて後ろに乗せる。カトリシアは今度こそ離れないよう、力いっぱいコールに抱き着いた。


「待て、行くな!! うわっ」


 後を追おうとしたロジエルだが、群がってきた鼠に阻まれてしまう。また、王子を救出しようと駆け寄った兵士たちも邪魔になった。


「お前たち、そこをどけ!! 戻ってこい、カトリシア――!!」


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