魔界の赤いドラゴン④
「コール、大丈夫!?」
腰を抜かしていたカトリシアは、黒山羊が気絶したのを確認するとすぐにコールに駆け寄ってきた。必死だったから忘れていた痛みを思い出し、コールはあばらの具合を確認しながら顔を歪める。
「いって……けどまあ、魔界の魔物でこれぐらいで済めばいい方か」
「無茶しないで……ごめんなさい、私の我儘のせいで」
ポタッと、彼女の目から涙が零れ落ちる。カトリシアの手が頬に触れただけで、痩せ我慢ができるのだから現金なものだ。このまますぐに家に戻れば母が回復してくれるという余裕があってこそだが。
ここで「そんな事ない」と言うのは簡単だったが、彼女の好奇心が一度や二度痛い目に遭ったところでなくならないのは予想できたので、敢えて厳しく言っておく。
「そうだな、さすがにお前にも魔界の恐ろしさが身に染みただろ。俺がおとぎ話の王子様とは違うって事も……」
「バカッ」
ベシン、と胸を叩かれ、非力でも傷に響いた一撃に呻き声を上げてしまう。
その時、黒山羊がゆっくりと起き上がり、こちらを見た。角ももう一本残っていて、非常にまずい状況だ。コールはよろけながらもカトリシアを後ろに庇う。だが――
「うわっ! 何だこいつ、よせって!」
「メエ~♪」
山羊はいきなり飛びかかったと思うと、コールを押し倒して顔をペロペロ舐め回し始めた。ぽかんと様子を見守っていたカトリシアは、やがて納得したのか、ポンと手を打つ。
「コール、ひょっとして自分を倒したあなたに感服したから、家来になりたいんじゃない?」
「はあ? 魔物がか!?」
「メエ~♪」
顔を上げ、カトリシアの方を向くと、肯定するように何度も首を縦に振る山羊。人間の言葉が分かるようだ。一方でコールは何故こうなったのか、わけが分からない。何とか倒したものの自分はいっぱしの冒険者ではないのだし、魔王の子孫である事も知られてはいないだろう。
「ほら、さっき赤いドラゴンの鱗を被っちゃったでしょ? 畏怖すべき神様の眷属だと思われたのかも」
「マジかよ……」
疑わしそうに見遣るが、山羊はすっかり懐いてしまったようで、追っ払っても嬉しそうに後をついてきて、頬をすり寄せてくる。驚くべきは、次元の裂け目で引き離したと思っても、次の魔法陣の地点で当たり前のように待っている事だ。これはもう、仲間認定されてしまったのだろう。
「まずいな……このまま地上までついて来られても家じゃ飼えねぇよ」
「とりあえず、女将さんに相談しましょう」
こうして新たな同行者に困惑しつつ、コールたちは魔界からの帰路についたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「この、バカ息子!!」
帰ってきた彼らを仁王立ちで待ち構えていた母は、正座させたコールに拳骨を食らわせていた。その剣幕に正体を察したのか、ついてきた山羊もコールの後ろで縮こまっている。
「いってぇ……お袋、説教の前にとりあえず回復を……」
「回復の前に説教だよ、バカ。オーガスティンと魔界でデートなんて、なに考えてんだい」
「デートじゃないって! それに、どこに行くのか分かってたんじゃないのかよ?」
痛みを堪えながら抗議すれば、母の視線はカトリシアの方を向く。無理を言ってコールに道案内させたのは自分だ。そう弁解したいのだが、口を挟む隙が見当たらない。
「オーガスティンを魔物から守ったのはまあ、褒めてもいいけど。その倒した魔界山羊まで連れてきちまうとは思わないだろう?」
「そうなんだよ、いくら引き離してもこうしてついてきちまうし……どうしたもんか」
「メエ~♪」
目が合うと山羊は嬉しそうに頬擦りをしてくる。最初は倒された相手への服従だったのだろうが、今では離れようとすると捨てられた仔犬のような目で訴えてくるのだ……山羊なのだが。
「いっそ大人しくしてるうちに、鍋にしちまうかい?」
「メエッ!?」
「だっ、ダメです! 女将さん、山羊がコールに懐いたのは、赤いドラゴンの鱗が服についた状態で戦ったせいだと思います」
怯える山羊を庇いながらカトリシアが説明すると、しばらく考え込んだ後に母は提案した。
「もし飼うつもりがあるのならコール、あんたが小屋と名前を与えておやり。それと、オーガスティンはこいつが人を襲わない方法を考えるんだ」
「私が……ですか?」
「引き取るなら、責任ってもんを負わなきゃならない。特に生き物はね……やれやれ、うちのバカは変なのばっかり拾ってきて!」
母は首を振りつつ、すたすたと奥に引っ込んでしまった。父は黙って昼食を用意してくれている。顔を見合わせた二人は、このままこうしていても仕方がないと立ち上がり、席についたのだった。
そしてコールは大工から分けてもらった木材と藁で、日が暮れるまで山羊小屋作りに勤しんだ。カトリシアに赤いドラゴンを見せるだけのはずが、意外な手土産ができてしまった……念のために服は鱗がついたままなのだが、早いとこ名前を考えて、契約しなければならない。魔物を仲間にするとは、魂を縛る事でもある。
「何だかなあ……」
「メエ~」
「なに腐ってるの、コール」
ようやく完成した小屋を前に溜息を吐いていると、カトリシアが夕食ができたと呼びにきた。その首には、赤いチョーカーらしきものが着けられて……いや、よく見ると首輪だった。
「どうしたんだ、それ?」
「村の革細工職人さんに頼んで作ってもらった首輪に、赤いドラゴンの鱗を貼り付けたのよ。コールは眷属としてこの子を倒したんだから、身に着けていれば仲間だと思ってもらえるんじゃない? えーっと……」
「名前か? 『
散々考えたが、結局シンプルな名前にした。一本ぶち折っておいて皮肉ではあるが。カトリシアはかがんでホルンに首輪を見せる。
「よろしくねホルン。これ、どぉ?」
「メエ~?」
ホルンは首を傾げながら首輪の匂いを嗅いでいたが、やがて受け入れたのか、カトリシアの頬をペロリと舐めた。
「家族分作ったのよ。コールにも着けてあげる」
「お、おい……自分でやるよ」
と言うか、ホルンではなく人間が着けるのか。戸惑う間もなく、カトリシアに正面から首輪を着けられる。傍目からはさぞ背徳感に満ちた構図に見えるだろう。
(ち、近いって!!)
カトリシアの髪が顔にかかりそうになり、くらくらする。理性を総動員していると、ようやく離れてくれてホッとする……残念な気持ちもあるが。
「えへへ……お揃いだね」
「オーガスティン……」
嬉しそうな笑顔にキュンときて、思わず抱きしめそうになる。が、次の瞬間、伸ばしかけた手が止まった。
「まあ指輪とかは柄じゃないから、私たちはこのくらいでいいのかも」
「……」
「どうしたの、コール?」
首を傾げるカトリシアに「何でもない」と素っ気なく答えると、コールはホルンを小屋に入れて戸を閉め、一人でさっさと屋内に入ってしまった。
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