魔界の赤いドラゴン③

「いたたたた……」


 転がったオムスビを追いかけて、カトリシアは穴に落ちてしまった。どうやら大木の根が朽ちた後にできた空洞らしく、見上げれば高さもそれほどではない。


「痛いのは俺なんだけど……つーか、重い」

「えっ? ご、ごめんなさい!」


 コールを下敷きにしていた事に気付き、慌てて飛び退くカトリシア。落ちる瞬間、彼は咄嗟に体を反転させてカトリシアを庇ったのだ。


「確かに太ったかも……近頃、コールのチャーシュー作りに協力してよく味見もしてたし」

「本気に取るなよ」


 何気に重いと言われたのを根に持っている事に苦笑すると、コールは立ち上がり、服をパンパン叩く。赤いキラキラした何かが零れ落ちる。よく見たら、カトリシアにも同じものが体中にくっついていた。地面も壁も砕けた宝石を塗したように、赤くチカチカしている。


「何この赤いの……まさか、さっきの瘴気の結晶!?」


 さっと青褪めるカトリシアを安心させるように、コールは笑いながら首を振る。


「違う違う、これは鱗だよ。の」


 言われて彼女の視線がコールの指差す方を向いた途端……。違う、壁だと思っていたごつごつした赤い何かだ。どうやら閉じられた狭い空間ではなく、奥にはさらに深い深い空洞だったようだ。そしてそこから自分たちを覗き込んでいたのは――


「赤い、ドラゴン……」


 何歩か下がると、その全体像が視界に収まる。こんな巨大な生物が、この世に存在するなんて。呆然とするカトリシアは、満月のような金色の瞳を向けられ「ひっ」と喉から悲鳴を漏らしてコールにしがみついた。彼としては嬉しいが、怯え続けさせるのも気の毒だ。


「ほら、見たかったんだろ? お望みの神様だよ……やっぱり怖いか?」

「怖い。……でも、何だろう」


 コールの手を握ったまま、震えながらも一歩ずつ奥深い穴底へ近付いていく。恐ろしさはあるものの、それは敵を前にした命の危険に対するものではない。圧倒的な存在への、畏怖と言えばいいのか。


「帝国の始祖が神としたのは、幻影だけれど。このドラゴンこそが私たちの信仰なのだと、そう思えるのよね」


 生きた伝説との、邂逅。それを可能にするのが魔界なのだと、カトリシアは実感する。人々の信仰が、想いが魔界で赤いドラゴンを生み出したのだとしたら。


「コール、やっぱりあなたもそうなのかもしれないわ」

「……? 何の事だよ」

「私が望んだから、あなたと出会えたんだって事」


 彼女の言い分によれば、あの日襲われていたところを助けた自分は、魔界が生み出した救世主らしい。そんなロマンティックな存在なら、もう少しかっこいいはずだろう……そう笑い飛ばしてもよかった、のに。


「恥ずかしい奴だな……」


 ひたすら擽ったくて、憎まれ口を叩きながら彼女の笑顔から目を逸らす事しかできなかった。


 目標を達成したので、いつまでも留まらずにすぐ地上に戻らねばならない。だと言うのにカトリシアは、空いたクーラーボックスに赤い粒々――岩肌で擦れ落ちたドラゴンの鱗――を拾って詰めていた。


「そんなの持ち帰ってどうするつもりだ?」

「何かに使えないかと思って」


 生きた伝説を目にして、命あるものを見直したカトリシアだったが、ガラクタ収集癖は相変わらずだったようだ。やれやれと呆れながらも帰還を促すコールに手を引かれながら、カトリシアは後ろでじっと見送っているドラゴンを見遣る。


「さようなら、神様……これからは夕日を見る度に思い出すわ。今日、ここで会った日の事を……」


 魔界のドラゴンは、本当にドラコニア帝国の祈りが生み出した神なのだろうか? だが少なくとも、カトリシアはそう信じると決めたようだった。同時にコールは、彼女から言われていた事も思い出す。


『あると言えばあるし、ないと言えばない。才能だってそうよ、自分があるんだって強く信じたなら、きっと何かを生み出せるって』


 今まで自信がないせいで、才能なんてないと思っていた。けれどカトリシアが信じてくれるなら、コールもきっと自分を――


「コール!」

「えっ? ……やべっ」


 考え事をしながら歩いていたら、ダンジョン付近で魔物に見つかってしまった。一見普通の黒山羊だが、その目は爛々として血のように赤く、こちらを攻撃しようと地面を足で掻いて威嚇している。急いでダンジョンに飛び込み、次元の裂け目を目指すが、恐るべき速さであっと言う間に距離を詰められ、激突した勢いでコールは吹っ飛ばされてしまった。


「うぐっ!」

「コール!!」


 咄嗟にカトリシアを突き飛ばしたので、彼女が巻き込まれる事を避けられたが、ダメージを負い動けないコールよりも、震えてはいるが無傷のカトリシアに狙いが定められている。


「かはっ、逃げ……ろ……」

「こ、腰が抜けて……」


 クーラーボックスが開いた拍子にドラゴンの鱗に塗れてしまったが、気にしている場合じゃない。カトリシアはショルダーバッグを掴み、中身を投げつけて山羊を近付けないようにしているが、敵はあまり怯む様子がない。ハーブビネガーも魔除けの効果はあるが、生きた魔物を倒すためのものではないのだ。


 カラン……


 万策尽きて、振り回したバッグの中からこちらに転がり落ちてきたのは、何故か鋸包丁。


(お袋……何でこんなものを? いや、考えている場合じゃない)


 痛みを堪えて立ち上がり、今にも襲いかかろうとする黒山羊に背後から飛び掛かると、脳天を柄の部分で思いっきり殴りつけた。


「グオオッ」


 凄まじい咆哮が上がり振り落とされそうになるが、コールは角にしがみついき、必死にコントロールしてカトリシアから向きを変えさせた。こういう角の生えた魔物は、切ってしまえば戦意を喪失させられる。が、剣を一閃させて角を切り落とすなど、戦士でもないコールには不可能。ましてや調理用の包丁では……


「いや……ここは魔界で、お袋が持たせてくれた包丁だ。信じれば、できる!!」


 鋸部分を角に当て、コールは足を絡ませ山羊に捕まりながら、ゴリゴリ角を削り始めた。何度も振り切って壁に叩き付けようと、山羊はめちゃくちゃに暴れ回るが、激突する直前に飛び降りて回避し、再び突進してきたところを掴んで跨り……を繰り返すうち、ついに――


 ボキンッ


 鋸を引き続けたおかげか、自分から何度も壁に激突したせいか。魔界山羊の角の一本はポッキリ折れた。そしてスタミナ切れで泡を吹きながらバタンと倒れてしまったのだ。


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