カトリシア視点④

「カトリシア!!」

「おねーさま!」


 ピグマリオン城で過ごすようになって三週間目、そして最後にその顔を見てから約二ヶ月、カトリシアは家族との再会を果たしていた。目的が一週間後に行われるロジエルとの結婚式のための滞在なのが何とも言えないが。


 それでもカトリシアは、久々となる抱擁と涙に、父がどれだけ自分の行いを悔いていたのかを知る。城にいた頃はどう接すればいいのか分からなかったルクスにも、随分寂しい思いをさせてしまった。思えば自分の事ばかりで、たくさんの人に迷惑をかけてしまった事だろう……それは恐らく、これからも。


「冷酷な判断でそなたを豚飼いと共に放り出した事、さぞ恨んでおろう……だが余とて、本当に卑しい男であれば同行など許さなかった。慣れない下働きなど辛い思いをしただろうが、贈られた宝を蔑ろにするとはそれだけ罪深い事なのだ。むしろこれで手打ちとして引き取ってくれた事に感謝せねば……っく」


 言い聞かせる皇帝だったが、自分で言っていて納得しかねるのが表情から出ていた。娘を騙して豚飼いと通じた姫君なる汚名を着せたかと思えば、国境で放り出したと見せかけてこっそり回収しメイドとして働かせる。いくら意趣返しのためとは言え、何がしたいのか散々振り回されたこちらとしては腹に据えかねる。


「……とは言え、孫の顔の一つでも見れば最終的には絆されるのが目に見えている。言いたい事はあるが、まずはそなた一人の体ではない事を自覚せよ。少し痩せたようだからな」

「……」


 行方不明になっていた姫がピグマリオン城で保護され、王子と愛を育んでいた――なんて、真実であればロマンティックな美談なのだろうが、生憎そうではない。だとしても、今それを指摘したところで意味がない。このスピード婚は、カトリシアの醜聞を闇に葬るための儀式なのだから。


「おねーさま、からだ悪いの? 痛くない?」


 ルクスが心配そうに尋ねてくる。一応、カトリシアはロジエルの子を妊娠した……という事になっている。もしかしたら父も、それが医師を巻き込んだ茶番であると気付いているのかもしれないが。いずれにせよ、行為自体は嘘でもないのが厄介だった。

 実際にはカトリシアは妊娠などしていないし、囚われてからは行為も不可能になっているし、そもそも愛し合ってすらいない。痩せたのは数日の牢獄生活とハンガーストライキ、それにロジエルから無理やり食べさせられた事によるストレスだった。その辺り、幼くて純粋な弟に色んな意味で答え辛かったが、カトリシアはひたすら貝のように口を閉じている。


「そう言えばつかぬ事を聞くが、そなた母親の寝室に……いや変な事を聞いたな、忘れてくれ。その頃は既にピグマリオン王国にいたはず」

「……」

「少しは話さぬか。余を許したくなくばそれでもよいが、王子妃ともなれば気軽に会えなくなるのだぞ」

「……」


 笑顔を貼り付けたまま、カトリシアは口元が引きつりそうになっていた。彼女とて、これが最後ならば本心を打ち明けたい。本当は今までどうしていたのか、今はロジエルをどう思っているのか……そして、誰を愛しているのかも。


 だが部屋の隅には、ヘンリーがこちらの一挙一投足を見逃すまいと監視している。何かあれば貞操はともかく、『赤龍の首輪』に引っ掛からない程度の事はされるだろう……少し触れられただけでじんましんが出るのだから、おぞましさでショック死しかねない。


(チャンスは結婚式当日……)


 先日、二人きりになった隙をついて、イライザから『しがないラーメン屋』の伝言をもらった。


『ぎりぎりまで信じて待っていてくれ』


(コールに届いた……必ずここに、助けに来てくれる!)


 喜びが態度に出ればロジエルにバレると、カトリシアは緩みそうになる頬を必死で引き締める。イライザの提案で、当日までは彼の機嫌を損ねる事なく大人しく過ごしている。ロジエルの方も、無理強いすれば体に出てしまうので、あれから過度な接触は控えている。ただし、式さえ終われば箍を外すのに遠慮はしないだろう。


 良くも悪くもあと一週間で、全てが引っ繰り返される。あれだけ嫌がっていた結婚式も、カトリシアの中では指折り残りを数えるほど待ち遠しくなっていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


 その日の朝、国中に知らされた御触れの内容は、ピグマリオン王国民にとって寝耳に水だった。


 王子ロジエルと、隣国ドラコニア帝国第一皇女カトリシアの婚姻の儀が本日行われる――それまでの共通認識として、ロジエルはカトリシアに一目惚れし、求婚に行ったが玉砕してしばらく傷心の旅に出ていたが、やがて吹っ切って帰国した後は国内で婚約者を募っていた……というものだった。

 ロジエルの父が崩御してからは弟の大公が代行代理となったが、本人曰くあくまで暫定であり、ロジエルが妃を迎え入れれば近日中に譲位するという宣言が事前にされていた。

 つまり今回の式典は、王子の結婚と同時に新国王の即位を示すものなのだ。


「準備は終わったか、カトリシア……おお、美しいな」


 花嫁の様子を見に来たロジエルは、ウェディングドレス姿のカトリシアを見て感嘆の声を上げる。傍らで手伝っていたイライザが入れ替わるようにそそくさと退室しても目もくれない。

 ここに来た頃は何かと反抗的だった彼女も、今や全てを受け入れたのか、何の表情も浮かべていなかった。ただ、至近距離から見れば濃い化粧の下にポツポツと拒絶の証が出ているのが分かる。『赤龍の首輪』も取れなかったので、上から何十ものリボンを巻き付けて誤魔化していた。


「式を終えればいよいよ君を私のものにできる……魔女にかけられた姫の呪いが王子のキスで解けるとは、おとぎ話もかくやだな」

「……」

「心までは渡さない、とでも言いたげだな。だが、私も鬼ではない。正式な夫婦となった暁には、君好みの玩具でも何でも好きなだけ与えてやろうじゃないか。その前に、これを……」


 無言を貫いていたカトリシアは、ロジエルから差し出された小箱を見て目を見開いた。眩いまでにキラキラと輝く、指輪の先にある宝石は――


「ダイヤモンド……」

「おや、さすがの君もだんまりを続けられなくなったか。やはり最高峰の宝石はどんな女性であれ、心を奪ってしまうようだね。これはガラガラや小鍋など比べ物にならない値打ちがあり、君の望んだ永遠に変わらないものだ。二人の門出として、これ以上相応しいものはあるまい?」


『そんなバカ高いの買えるか!』


 コールと街へ赴いた時に、彼が露店の小さな指輪を勧められ怒鳴っていた事を思い出す。カトリシアにアクセサリーもまともに買ってやれない自分を恥じていたが、あの時の彼女には既に、悟った事実があった。形あるものはいずれ失われる……だからこそ、尊いのだと。

 ロジエルは微妙な反応をするカトリシアに舌打ちすると、引き寄せてキスをしようとする。カトリシアは咄嗟に手で唇を塞ぐが、眉間に皺が寄ったのを見て、一応最後にフォローを入れておいた。


「この首輪をしている間は、下手な事をすれば双方の体に深刻なダメージを及ぼします。式が終わるまでしばしお待ちを」

「ふん、少しは殊勝な気遣いもできるようになったじゃないか。まったく、忌々しい首輪だ……一刻も早く君の所有権を私のものにしなくては」


 ロジエルにとっては、雷もじんましんも呪いという事になっていた。カトリシアが否定しないので誘導する形になったが、過度に触れられずに済んだのもこの勘違いのおかげである。


 そして二人にとって生涯忘れられない瞬間が、刻一刻と迫りつつあった。


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