カトリシア視点③

 目が覚めるとそこは牢の中ではなく、カトリシアはふかふかのベッドで寝かされていた。体は清められ、清潔なネグリジェを着せられている。

 一瞬、これは夢かと寝直そうとして……突如現状を把握して飛び起きた。が、急激な眩暈に再びベッドに倒れてしまう。


(ここってもしかして、ロジエル殿下の部屋!? 私、意識を失っている間に連れて来られたの……?)


「起きたか」


 くらくらする頭を抱え呻いていると、ドアが開いてロジエルが入室してくる。咄嗟に毛布を握りしめ、ベッド端まで後退りするカトリシア。警戒心剥き出しの彼女に、ロジエルは苦笑した。


「部下のヘンリーがすまなかったな……独断で行った事だが、あれも私への忠誠心の高さ故だ。許せよ」


 ぬけぬけと言い放つが、つまりはロジエルの意を汲んだ上での行動だ。カトリシアは嫌味なまでに淑女の笑みを顔に貼り付けてみせる。


「分かりました。彼許します……ところでここは、殿下の寝室でしょうか?」

「王族がこんな地味な部屋を使うと思うか? 空いているメイドの部屋を使わせてもらった」


 言われてみれば調度品はほとんどなく、殺風景と言ってもいい。しかしひと月も庶民として暮らしていたおかげか、すっかり感覚が麻痺してしまった。母の寝室も前皇后のものなので、判断材料にはならない。


「聞いたぞ、ハンガーストライキの上に豚の餌まで口にしたとな。そこまで堕ちたか」

「卑しい男に簡単に身を許すのは愚かだと、親切な豚飼いさんに教えてもらいましたから」

「……私が卑しい男だと?」

「自己申告によれば、そうらしいですわ」


 カトリシアを捨てる直前に投げ付けられた暴言を返してやれば、しばらく睨み合う格好になったが、やがて……ロジエルの方が折れ、大きく溜息を吐かれた。


「意地の張り合いは止めだ。カトリシア、君を嵌めてすまなかった。だが国宝を貶められ、面子を潰された事がどうしても許せなかったんだ。君がいかに愚かな振る舞いをする人間かを、皇帝に突き付けてやりたかった」


 突然の手の平返しに、何を企んでいるのかと警戒する。が、表向きでも謝罪をされれば応えないわけにはいかない。


「いえ、それは……そうしたくなる気持ちも、今は理解できます。さぞ私が憎いでしょう。ですが、もう――」

「自分でもそう思っていたんだ。破滅した愚かな姫を嘲笑って、捨ててやれば満足できると。だが……あれからずっと、君の事が頭から離れないんだ。ヘンリーからは新たな縁談が持ち込まれるが、どうしても君を思い出して比べてしまう」


 そう言われても、カトリシアとしては困ってしまう。彼女の中で、あれはもう終わった事なのだ。しかしベッドのすぐ横に腰かけられ、手を取られた瞬間、ぞわぞわっと悪寒が走った。


「カトリシア=フォン=ドラコニア第一皇女、あなたを愛している。私の妻になってはくれないだろうか」

「お忘れですか、殿下。皇帝陛下は既に私を捨てているのです。ここにいるのはただの、何もないオーガスティン……いいえ、私にはもう愛する人がいるのだと、お伝えしたはずです」


 他の令嬢であったなら、誰であろうと腰が砕けてしまうほどのロマンティックな告白も、カトリシアだけは例外……思えば以前からそうだった。唯一無二の至宝だろうと、彼女にとっては玩具以下なのである。

 改めてそれを思い知らされ、ロジエルは笑顔を引き攣らせた。


「カトリシア、国境前で放置した事は謝る。そのせいで山賊に穢された事も……だが、いくら現実逃避したいからと言って、賊相手に恋人ごっこなどと」

「賊でもありませんし穢されてもおりません! あの人は結婚まではとけじめをつけてくれているのです」


 ムッとして言い返しながらも、首元に手を当てる。そこには出前に来た時から着けたままの『赤龍の首輪』があった。穢されていないと言い切られてホッとするものの、愛おしげなその様子に今度はロジエルが険しい顔になる。


「ならば、それもそいつからの贈り物か? 着替えさせたメイドによれば、取る事もハサミで切る事も出来ないようだったが……君好みであれば、大した価値もなさそうだな」


 気を抜けば憎まれ口を叩いてしまうようで、スッと目を細くすればハッとして咳払いしていた。

 実際は無価値どころか、帝国の守護神の鱗を使ってカトリシア自身が作った激レアアイテムである。ハサミなんかで切れるわけがない。もっとも、コールはただのカニバサミで魔物の鎧を切っていたが。


「とにかく結婚はしません。殿下も側近……ヘンリー様から候補者を打診されているようですし、ただの平民に熱を上げるのもいい加減になされては?」


 縁談の話を知っていると仄めかすカトリシア。全く何とも思っていないその態度に、ロジエルは息を飲んだが……次の瞬間、目から光が消えた。


「君は……ただの平民じゃないだろう。カトリシア=フォン=ドラコニア第一皇女」

「だからそれは」

「療養先から抜け出し、行方不明になっていた皇女は、隣国ピグマリオンへ迷い込む。そこでメイドとして雇われた彼女は、かつて手酷くフッた相手と運命の再会を果たす。

求婚を断られても美しい姫君を忘れられなかった王子は、瓜二つのメイドと禁断の恋に落ち、やがて彼女の正体が皇女本人だと発覚するのだ」


 唐突に語り出したロジエルを、カトリシアは不気味に思って距離を取ろうとした。が、握られた手の力が強くて振り解けない。


「それを、父が信じるとでも?」

「大事なのは真実じゃない、都合のいい筋書きだ。実の娘が卑しい豚飼いに身を許した挙句、激情のまま追放したなどという醜聞よりも、皇帝も世間受けするおとぎ話を選ぶだろう……可愛い孫もできるしな」


 孫? 何を意味の分からない事を言っているのか。大体、まだ結婚すらしていないのに気が早過ぎる。もちろん、現在妊娠しているわけでもない。


「ないなら今から孕ませればいい。小国とは言え、王子の私の血だ。思うところがあるにせよ、子ができた君を見捨てるわけにはいかないだろうよ」

「子供はあなたの道具ではありません。それに、豚飼いだって立派な職業です。殿下は……あなたは、国を形作る民をバカにし過ぎだわ!」


 捨てられて以来、無意識に心の奥底に溜まっていったロジエルへの不満が爆発した。だが様子のおかしい彼の耳には届かず、引き寄せられたカトリシアの体はベッドに縫い留められた。


「いやあぁっ、離して!! 誰かぁっ! 助けて、コー……ッ」

「っ、やってくれたな」


 コールの名を呼ぼうとした口を無理やり重ねられ、反射的にガリッと強く噛みしめる。咄嗟に離れたロジエルの唇から、たらりと血が流れ落ちた。

 気持ち悪くて仕方がない。コールとのキスは、あんなにも胸が高鳴ったのに……と言うか、好きだった頃ですらロジエルとの行為を特別に感じていただろうか? あったかも知れないが、玩具を手に入れられる高揚感で占められていた気がする。


「助けを呼んでもここには誰も来ない。来たとしても命令一つで皆、私の味方だ」

「う、ふうぅ……っ、嫌……」


 どうしてこんな男を、とは思わない。カトリシアが好きになったのはロジエルの優秀さだからだ。彼本人の性格がどうであれ、当時のカトリシアの抱いた恋心は偽物ではない。


(だけど今は……私には、コールがいる。こんなにも彼を愛しているのに、今更結婚と言われても無理! 悔しい……あの過去が煩わしい)


 たとえコールが許してくれても、一度犯した過ちは生涯カトリシアを苛む。ロジエルは彼女の過去そのものだ。


 カトリシアの胸が無遠慮な手で掴まれ、怖気立ってしまった。気持ち悪さももちろんだが、さっきから妙に体が痒い。ベッドにダニでもいるのか。

 必死で首を振って食らわせようとした頭突きも、あっさり躱されてしまった。


「往生際の悪い……どうせ一度は受け入れた身だろう? 君の初めては全て私のものだ。これからも……」

「ひっ!!」


 初めてはともかく、これからもなんて絶対に嫌だ。ろくに抵抗ができないまま、捲り上げられた素足の間にロジエルの手が潜り込んだ瞬間――


 バチイッ!!


「ぎゃんっ!!」

「……えっ??」


 ロジエルが己の手を反対側で押さえ込み、飛び退いた勢いでベッドから転げ落ちた。何が起こったのか分からない……が、しばらく呆然と彼がのたうち回る様を眺めているうちに、コールの母との会話を思い出した。


『ラブラブなのはいいけどね、まだ正式な婚約じゃないんだから節度は保ってもらうよ。そうだねぇ、コールがはっちゃけて一線越えるようなら電流が流れる仕掛けにしておこうか』

『お、女将さん……お手柔らかに』

『大丈夫大丈夫、跡は残らないから』


「な、何だ今のは……貴様、何をした!?」


 具合を確かめながら、不可解な現象に不意打ちを食らったロジエルが喚き出す。ドアの向こうから入室許可を求める護衛の声がするが、状況が状況だけに乗り込ませるわけにもいかない。


「我が帝国の守護神からの思し召しですわ。婚姻前は誰であろうと、情を交わしてはならぬと」


 実際には魔王の娘からなのだが、『赤龍の首輪』は本物のレッドドラゴンの鱗が使われているので、あながち嘘ではない。ロジエルは憎々しげにカトリシアの首元を睨み付ける。


「そのアイテムにはそんな効果が……くそっ、だったら是が非でも婚姻を成立させてやる。今日から客室に移ってしっかり肉をつけさせてやるから覚悟しろ。

ああ、またハンガーストライキなんて無駄な事は考えるなよ。拒否すれば口移ししてでも食べさせるからな」


 何だろう、普通に考えれば牢屋暮らしとは正反対の好待遇なのだが……結婚なんて冗談ではないのでしっかり報復として成立しているあたりおかしい。ポリポリ体を掻きながら、カトリシアは何とも言えない表情でそんな事を考えていた。


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