カトリシア視点②

 ロジエルに捕らえられた翌日の夕方、空腹と疲労で床に寝転がっていたカトリシアのもとへ、彼の側近が訪ねてきた。無表情にこちらを見下ろす様から、どう考えても好意的ではない。


「お食事をお持ちいたしました、カトリシア第一皇女殿下」


 檻の足元付近に作られた小窓から、囚人にしては豪華過ぎる食事が差し入れられる。目の前にご馳走を並べられ、はしたなくもグーッと鳴ってしまう腹を押さえ、思わず手を伸ばしたその時。


「召し上がった後はメイドに体を磨かせますので、その後は殿下の寝室までお連れせよとの命令です」


 側近の一言に、すぐさま手を引っ込めた。豚飼いに変装していた時と同じだ……王子は取引としてカトリシアの体を要求している。しかも断っても問題ない玩具とは違い、食事は命にかかわる。

 だが、カトリシアとしてはもう二度と、ロジエルとは取引しないと心に決めていた。


「逆に言えば、食べさえしなければ殿下のお相手をしなくてよいのですね?」

「調子に乗るなよ、小娘。貴様、今の立場を分かっているのか?」


 揚げ足を取ろうとすれば、速攻で本性を露わにして睨み付けてくる。カトリシアが本物だと思っていないのか、分かっていてこうなのか……いずれにせよ、彼には嫌われているようだ。


「立場? しがないラーメン屋のバイト以外に何がありましょう。注文を受けて来てみれば、殿下から関係を強要されている哀れな村娘ですが」

「まだしらばっくれるか」


 側近は懐から転送用の魔法陣が描かれた紙を数枚取り出す。


「貴様が持っていた怪しげなこの紙を調査したが……魔力の宿らない、ただの落書きだった。貴様にはいい歳してままごとに興じる趣味がある事は、殿下から伺っている。ただの落書きを魔法陣と言い張り、配達員を装って殿下のもとへ押しかける算段だったのか?」


 それはあなたの上司が自分でやった事ですよ、と指摘しても聞いてはくれないだろう。しかし使い捨てなのは知っていたけれど、往復分利用した後はこうして魔力を完全に失うとは……コールの母マクルの用意周到さには恐れ入る。


「ここがピグマリオン城と知っていたら来ませんでしたわ。私が疎ましいのなら追放でも何でもいいから帰してもらえませんか? 家では愛しい人が待って……」


 バシャッ!!


 檻の隙間から取り上げたコップの中身をかけられたのだと気付いたのは、顔から滴る冷たい水が垂れ落ちる感触だった。


「まったく殿下にも困ったものだ……このような愚かで下賤な小娘にいつまでも熱を上げて。

いいか? 殿下は今、富豪の娘との縁談がまとまりかけている大事な時期だ。思わせぶりな態度で振り回そうと、所詮追放された貴様など正妃になれるはずもない」


 どうも彼はカトリシアがロジエルに付き纏っていて、気を引くために嘘を言っているのだと思い込んでいるようだ。まあ実際ロジエルに騙された身ではあるし、同じように城に潜入しているのだから違うと言っても説得力はないが。


(それにしても、婚約者候補がいたのね……そりゃあ、いつまでも私に関わっている暇なんてないはずよ。でも熱を上げているなんて、それが本当なら門の前に置き去りにしないと思うのだけど)


 心の中でツッコミを入れつつ、カトリシアは優雅に微笑んでみせる。


「まあ、それはそれは。あなたの殿下への忠義に敬意を表し、ロジエル殿下が縁談に集中できるよう私のような下賤な小娘は何としても関係を拒まなくてはなりませんね」

「ふん、そのつまらん意地がいつまで持つかな? 素直に従っておいた方が得策だぞ」


 承諾すればいいのか拒否すればいいのか。どちらにせよ、難癖つけてくるのは目に見えている。ここは無視だと再び寝転がると、舌打ちした側近は牢番に、一口でも食べたら報告せよと告げて行ってしまった。

 牢番の彼には、あとでこのご馳走を外に出して、他の誰かに譲ってあげられるよう頼んでおこう。


「あなたが意地を張るおかげで、不機嫌になった殿下に八つ当たりされて迷惑していますよ。無理やり口をこじ開けて食べさせてもいいんですがね」


 次の日、やはり横たわったままのカトリシアを、盆を持った側近が詰りに来る。餓死するつもりはないが、経験上飲まず食わずで森を彷徨っても三日くらいは生きられた。それでもロジエルたちは音を上げるまで閉じ込めておくつもりだったのだろうが――


(私が食べない事に、焦っている? 少なくとも、死なれては困るみたいね)


 働かない頭でぼんやりとそんな事を考える。だからと言って交換条件でベッドを共にするのは嫌だ。何とか逃れられないものか。

 カトリシアはのそり、と起き上がった。床に寝転がっていると体の節々が痛い。


「取引と無関係なのであれば、食べます」

「ふん、小賢しい……そんなものは豚の餌くらいしかない。無駄な抵抗は止めて……」

「いいですよ、それで」


 わざと侮辱する事で諦めさせようとしていた側近は、カトリシアが間髪入れずに承諾した事に顔を引きつらせる。


「本当にお相手せずに済むのなら、豚の餌でも何でもいいです」

「く……っ、殿下は豚の餌以下だと言いたいのか。食べたいと言ったのは貴様だからな!」


 自分で持ちかけてきておきながら、ギリギリと歯軋りをすると、側近は牢番に命じて豚小屋から餌用の野菜を持って来させる。自称『豚飼い』と秘密の夜を過ごした時、帝国では飼料にトウモロコシ粉が使われているのを知ったが、ピグマリオン王国では普通に野菜を一口大に切ったものだった。これなら人間でも食べやすい。


「いただきます……あら、おいしい!」


 習慣になっていた、コールたちと同じ食前の挨拶の後、生の人参やリンゴを口にして目を輝かせる。極限まで空いた腹には何でもおいしく感じるものだ。さすがに生の芋はそうでもないし、芽に毒があるので避けていたが。

 躊躇なく食べ続けるカトリシアに、側近は口をあんぐりさせて固まっている。


「し、信じられん。まるで野生児だ……このような女を我が国の王妃に迎えるわけには」


 ぜひそうしてもらえると助かるのだが。

 バタバタと牢を後にする側近を見送り、人心地ついた後は再び横になる。

 寒い……さっきから震えと冷や汗が止まらない。そう言えば昨日、水をかけられたんだった。風邪を引いたのかもしれない。


 小さく丸まって体を抱きしめていたカトリシアの耳に、再び誰かがバタバタとこちらへ駆け寄ってくる音が聞こえた気がしたが、それを確認する前に彼女の意識は落ちた。


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